YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson715
 自分で社会に居場所つくる
  −8.まず声をあげる



卒業した学生が、
社会のあちこちで活躍し、
たよりをくれるようになった。

一度目の就職に失敗し、
痛い目にあいながらも、
辞めて就職し直した卒業生たちが、一様に、

いまの仕事への「深い満足」をうったえる。

なぜだろう?

読者から
こんなおたよりをいただいた。


<自分を生かす場所>

新たな職場で、部下に

・何度も同じケアレスミスを繰り返してしまう
・会議や飲み会で、みんなの会話に乗れず
いつも場を凍りつかせてしまう
・2つの仕事を平行して進めることができない
 (必ず後から言われた仕事に気を取られ、
  前の仕事のことを忘れてしまう)
 という東京大学出身の若手がいます。

彼自身、
なぜ何度も同じミスを繰り返してしまうのか悩み、

僕も、
「ミスしてしまった注意点をメモして張って、
 常に意識できるように工夫してみては?」
など具体的な行動を提案して支援してきました。

でも、まったく同じミスを繰り返してしまいます。

そして、また彼自身が「どうして他のみんなと
同じようにできないのか」深く悩む‥‥。
そんな彼の姿を見てて、
ふと頭をよぎったのが

逆に「彼はそういう性質(性格ではなく)の人間なんだ」
と考えてみてはどうか?

という気づきでした。
彼と話をしました。

僕から、

「一緒に仕事をしてきて、感じていることを
 率直に言うと、おそらく、君には空気を読むとか、
 複数の物事を並行して進める、
 と言った行動をする能力を
 『天から授かってない』のだと思う。
 
 その前提で、どんな仕事が一番能力が発揮できるか
 一緒に考えみない?」
 
すると、彼はハッとしたようにこう言ったのです。

「実は、この仕事に就くと親に告げた時、
 まったく同じこと
 (本当に大丈夫?あなたには向いてないと思うよ、
  と言う主旨)を言われたんです」

彼自身、この言葉は
ずっと心に引っかかっていたそうです。

先週のコラムに、
就活生のサポートで、
「自分の過去と現在、未来の
 つじつまあわせをしようとすればするほど、
 連続性は理屈っぽく、そらぞらしくなる」
とありましたが、

この職業を選んだ彼にとって、
ここで求められる事をできるようになることは、
彼の過去と全く連続していない

ことなのかも知れません。
そのことを薄々自分で感じながらも、
時に自分に圧力をかけて
必死でもがいていたのだとしたら‥‥。
そんな風にもう一度彼の仕事振りを振り返ると、

「出来ないこと」は寧ろ出会ったときから連続している。

「ずっと一貫して」出来ない。

だったら、それを受け入れて、そのうえで、
自分を活かす方法を一緒に考えた方が良い
のかも知れない。

彼に言いました。

「一度実家に帰ってきなさい。
 そして、ご両親から
 小さいころからの自分をどんな風に見ていたのか、
 聞いてみようよ。
 今の君なら、きっと昔から変わらない
 自分の一貫した軸のようなものが
 見えると思うからさ。」

笑いながら彼も「そうします」と言ってくれました。

自分ではどうにも変えることのできない
「自分らしさ」があるとしたら、

それと向き合い、腹をくくって開示することで、
「周囲の人と一緒に創りだす居場所」、
ってのも、あるのかな、と気づきました。

ご両親と話をして彼が何を感じたのか?
どんな顔をして話をしてくれるのか。
楽しみです。
(ひげおやじ)



「早くにそれができないと知ることは、
 早くに才能が見つかるくらい価値がある。」

と私は思う。

ミュージシャンのHydeさんは、
絵のほうへ進みたくて、
デザイン学校に進むのだが、

生まれつき「色の識別」が一般的多数と違う。

のりこえてむしろ面白いものができるのでは
と努力するのだが、

「仕事でやっていくとなると、どうしても」

どうしても、どうしても、壁になる。
限界までやって失望、そして、音楽に出逢う。

SEKAI NO OWARI の深瀬さんは、
医師になりたくて
必死に勉強するのだが、

勉強した全てを失ってしまう。

まさに「世界の終わり」という絶望。

そして、仲間4人と運命共同体となって、
音楽の道を歩き出す。

「職能は、他者貢献・社会貢献」

いくら本人がやりたくても
最終的にジャッジするのは、社会のほうだ。

自戒をこめて、若いうちは、
表層で考え、
わかりやすいものにとりつきがちだ。
ARTと言えば画家、人を救うのは医師、‥‥。

それでもいい、
現実に働きかけてみるのが大切だ。

読者のたよりに出てくる若手さんも、
一度目の就職で痛い想いをした卒業生たちも、

本番で働いたことが尊い。

現実の証拠つきで、
「自分にはそれができない」と知る。

これ以上ない納得感で次に進める。

練習やシュミレーションや自己分析でなく、
実社会に出てアウトプットしてこそ

「得たもの」だと私は思う。

自分で自分の職能には
なかなか気づけない。

言葉や行動、働きで表し続けていれば、
自分ではまったく予想だにしなかった職能を、
他人が見ぬいて、社会の方から手を
引かれることだってある。

いま就職しあぐねて、ツラくなっている人も、
何も表現しなければ、
社会のほうだって、
どんな人かぜんぜん気づけない。

まずは、生の声をあげる。

「自分はこれがやりたい!」

勇気がなければ、
まず、ひとり言で言葉に出して言ってみる。
仏壇で、亡き人に打ち明けてみるのもいい。

毎日、声に出そう。

それができたら、次は
身近な人間に、言い放ってみる。

次にブログやSNSや、
インターネットのたくさんの人が読んでくれるところで、
自己発信してみる。

「自分は、こんなことを想ってて、
こんなことをやってきて、
いまはくすぶってるけど、
未来にこんなことをやりたくて
こういう場を求めてるんだ。」

書くことは非力に見える。
でも、書いたことは済んだこと。
積み上げた思考は逆戻りしない。

次の一歩は、必ずその先に出る。

自分が書いた言葉のチカラで
自分が外に押し出される。

進んでいれば、連続性は出てくる。

一度目の就職で痛い目にあった卒業生たちが、
いまの職場に深い満足感があるのも
もっともなことだ、

現実に働いてみると、
表層でつじつまあわせした
自分の連続性なんか
ふっとばされてしまう。

でもだからこそ、
いやでも、もう一段深いところで、
仕事というものを考えざるをえなくなる。

「そもそも自分はなにがやりたかったのか?」

一段深い自分と通じ、
そこから繰り出される表現は、

本人、満足が深いのはもちろん、
より遠くに通じ、より高く積める。

Hydeさんは、絵は描かないけど、
その音楽に美しい絵が浮かぶと、
彼のやってることはARTだと、
想う人は世界中にいる。

メスを持たない深瀬さんに、
傷を癒された、命を救われたと
想っている人も多い。

失ってない。ただ深くなっただけで。

社会にどうダメ出しされたって、
気づけば人はやりたいことをやっている!

どうあがいたって
自分は自分なのだから。

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2014-12-24-WED
YAMADA
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