YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson720 文章にできること
          −2.書き時


いま、現実のなかで
どうにもこうにも解決できない問題を、

自分の中にグルグルとドス黒く
わだかまる想いを、

そのまま書いて吐露しても、文章は何もしてくれない。

「現実はままならないけど
 文章の中なら自由になれる」
と思っている人が多い。

でも、いま
現実の中で試され練り鍛えられている
「自分の器」、
以上のものは書けないのでは?

1センチでも「等身大」より多くを求めると、
文章はとたんにそっぽを向く。

現実にどうにもならない問題を、

「書けば解決するんじゃないか?」

解決しないし、
現実で自分が躓いているところで
やっぱり文章も躓くし。

「書けば自分が成長する?」

現実の欠点はやはり文章に反映されるし、
書いたぐらいでは治らないし。

「吐き出せばすっきりする?」

これが、意外にすっきりしない。
自分は何が言いたいのか、もんもんと迷走し、
心根にあるドス黒さを、文章で周囲に撒き散らし、

読む人に、
聞いてくれ、わかってくれ、私に代わって考えてくれ
の「くれ文」を送ってしまうことに。

得られるのは、

自分と同じようにやるせない人々の、
愚痴、
あるいは「自分を見るようでいや」という嫌悪、
無理解。

「書き時」がある。

完全解決してから書いてシェアする、
というのが理想だけど、

現実の問題は、そんなにスッキリ解決しない。

かりに完全解決したとして、月日が過ぎたら、
「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」で、
書くモチベーションが落ちてしまう。

完全解決とまでは行かなくても、
ずっとずっとその問題に苦しみ、
現実の中でさんざん葛藤してきて、

「ふと、ひと筋の光明が見えた!」

というときが「書き時」だ。

「ささやかだが解決の糸口が見えてきた。」

「解決は無理だが、大切な気づきを得た。」

「現実は変わらずだが、
 自分の内面が1ミリのり越えた。」

この段階で書くと、
文章は予想以上に応えてくれる。

「ささやかな気づきに過ぎないが、
 自分のために忘れないよう書きとめておこう!」
と書き始めたところ、

言葉にできなかった想いがどんどん言葉になり、
小さな気づきが、次、また次、と連鎖して
気づきを生み、

「そうか、ほんとは自分はこうしたかったのか!」

とけっこうはっきりした出口に出ることがある。
スッキリ!する。

読んだ人から、予想外に、
「元気もらった!」「スカッとした!」
「書いてくれてありがとう!」
という反応を得たりする。

前に向かって進む人からの
よい知恵や情報も入ってくる。

現実に戻ったとき、
書いたことは済んだこと、

その先に1歩踏み出せている自分がいる。

あなたの「書き時」を逃さないで。

「少し前の自分だったら書けなかったかも。
来年になったらもう書けないかも」という、

いま、あなたが書くべきものはなんだろう?

最後に、先週のコラムに来た
読者のおたよりを紹介して、
今日は終わろう。


<先週の「文章にできること」を読んで>

テキストは、
量産して大勢の人にすぐに届けられます。

しかし、本当か嘘かを判断するのが難しいです。
本心か建前か、それを信用するのが難しいです。

直接会えば、たとえ言葉を使わなくても
多くのことが伝わります。

総太さんもそれを知っていたから、
文章で「一緒に過ごしていた記憶」を届け、

電話で、メールでは表現できない肉声で、
「会いたい」と伝えたのではないでしょうか。

先週のコラムの冒頭の質問についてですが、
私が、ふさぎ込んでいる疎遠な友達にメールをするなら

「私はあなたのことを覚えていて、
今あなたのことを考えている」

その事実だけを届けたいと思います。
(九堺)


<もう1つの選択肢>

ここ2年ほど体調を崩しずっと家におり
やっと最近元気になってきました。

その間、
親しい友人から連絡が来ても
嫌な気分しかせず見もしないで
かといって捨てるのもためらいました。

20代になったころからの、
長い付き合いではない友人の手紙には
「最近どう?気分がいい時に連絡してね。」
のような内容が書かれていました。

小学校からの付き合いの長い友人たちからは
一切連絡はありません。

私にはそれがとても嬉しかったのです。

放っておいてくれるのが何よりも嬉しかった。
「お前は自分でどうにかすると思っているから」
そう前に言われたのを思い出し、
今でもそう思ってくれているのか、
と思うと安心しました。

どのような言葉をかければ
という選択肢に

「言葉をかけない」

を入れて考えてみてほしいです。
(まつこ)


<距離は1歩ずつ>

年賀状だけのやり取りになっている友人がいます。

大学卒業後、
お互い結婚し子供もでき、
毎年、自分の子どもが何歳になった、
ぐらいのあいさつで終わる年賀状ですが、

ことし彼女の住んでいる地域に出向く仕事があり、
ためらいつつも、一言、

「そちらに仕事で出向くことがあります」

と書き添えて送りました。

すると、つい昨日、
彼女から1通のハガキが届きました。

「自分の地域でお仕事をされていると聞き、
 嬉しくなって思わずお便りしました。」

最後にメールアドレスを書いてくれていました。

何年も年賀状だけのやり取りであったのに、
私の一言に反応してハガキを送ってくれるとは、
アドを書き添えてくれているとは、
「メールでお返事でもいいですよ」
ってことだなと思い、
早速メールを送りました。

「お久しぶり、お葉書ありがとう、
 嬉しかったです!」

まさに、1文章に伝えたいこと1つ。

そのうち、
「是非、あってお茶しましょうね」
という話までたどり着きました。
(潔子)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2015-02-04-WED
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