YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson722 文章にできること
−4.文章からもらおうとする人、文章に与える人


3〜400人の文章を、選抜試験などで
一気に読んでいくと、

きまって1人、多いときで2〜3人は、
一瞬でその世界に魅了されてしまうような
文体の持ち主がいる。

読み始めたとたん、
ふわ〜っと、えも言われぬ女性性・母性が香りたち、
読後に、福福と、しあわせな余韻がある。

ひと言でいうと、それらの文章は、
すごく手がこんだ印象がある。

おなじ「文章を書く」作業でも、
人によって、やってることは180度ちがう。

文章からもらおうとする人と、文章に与える人と。

私は、つねひごろ
日本のいろいろな書くシーンを見ていて、
疑問だったのが、

「なぜ、悩みを書く人が多いんだろう?」

ということだ。

たとえていうと、
会社の宴会などで、
一次会は上司や先輩がいてさんざん気を使って

二次会は、気心のしれた仲間ばかりになって、
いざ、なんでも自由に本音トークをしていい、
という段になったとき、

きまって自分の悩みから話す人、

まわりにいないだろうか?

4〜5時間飲んでもずーっと悩みばかり話している。
その人がいる場は、悩み相談所と化す。

面白い話で場を楽しませ、自らも楽しんでいる人
もいるのに、なぜ悩み?

同様に、
ほとんど書く習慣がない人が、
何でも想ってることを本音で自由に書いていい
と言われたときに、

経験から得たものをシェアしたっていいし、
近年で一番おもしろかったことを書いたっていいのに、

いざ文章を書く=無意識に悩み相談になってしまう人。

意外に多いのだ。
もちろん、そんな人も文章教育で
自分と読者の関係性をとらえたメインテーマ発見を
ちゃんとやれば、わりとすぐ改善できるのだが、
そういう人は、

「文章からもらおう」

としてるな、と感じる。
解答なり、はけ口なり、ヒントなりを。

時間も労力もかかる書く行為だから、
対価として、文章から何かを得ようと、無意識に。

一方で、一発で読み手を魅了し、
しあわせの余韻を読後にいつまでも残すような
文体の持ち主は、

「文章に捧げよう」としている。

しかも書いてる本人に捧げているという自覚はない。
無心だ。

それはたぶん、遠くに旅に出る幼い息子に、
弁当持たせたり、足袋をはかせたり、髪の毛を整えたり、
たのしい旅になれ、羽ばたけ、と。

「自分にできることはないか、さらにないか、
 これ以上、自分がしてやれることはもうないのか」

と、無心に立ち働き続けても疲れを知らない母のようで。
捧げている自覚なく捧げ、かつ、満たされている。

ことしもそういう学生がいて、
その作品は、豊かで、他の学生からも、
とても好かれていた。

私自身は、「文章に捧げる」という実感が
いまのところ、まだない。

「読者に捧げる」実感ならある。ありすぎるほどに。

私は編集者の出身だ。
とくに読者が高校生だったので、

「読者に奉仕する」

というのは、16年間の編集者経験で
たたきこまれ刻み込まれた習性だ。

だから「読者」に捧げて、捧げて、捧げつくす

という感覚や、書くときの体の使い方、
出口の見出し方なら、ものすごくリアルにある。

一方で、
まるで手の込んだ料理のように、
豊かでしあわせの余韻を残す文体の持ち主は、
「文章」そのものに捧げているように私には思える。

そこが素敵だなあと思うのだ。

書くことは労力が要る。

だから文章からもなにかもらおうとして書くか?
母のように無心に、こちらから文章に捧げるか?
はたまた書くことを手段として、読者に捧げるか?

こんな立ち位置から、
自分の立脚点を測ってみるのも面白い。

さいごに、
素敵な立脚点のふたりの読者のメールを紹介して
きょうは終わろう。


<伝える使命>

オカンになってはや14年、
今、人生のどの時期よりも
「書く力」の重要性を強く感じ続ける日々です。

我が家では「書く力」は命に直結する

といってもおかしくありません。
当方のこども達、2人とも重いぜんそくと、
生活面での強いこだわりを持っていて、
保育園、小学校、中学校、学童保育と、
先生たちにお願いすることが大変多いです。

現在は、小学校2年の息子の連絡帳の文章で
苦しんでいます。

体調の連絡、薬の服用、
ランドセルの代わりにリュックで登校を許可してほしい、
等など。

夜に1度書き、ねかせておいて朝に書き直します。

忙しい担任の先生がささっと読めて
息子のためにすすっと動いてくれるようにと

推敲を重ねていると、
なにがどうよいのかわるいのかわからなくなり、
ぐらんぐらんして気分がわるくなることがよくあります。

そんなときのノートは、
消しゴムの消し跡と妙な隙間があり、へん、です。

ともかく、きょうもまた、
「どうか、うまいことうごいてくれ、先生!」と、
必死にお願いするオカンのひとりごとでした。
(おかん)


<私の書き時>

先々週の「書き時」を読んで思ったのは、
科学論文の作成に似てるのではということです。

小さなネタを素早く書く速報、
位置づけを踏まえて筋道立てて自分の論理展開を書く
原著論文、
あるお題目に関する分野全体を俯瞰して紹介する
総論などなど。

少し光明が見えた時、即ち、
新しい知見が得られたらすぐに、書く。

長年溜めた想い、即ち、長年蓄えた知識を、
整理して他人に伝える。

これが正に書き時との表現に合致しているなと。

最近煮詰まっていたのですが、
論文も「書き時」を意識するのがコツではないかと、
気付きました。
(田中)

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2015-02-18-WED
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