Lesson730
伝えるポジション −3.さらに読者の声
「伝えるポジション」のコラムに、
続々とおたよりが届いている。
今週も読者メールを紹介する回だ。
こちらから1ミリでも踏み出すか、
待っているだけか、
その差は大きいと、
読者から改めて教えられる。
「伝えなきゃ、伝わらない」
では、1ミリをどう踏み出すか、
読者の等身大の声から読み取っていこう。
<ほんのちょっとのきっかけで>
私は「大卒職歴無し、24歳」です。
なぜこうなってしまったのか、私にもわかりません。
浪人もしなかったし、認知度の高い大学でしたし、
サークルもゼミも参加して、
インターンも4年間やりました。
もともと就職活動は
メディア系企業を中心に行っていました。
一年目はいわゆる有名企業を中心に受けていて、
全滅でした。
友人達からは心配されていて、
両親からも「大丈夫?」と声をかけられるくらい、
自分のことが見えていなかったと思います。
自己分析も志望理由書も詰めが甘かった。
一年留年しました。
キャンパスで会う友人はいないし、
まわりは一つ下の代で負い目があり
だんだんと、就職活動にも
大学へ行くこともなくなりました。
単位は4年生の時に取りきっていたので
卒業はできましたが、
その後は実家でひきこもりのような状態でした。
たまに図書館で本を借りる為に外出するのですが、
それ以外は鬱々とした日々を送っていました。
自分のせいであるとはいえ、「肩書きがない」状態は
想像以上に辛いです。外でどんな事をするにも
自分がぐらつき、結局前にすすめなくなります。
自分を他人と比べるようになり、悲観的になります。
そうした日々のなかで、最近少しづつ
他人とつながることができてきました。
先日は、話を聴く活動をされているお寺で、
一時間程お話をしてきました。
友人へメールを送ったら会うことになりましたし、
今まであまり話さなかった父と、ちゃんと話も
できるようになりました。
自分からつながろうとすれば、
受け止めてくれる人がいるということが、
とても嬉しいです。
どんな状況でも、自分から発すれば響くことがある。
そのことを大切にしたいと思います。
(K)
<得意な手段に逃げ込まないで>
言わずに我慢してきて、
最悪なタイミングで、人にぶつけてしまった苦い体験、
私もあります。
「自分の伝達手段は、言葉ではなくて絵だ」
という思いが強いのですが、
「つたない言葉でも、
自分の言葉でその都度伝える姿勢をもたなければ。」
と思うようになりました。
絵を描く力は磨いてきましたが、
話し言葉を磨く訓練を怠ってきたので、
とても苦労しましたし、それは今も。
絵よりも、言葉は、その場いる人に向き合うものですね。
人の状態を見てないと、伝わらない。
堅すぎると、伝わらない
(経験豊かな人は、まず伝え方が柔らかいですね。)
自分の思いを温めてないと、いざというとき出て来ない。
(それは絵も同じですが、出し方が違いますもんね。)
苦しいですが楽しいときもあり、
昔、手にいれられなかった価値を知りつつあります。
(kinokonoko)
<自分と相手、ひとつずつの尊重>
ちょっと言いにくいことを、
さらっと嫌みなく、相手を傷つけずに言える人がいる。
それは、
「自分に無理をさせない」、
「相手を馬鹿にしていない」
ことなのではないか。
(あなぐま)
<自分では伝わらなくても>
高齢者に関わる仕事をし、私生活でも親が老いています。
私が言っても伝わらない時に、
「誰に」言ってもらえば効果的か
と言うことを痛感します。
娘に言われたら、従業員に言われれば、
プライドが傷つき、怒り出すような相手でも、
医師に言われれば、納得して改めようとします。
愚痴をこぼすよりは策を練る。
(ひとそれぞれ)
<母に感情をぶつけました>
わたしは、機能不全家族で育ちました。
それを恥ずべきものだと思いだしたのは、
結婚し、夫の実家を見てからです。
「私の実家はおかしかったんだ」と気づいて
18年になります。
今年に入って、私の実家の母が倒れました。
母は、認知症を患った父を、老々介護していました。
わたしは、実家に寄り添い続けました。
フルタイムで仕事しつつ、
自分の息子の中学受験に伴走しつつ。
弟がいますが、あまり協力的ではなく、
わたしは、母の入院・手術・退院のすべてに付き添い、
先日、母とわたしで退院祝いをしました。
母は、アルコールも入っていたせいか
「息子(わたしの弟)の子育てに失敗した」
と泣きだしました。
わたしの中の感情が爆発しました。
「わたしはいつだって寄り添っているでしょ。
お母さんは、わたしは1人で大丈夫だって言って
いつも弟のことばかり心配してたよね。
わたしはここにいるんだよ。」
そんなことを言い始めると、
涙があふれて止まらなくなりました。
母に感情をぶつけました
退院したばかりの母に
泣きながら、感情をぶつけました。
わたし、つらかったんだ。昔も今も。
自分の大好きな家族を
恥ずかしいと思い続けている自分がいやなんだ。
認知症になった父を見守ることも
ほんとうは苦しくてたまらなくて、でも
わたしがキーパーソンにならなくてはいけないから
苦しくないふりをしてきただけなんだ。
そんな感情があふれ出しました。
小さな子供に戻ったように。
母はそんなわたしを見て、ただ黙ってました。
そしてわたしが帰宅しなくてはならない時間になると
「駅まで送る」と言って付いてきました。
まだ足が悪くて、貧血もあるのに。
実家の最寄りの駅までかと思っていたら
わたしの家がある最寄りの駅まで1時間ほど
一緒に電車に揺られてました。
その間、わたしは母によりかかって
うつらうつらしてました。
固くなっていた気持ちが柔らかくなっていることに
気づきました。
母がなんども、
「娘を生んでよかった」
とつぶやいているのを聞きながら。
45歳にして初めて母に届けてみました。
「わたしを見て」と何度も想い、
言っても仕方ないとあきらめていた気持ちです。
父のこと、実家の片付けのこと、そういったものごとを
母と二人で乗り越えた「いま」だから、
ようやく言えるようになった、わたしの気持ちです。
(キムコ)
お母様にとっては、今までずっと耐えていた娘が、
感情をあらわにしたことに、驚かれただろうけど、
でもそれ以上に、
「必要とされている。」
と気づいて「嬉しかった」のではないか。
年を重ね、病気もし、
娘も巣立って結婚して自分の家庭をもち、
こういうときに多くの人は、
自分にしてやれることはもうない、
と張り合いをなくすけれども、
キムコさんが伝えてくださったことで
お母様は、こう感じたのではないだろうか。
「自分はまだ娘から必要とされている。
自分にもまだ娘にしてやれることがある」と。
「あなたに伝えたい想いがあります。」
そういう状態っていいなあ、
大切にしなきゃなあ、と私は思う。
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