YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson731
  伝えるポジション
  −4.さらにさらに読者の声


「これを相手に伝えるべきか、
 自分で飲み込んでしまおうか」

そんな葛藤は、私たちに日々訪れる。

読者はそのとき、どうしたのか?

読者の声は、等身大。
ドラマや映画のように
脚色もなければ編集もされていないからこそ、
私たちの実生活に照らして響くものがある。

今週も「伝わるポジション」のコラムにいただいた
おたよりを2通、紹介しよう。


<無自覚だからこそよけい>

先日の会議での事です。

「ある先輩」が、担当業務の進行状況の説明で、
考慮しなければならない事項を見落としていることに
気が付きました。

私が云わなくても、誰かが云うだろう

と思っていましたが、
誰も指摘する様子がありません。

でも まあ 先輩に対して 会議の場で
指摘するのも良くないので黙っていようという思いと、
逆に、その事に気が付いた私を この会議の場で
アピールしたい気持ちとの間で揺れていました。

結局、この場で発言するのは控えよう

と心に決めたのですが、
他の話題に移りそうになった瞬間に、
思わず、かなり ぶっきらぼうな言葉で、
問題を指摘する発言をしてしまいました。
自分でも驚きました。

言わないと心に決めていたのに‥‥。
溜め込もうとする力が掛かっていたために、
逆にバネが弾けたように 不意な形で

強い口調での発言になり、
会議の雰囲気が悪くなりました。

うまくフォローしてくださる人がいて
その場は、何とか収まりましたが、
会議が終わった後、
数日間 自己嫌悪を引きずりました。

言おうと決めていたなら、もう少し
頭の中で、伝え方を整理したと思うのですが
言わないと決めていたのに 思わず 出た
発言なので 制御が効きませんでした。
(きとう)


<友人に溜まっていた想いを>

私はこの1年間、仕事を辞めるか続けるか、
ということに悩んできました。

人間関係含め、職場環境はとても良いのですが、
どうしても今の仕事が向いていると思えず、
仕事を辞めてしまいたい。
でも次にしたいことがあるかというと、
それもわからない‥‥という状態でした。

その間、いろんな方が
相談に乗ってくれていたのですが、
その中の一人、Aちゃんに会うのが
とても辛くなったのです。

Aちゃんとは高校時代からの友人で、
気を遣わずに一緒に過ごせる仲でした。
私が悩んでいることを知って、
「いつでも相談してね。」
と言ってはくれたのですが、
いざ相談すると、毎回

「職場環境がいいのに辞めるのは間違っている」
「自分も向いていると思えない仕事を続けている」
「簡単に辞めてはいけない」
「あなたは自己否定に走りすぎている」
と、ばかり言うのです。

「向き不向きなんていう瑣末なこと」で、
「仕事を辞めようとするのは間違っている。改めよ!」
と否定され、押しつけられているように
ずっと感じてきました。

Aちゃんが私のためを思って言ってくれているのは、
頭ではわかるのですが、
気持ちは全くついていけません。

会うたび否定され、私は傷つき、
元々少なくなっていた自信を更に失っていきました。

そして私は、自分から積極的に、
彼女に会おうとするのをやめました。
会うと、
「あなたの言葉で私は傷ついている。
 だからあなたには会いたくない。」
という、純度100%の負の気持ちを
ぶつけてしまいそうな気もしていたのです。

この数ヶ月自分なりに考え続け、
他にやりたいことがあるのだと気付きました。
今の仕事を辞め、住んでいる場所も離れて、

新しい場所で新しい仕事をしようという決心をしました。

そして、土地を離れる前に、
会うことを避けていたけれど、
やはりAちゃんに会っておこう。
そう思い先日会ってきました。

話しているときに、思わず、
「これまで自分が彼女に感じてきた気持ち」を
ぶちまけてしまいたくなる瞬間がありました。

ですが、ふと、
「伝えるポジション」の話を思い出し。
一度踏みとどまって、私の口から出てきた言葉は、

「(私が悩んでいた時期に)
 Aちゃんがいろいろ言わざるを得なくなるほど、
 ネガティブな自分をさらけ出して、ごめんね。
 でも考えを否定されるのは辛くて、
 ちょっと会うのが気が進まなかった。」

というものでした。
私が口にした言葉が、正解だったか?
友人を必要以上に傷付けず伝えることができたか?
もっといい言い方があったかもしれません。

ですが、もしも考えず、
気持ちを口にしてしまっていたら、
もっとスッキリはした(気が済んだ)でしょうが、
その後の罪悪感も酷かったと思います。
(jrnk)



相手のエラーを知っていながら、黙って見ていると、
だんだんこちらに「妙な気持ち」が湧いてくる。

例えば、緊張感のある会食で、
ある人の口の横にソースがついているようなとき。

みんな気づいているが、言い出せない。

口の横にソースをつけた人は、
自分ではそうと知らず、
それゆえちょっとマヌケな感じに見えるまま、
持論をとうとうとしゃべっている。

それを見ていると、
可笑しい、カッコ悪い、恥ずかしい、かわいそう‥‥
などなど、人によっていろんな感情が湧いてくるが、

次第に、エラーに気づかない相手を
ちょっと「おろか」に感じ、
相手のエラーが見えている自分を、
ちょっと「優位」に感じてしまう。

つまり「上から目線」で相手を見ている。

ソースに気づいた時点で、
さっと相手に言ってあげれば、
見下げる気持ちも湧く余地なしだけど、

湧いてしまってからでは、どう言いつくろっても、
1ミリ2ミリ、蔑みが混じってしまう。

言葉というものは、
発した人の心根が見え透けるものだ。

2番目の読者が、友人のAちゃんを遠ざけたのも、
Aちゃんの言葉に、この「優位」性を
嗅ぎ取ったからではないか。

悩んでいる人に対峙していると、
人はいつのまにか「上から目線」になってしまう。

さらに、1番目の読者であれば、
「自分が気づいていることを
 会議の場でアピールしたい」
Aちゃんであれば、
「友達が離れて行ってしまうようで寂しい」
など、複雑な想いが入り混じる。

溜めきれず出てきてしまったときは、
高いところから、それらを一気に
ぶつけてしまいかねない。

相手に何かを伝えるときに、
この「自分が優位」みたいな気持ちは要注意だ。

きとうさんの経験、私も覚えがあり、
勇気をもって伝えてくれたことに感謝だ。

Jrnkさん、よく踏みとどまって、
相手の気持ち、自分の伝えたい思い。
ひとつずつ、どちらも公平に大切にされたなあ、
と思う。

連休、ひさびさに大切な人に会う人も多いだろう。

これまで、「伝わるポジション」シリーズに
勇気の投稿をしてくれた読者の声も参考に、
想いを表現して、通じ合ってほしい、と私は願う。

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2015-04-29-WED
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