Lesson747
もう一つの人生―2.読者の選択、その後
「選択は、何を選んだかより、
何を捨てたかを知るべき。」
もしも、「あの時の人生の選択」で、
選ばなかったもう一つの人生を
目の当たりにしたら?
「子を生む選択には締め切りがある。」
という先週のコラムに
たくさん反響をいただきました。
<締切りを過ぎた世界から>
「選択には締め切りがある」
先週の言葉に強く納得しています。
今、両親を介護しています。
もう12年目になります。
両親を通して、老人の世界を垣間みる事ができます。
老人の世界では病気が普通で、
とりとめてどこも痛くはない、とか
電車に乗って遠くに行く、とか
夢の夢みたいです。
毎月のように親しい人の訃報が届いて、
私の年で経験したら悲劇的な事が
日常的に起こっていて、
日常的ゆえに、彼らも静かに受け入れてます。
「締め切り」が過ぎた世界を目の当たりにして、
私は焦り始めてます。
今、好きなことやらないと、
体が動かなくなっちゃうんだ。
今、興味あることをしておかないと、
感受性も、鈍くなっていくんだ。
興味が出ること事体、若いから出来る事なんだと。
介護は大変なので、いっぱいいっぱいです。
好きな事は両親を見送ってから‥‥と
最初はのんきに考えていたけれど、
後回しにするのはやめました。
もっと言ってしまえば「介護」という名目で
自分の人生を直視する事から逃げてたのに気付きました。
介護と楽しみとの両立はそれは大変だけど、
本気で取り組めば、時間は作れると知りました。
時間を作る知識を得た感じです。
そして、あれだけ疲れ果ててた介護が、
「今楽しむ」ことによって
逆に元気一杯できるようになる事を知りました。
締め切り前にやれた事って生きる力になるのかな。
自分の内側からジワジワこみ上げてくる力に
そう実感しています。
(Y子)
<私の指標>
私は、子どもを産む選択をしました。
会社は、
育休3年、会社内保育園など、
先進的ですが、
三年休んだら、同期が上司になる。とか、
私だけ「失礼します」って帰れるのか? とか
制度ではない、何かに自信がなく、
辞めて妊娠しました。
同じ会社の人が有名になる。
子どもを産んでも仕事を続け有名になっている人もいる。
子どもを産まず仕事を続けても私は幸せだったに違いない。
そういう想いが、結構長く私を苦しませました
私はちょっと子育てに向いていなかったけど、
向いていなくても、手を抜いても
子どもは育ってくれるわけで
「多分、仕事を続けていても子育てをできたんだな」
と、いまは実感としてわかります。
でも、だからこそ、
私が人生に悩んだ時に考える指標は、
「仕事を続けていたかもしれない私に、
自信を持って言えるか?」
いま私は、
「大好きな仕事だった。それを悩んで辞めたんだ。」
と自信を持って言えることに、幸せを感じます。
あの仕事を続けていると同じくらい、
私は幸せと言えるか? 一生懸命やってるか?
と自分で自分に問いかけるのは、
悩みに悩んで自分が出した退職という
選択の結果を尊重したいから。
大切なのは、その選択をした後に
その選択をよし。と思えるよう、
その後の人生を充実させることです。
私の悩んで出した結論を私は信用できる。
(たかひろりん。)
<せっかくいただいた人生を>
私、子孫繁栄させることができませんでした。
不妊治療も試みたのですが、
婦人科疾患の手術と同時進行で、
薬の副作用で、体もメンタルもボロボロでした。
夫は、ただ、側にいてくれました。
二人で、子供について、しっかり話し合う‥‥
ということもしないまま、結婚15周年になりました。
先週のコラム、ズシッっと来るものがありました。
子孫が絶えるBおばちゃんの姿に、
自分の親が重なったからだと思います。
子孫繁栄させられなかったことに対して、ずっと、
『こんなはずじゃなかった‥‥』と思いながら、
人生を歩んでいる自分がいました。
せっかく、いただいた自分の人生を、楽しく生きたい!
と思っても、『どうして産まないの?』
『子供いないと、さみしいでしょ?』などなど、
親戚も含めた、他人の心ない声に、
打ちのめされてきました。
子供のいない人生を受け入れるのと同時に、
心ない人との距離を作ることにしました。
人生、全てが望み通りにいくとは限らないんです。
先月、実母に、孫の顔を見せられなかったことを、
謝ったばかりでした。
母は、私に、健康に産んであげなくて、ごめんね‥‥
と、泣きました。
母のせいじゃない。私のせいでもない。と思います。
これから、『こんなはずじゃなかった人生』を、
楽しくするために、切り換えて生きます。
(N)
<子育てのような想いを今>
45歳、子無しです。
「子供が居なくても、幸せな人生はある」
「子供が居る喜びはわからないけど
居ない寂しさはわかる」
なんて、思ってはみるものの
どれも、言い訳や、負け惜しみに感じてしまいます。
腕に抱っこされている子供の手が
掴む二の腕の感触を
自分は知らないまま過ごすのかと思うと
とてつもなく、寂しい思いに覆われてしまいます。
とはいえ
時間的にギリギリの頃に
「子供が欲しい」と切望、熱望しなかったのは
自分なわけで。
決定的に選択したわけではなくても
「なんとなく」選択してしまったのだと感じています。
ホームに入居している母に
月イチで面会に行きます。
色んなことが、できなくなっていく母を通して
子育てで学べなかったことや思いを
学習していると、感じています。
「どっちが親だかわかんないねぇ」と母は言います。
子供の役も母が引き受けてくれたのかもしれませんね。
(M)
<選ばなかった道を知ることで>
私は今初めてお腹に子供を身籠っています。
すごくすごく嬉しくて、
けれど、
私のキャリア形成を、一旦お休みしないといけない
ことに戸惑いがありました。
私は作家の端くれです。
まだまだ駆け出しですが、
お付き合いのあるギャラリーや固定のお客様が付き、
ここ何年かで、少しずつ作家としてのキャリアを
積み上げてきた実感がありました。
妊娠したことで、
これまで在籍していた職場を離れ、
制作活動を続けるための環境整備もままならない
状況にあります。
「当面私個人としての活動をできないのだろうなぁ」
頭では十分理解しているつもりでも、
不安で堪らなくなる。
「私」という個人の尊厳を築いてきたのは、
まぎれもなく「ものづくり」の世界だったから。
子供を望んだのも私、
子供を望むのであれば、
年齢の締め切りを意識せずにはいられませんでした。
そもそも「授かりもの」であって、
必ずしも当たり前のように授かれるとも限らないのだ、
とも。
「選択は、何を選んできたかではなく、
何を捨ててきたか知るべき」
人生は選択の連続で、
それらが連なって、過去から現在に、
また現在から未来に繋がっていきます。
選ばなかった道を知ることで、
選んだ道を自分の意志で踏みしめていくことができる
ような気がします。
子供が生まれることに関しては、
締め切りを見据えての、
今現在の私にとって最善の選択であったということを、
常に心にお守りのように持ち続けていたいと思います。
(sen)
<考えないで生きろ>
期限がないとほとんどの制作物は完成しないし
チケットに期限がないとスポーツジムにさえ通わない。
期限がないと人間は怠慢で何かを成しえない
期限は必要。
しかしながら女性の妊娠の期限はあまりにせつない。
その若さと体力の万全な時期に
お金がない。病気である。仕事が忙しい。介護がある。
相手がいない。いいつくせない障害物がありすぎる。
将来の孤独が見えると
にぎやかなご家庭は羨ましい。
羨望はあまりに愚かしい。
自分で選択したのか運命なのか。
子の里親にも年齢と収入の制限があり
犬の里親さえ同様なことに衝撃を受けました。
しかも犬の世話も最期は介護だよと。
生き物の終焉の切なさよ。
自分の幸せのなんたるかを運命に翻弄されながら考える
50代。どんな期限。
できれば考えないで生きろと思います。
考えたって仕方ない。逃げるのではなく。
どうにもなら無い事です。
「あるものを愛おしみ。できることをする。」
この理想は自分につきつけられた今世のテーマ。
期限というものには「ため息」しか出ないこのごろです。
(いそじの女)
<どの人生を選ぶかよりも>
私は、長く受動的な選択をしてきました。
その選択方法では、どの人生を選んでも、
恐らくよい結果は得られなかった。
意思のある選択を、していこうと思います。
(恵子)
<生物の自分、人間の自分>
私はズーニーさんと逆に、
DNAを残すために仕事をやめた方です。
子は3人いますが、
子や配偶者が、孤独や介護を担保してはくれないと
いつも心に言いきかせています。
最終的に1人で死ぬのは、
子がいようがいまいが、皆同じです。
出産開始は30才から。
公務員を辞めて田舎の民間人に嫁ぎ、
子が授からなかったら後悔していたかもしれません。
人生の選択は、究極のばくちだとつくづく思います。
今ならば仕事というもう1つの自己実現を追う人が多いし、
仕事は大好きなのですが。
自分のDNAを残したい、という
生物としての欲求が人の根底にあるのは事実でしょう。
子がたくさん元気な声をあげて遊ぶ
大家族を見て心が騒ぐのは本能的反応だろうと思います。
ただ人間は、
自分の思いを伝えたい。残したい。
だから残す手段を考えます。
それが芸術だったり、文章だったり、
誰かを育てることだったりします。
生きている間楽しませてくれ、
ケアしたいという欲求を満足させるをいう点では、
ペットも人の子も同じだと思います。
しかし自分の死後に残すものとして考えた時には、
血縁であるかないかに関係なく、
誰かを支援したり、作品を作ったりできます。
1人で生まれ、1人で死ぬ。
ただ、死ぬ時に死人は自分で自分に土はかけられない。
生から死までの間に何を育てるかを
選ばなくてはなりません。
(人それぞれ)
ズーニーです。
最初のY子さんの
締め切りを過ぎた世界からのメッセージで、
自分がいま、
「自分の体のどっこも痛くない、
寿命を迎えた友人が次々に亡くなっていくこともない、
電車に乗って遠くにゆける」
夢のまた夢のような日々にいると思うと、
込み上げてくるものがあります。
そして、子どもを生まなかった私は、
「もし人生の交差点で、
向こうから、子どもを連れ子どもを抱いた
パラレルワールドのもう一つの自分が歩いてきたら、
すれ違いざまに何が言えるか?」
と考えています。
まだ考え中ですが、とても晴れやかに
胸を張って話せる私がいます。
最後にこのおたよりを紹介してきょうは終わります。
<捨てたものの重み>
「選択は何を選んだかより、
何を捨てたのかを知るべき」
という先週の言葉が、胸に刺さりました。
大学進学のため、
田舎から上京して5ヶ月。
新しい暮らし、出会いを満喫し、
充実しているつもりでした。
しかし、夏休みに数日間だけ帰省。
自分が捨ててきたものの重みに気づかされました。
大切な家族や友人、恋人に囲まれて、
幸せだった生活を、
どうして私は自分から手放してしまったのだろう。
ずっと憧れだった大学、
猛勉強の末やっと掴み取った合格。
あれほど行きたかったはずなのに。
残してきたものの大きさと、もう戻れない日々の懐かしさ。
東京に戻ってから私は、
この4年間で
“置いてきたものの重みに値するだけの何か”
を自分は手に入れられるのか、自問し続けています。
簡単に答えの出せる問いではありませんが、
考え続けることで掴める何かがあるのではないかと
思います。
先週の、
「選択の際、自分が捨ててしまったものの
素晴らしさを知るのはツライ。
でもそこを引き受け、乗り越えることで、
残りの人生、倍輝く。」
という言葉は勇気を与えてくれました。
いつか胸を張って「ただいま」って言うために。
この街で、もがいていきたいと思います。
(H)
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