Lesson748
もう一つの人生―3.さらに読者の声
「あの人生の岐路で、別の道を選択していたら?」
そんなふうに「あの時、‥‥れば、‥‥たら」と
考えるのは、
めめしいことだと、昔の自分は思っていました。
「ふりかえらない、前しか見ない」と。
でも、最近、
単純に年の功なのか、
おぼつかない足取りで、失敗だらけですが、
「自分の想いを表しながら」人生歩めているせいか、
SFで言うところのパラレルワールドを生きる
たくさんの自分を直視できるようになりました。
子どもを生んでたかもしれない自分も、
会社員を続けていたかもしれない自分も、
想像できるし、そこに悔いなく、
晴れやかな気持ちの自分がいます。
「これしかなかった」と生きるのも強いことです。
でも、岐路、岐路で別の道を選んだであろう
たくさんの私を想像し、受けとめつつ、
そんなたくさんの私と平行して、
「この道を歩いていく」
というのも、風通しが良くて豊かだ
と思うようになりました。
先週に引き続き、
読者の声を紹介します。
<波、のち、希望>
先週のコラム、皆さんの、
正直な言葉が胸に響きました。
私は自分で「子供を持つ可能性」のドアを締め切りました。
10代の頃からずっと婦人科の治療を受けていて、
32歳の時に子宮を摘出。
あれから5年が過ぎました。
治療法はなくはない。
もしかしたら子供を持てるかもしれない。
でも、今のつらさから早く逃れたかった私は
手術を受けました。
スッキリ感が勝つかと思いきや、
後でやってきたのは大きなガッカリ感。
それは、小さくなったり大きくなったりしながら
私を揺らしました。
しかし、去年あたりから少し様子が変わってきました。
友達の子供を見ても素直にかわいい。
ゴールデンウイーク、盆、正月に親戚や友達に会っても
後で泣かなくなった。
誕生日を楽しく迎えられた。
やっと波が本当に小さくなったのかな。
今はパートタイムで働きながら、家事を引き受けています。
退職して畑仕事を楽しむ両親と、
週末婚を選んで一緒に暮らす兄のために、
食事やお弁当、たまにおやつを作ったり。
まるで3人の子供を育てているようです。
こんな事なら、怖がらずに
結婚も出産も早くしておけば良かったな。
それでも私は今、
決定的に逃したと思っても
似たような経験を与えてくれる人生の深さと広さに
感動しています。
いつか、外国人留学生のホストファミリーになろうかな。
日本の大学生の下宿先でもいいかな。
私も誰かのお母さんになりたいな。
(眼鏡ぐま)
<流れのままに>
先々月43才になりました、独身者女性です。
先月妹が出産しました。
なにかしらの負の感情が湧いたりするんだろうか、
先を越された、とかそういう嫉妬を感じるのかな、
と思いました。
しかし全くなく、
無事に産まれて良かった、かわいいね、
と嬉しい気持ちしかありません。
正直家族を持つとか子供を持つということが
よくわからないのです。
締め切り日がまだまだあると思っているのかな、
と思う時もあります。
だからのほほんとしているのかな、と。
わからないです、本当に。
流れのままに行きたい、行くのだなと感じいます。
それが悪いことに思えないのが正直な気持ちです。
(サンゴ)
<選択された私>
「選択」「何を捨てたか」
皆さんのいろいろな想いに心動かされました。
私は、選択された者です。
3人目の娘は重度の知的障害者です。
19歳。
2歳の知能があるかどうか。
言葉は出ず、いらだつこともなく、野生に近い。
でも、養護学校の中学生のころ
親としての私を求めてくれるようになりました。
目が合い、ニコっとし、抱きつき、チューをします。
報われた気がしました。
娘がまだ2、3歳の時、
ベテラン看護師さんに
「あなたは選ばれたの。
この子を育てられるのはあなたしかいない。
この子があなたを選んだんだよ」
と言われたことを思い出しました。
選択せず、捨てたものはなく、
選択されて、拾ってもらった私の人生です。
(M)
子どもを生んだ人も、
生まなかった人も、
流れのまま行きたい人も、
先週から、いろんな立場の人がいて、
ひとつ場で想いを共有できるのがいいなあ
と思います。
そして、社会もそうあってほしいと。
少し前から「婚活」というのが、
はっきりとした社会問題として言葉を与えられ、
いま「妊活」という言葉が出てきて、
そこに「卵子老化」とか「卵子冷凍」とか、
「人工授精」とかが加わり、
本当は「男性と女性」の問題なのに、
なぜか女性の問題のように扱われることも多く、
年齢という締め切りがあって、
これからの女性は、外側から選択を迫られる
ことも多いかもしれませんが、
1つの典型にとらわれて、
生き方に優劣をつけたり、
ましてや勝ち負けのレッテルを張ることが無いように。
それで女性の生き方が窮屈になってしまわないように。
自分の想いから、人生を歩いて行けるように
と願います。
最後に、先週紹介したこのおたより、
「老人の世界では病気が普通で、
とりとめてどこも痛くはない、とか
電車に乗って遠くに行く、とか
夢の夢みたいです。
毎月のように親しい人の訃報が届いて、
私の年で経験したら悲劇的な事が
日常的に起こって‥‥。
締め切りが過ぎた世界を目の当たりにして、
私は焦り始めてます。
今、好きなことやらないと、
体が動かなくなっちゃうんだ。
今、興味あることをしておかないと、
感受性も、鈍くなっていくんだ。
興味が出ること事体、若いから出来る事なんだと。」
(「締め切りを過ぎた世界から」Y子)
このおたよりに来た反響を紹介して
きょうは終わります。
<生きるを面白がる>
先週の読者の方の
「締め切りを過ぎた世界から」を読みながら、
ベッドの上で静かに衝撃を受けました。
私は、仕事を辞めたいなぁなんて思っていたところでした。
現在28歳。
どっこも痛くないし、遠くまで出かけられるし、
体力を気にせず遊べます。
ただ、仕事にあっぷあっぷして、
ほとほと疲れていて、
気持ちが消耗する今の仕事から解放されたい
という思いが湧きました。
今恋人がいないので、結婚・出産適齢期に、
私はなんでこんなことになっているんだ。
こんな仕事より女性の幸せの締め切りを大事にしたい、
こんなことなら仕事を辞めたい、と思っていました。
そんな時に「締め切りを過ぎた世界から」を読みました。
すると、今私が行きたいと望んでいる、
無理しない、体をあまり使わない、
感情の起伏があまりない、
そんな一見穏やかな生活は、
切ないものなのかもなと少し感じました。
傷ついたり頭にきたりして消耗したり、
その分誰かの思いやりが嬉しくなったり、
これでもかというくらい体を使って疲れたり、
その分久々のお休み前夜の布団の中が幸せだったり、
そういう振れ幅の大きいのって、
豊かに生きるってことなのかなぁと思いました。
行きたい世界は豊かだと思っていたけれど、
行きたい世界の切ない現実の側面を見た気がして、
ちょっと気づきました。
今のうちに、生きてる感じ、面白がろうかなぁ
と思ってきました。
(hotaruuuuum)
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