YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson750
   自分の波をのりこなす−2.読者の「波」


悲しみも、怒りも、
押し寄せては引き、また押し寄せては引く

「波」。

そうとらえてみたら、
「とりあえず、いまのこの波が治まるまで」
と我慢しやすいし、

だんだん波が来る間隔が長く、
波そのものが小さくなってゆくのに気づく。

「治まらない波はない。」

だから、だいじょうぶなのだ。

という前回のコラムに、
読者からたくさんおたよりをいただいた。
今週は読者メールを紹介する。

激する感情と、読者はどうつきあってきたのだろうか?


<深い傷を負った2人の母>

前回のコラム「自分の波をのりこなす」を読み、
2人の人物が浮かびました。

まずは、私の母です。

私の母は、
戦争で父親を失い、
経済的に苦しい家庭で育ち、
大学に進学できず、
夢だった教員になる事を諦めた過去が

深い心の傷となっています。

兄と私には、自分ができなかった事をさせてあげようと、
何でもやらせてくれる母でしたが、
時おり、

当時の悔しかった思いが波になる時がありました。

それが、母の「波」でした。

兄よりも、同性の私が大学であったことなどを
家で話すと、突然、

「お母さんが大学に行けなかったことを
 知っていながら、わざと楽しい話を聞かせるのね」

と、泣きながら責められたことが、何度かありました。

若かった私は、
母が私の幸せを喜んでくれないこと、
自分の過去を私に押し付けようとすることに、
納得のいかない気持ちの方が強かったのですが、

それから20年以上が過ぎ、

自身も様々な経験を重ね、
成し遂げられずに後悔の想いが残ったことほど、
後で波がくると知りました。
ただ、未だ母ほどの感情を爆発させたことはないので

母の悔しさ、心残りは
相当なものだったのだろうと思います。

母も今は70代の後半となり、大きな波はなくなりました。
でも、想いは想いとして残っており、
昔話という別の形をとって、小さな波がたまに来ています。

傷が癒えた訳ではなく、時間の経過とともに、
緩やかに諦めていけたのではないかと思います。

もう1人は、夫の母です。

義母は、義父に繰り返し浮気をされ、
深い傷と義父への執念が、心に刻まれました。

義父と別居をして何十年も経った現在も、
義父を監視し、
浮気をしているのではないかと疑い続けています。
さらに、夫や義妹にも、不満をぶつけ続けています。

義母の場合、
苦しみから抜け出すことを自ら拒否し、
義父を恨み続ける人生を選びました。

新しい人生を踏み出すより、その場に踏み留まる方が
たとえ気持ちが晴れなくても、楽だったのかも知れません。

でも、どうしても時間が経てば、波小さくなっていきます。

そのため、あえて波を起こし続けるために、
義母は、存在しない事実を疑い続け、
人の好意を拒絶し、
結果、家族から距離を置かれ、

とても孤独な人生になりました。

結婚後、私は定期的に手紙を送っているのですが、
もちろん、返事をもらったことはありません。

人生で深い傷を負った2人の母。

その後の生き方で、こうも人生が変わるものなのだと、
母たちを見て、学んでいます。
(朋子)


<波間を縫って、行きたい場所へ>

感情の波が襲い掛かってきた時、
どうふるまい、
どう波と向かい合うのがいいのか。

自分は無力なヨットのように思います。

しかし一方で、
ヨットならば、波の合間を縫って動けるし、
帆を操って風上にだって動けるはずだと言い聞かせます。

波や風をコントロールすることは出来ませんが、
ただ翻弄されっぱなしということはありません。

行きたいところにはいけるはずです。

波が来た時に、
順風満帆で進んでいた時と同じように進もうとすると、
消耗してしまいます。

ただ今までと同じようにいたいだけなのに、
それが大変なことになってしまう。
当たり前のことが当たり前でなくなってしまう。

それがつらい。

その時にはあえて波に翻弄されながら、
浮いて待つ。
あるいはゆっくり進むというやり方もある
と思えれば、ずいぶん楽でしょう。

波が収まったとしても、また新しい波が来ます。

でも一度経験した波ならば、余裕を持って迎えられます。

また、波の中にいるのは自分だけではありません。
それぞれの人にそれぞれの波があります。
お互いが波と向かい合っているのだと思えるとき、
そこにいるのは同志です。

辛い波に翻弄されながらも、
一生懸命生きている人への敬意もそこから生まれます。
(たまふろ)


<悩みの仕分け>

ずっと自分で消化できなかったことが、
いつの頃からか自分で解して、
消化し始めることができるようになった

ということは、一定年齢を超えた人であれば、
大なり小なり身を以て経験されていると思います。

私は、クレームや問題処理を主として
解決支援をする仕事をしています。

以前の私は、
仕事もプライベートも
怒りや哀しみを引き起こすトラブルがあった時、
打ちのめされて苦しんで‥‥を繰り返していました。

まさに、感情を振り回され、すり減らす状態でした。

しかし、ある時、
毎度訳も分からず、昼夜問わず
突然やってくる怒りや哀しみを
苦しむ作業に疑問を抱きました。

そもそも、何で私はこんなにいちいち苦しむんだろう?

冷静に考えてみると、
感情を揺さぶっているのは、
「予想が外れた出来事」
「人から言われた言葉」
など外敵要因が大きく関わっている為、
自分の力では防ぐことはできないことが分かってきました。

そうならば、起きたことへの自分の受け取り方を
変えていけば良いのかもしれない

何だかふと腹にすわりました。

勿論、吹っ切れて、放っておくのではありません。

自分で行動できること、
自分ではどうしようもないこと、

これを冷静に仕分けて、行動してゆくのです。

悩む時、
とにかく全てを丸ごと悩んでしまいがちですが、
悩みのパターンを選択できるようにすれば、
随分と悩みの精度が上がるかと思います。

また、出てきた答えもとても有益となります。

自分としてはどうしようもない現実や事実を
しっかりと調査し、
自分がどうするのがより良い答えに導けるかを
考えるのです。

災害やトラブルが発生した時、
緊急度が高い内容から優先順位をつけて
対応してゆくことが求められます。

それに基づけば、
悩むを分類して、
本当に悩むべきポイントを見定めた上でどうするかを考え、
行動化させてゆかなければ、堂々巡りとなります。

悩みだからと、
一から十まで全て面倒見ながら悩む必要はないと思います。
感情をすり減らすことも疲れます。

自分という人間を活かすためにも、

自分が生きやすくなるように考え、工夫するのが
必要かと思われます。
(ペリコ)


<いつかふたりが凪いだ日に>

前回の「波は必ずいつか凪ぐ」、

その言葉と内容が、とても胸に沁みました。
どんなに大きな波も、寄せては返すを繰り返すうち、
少しずつその間隔を長くしながら、小さくなっていく。
同じ状態が、ずっと、まるで壁のように続くわけではない。

あることがきっかけで、大切な人を怒らせてしまいました。
私自身も、その「あること」によって、
随分悲しい思いをして心は傷つきましたが、

私が悲しみ傷ついていることそれ自体が、
大切な人の、尊厳のような部分を傷つけ、
その結果怒らせてしまったのです。

どんどん発せられる怒りのパワーを前に、
私は、それ以上自分の気持ちを
相手にぶつけることが出来なくなってしまいました。

きっと、おおもとの原因は何であれ、
相手は私に傷つけられた尊厳を守るため、誤魔化すために、
怒りにすり替えているのだろうと思います。

どうすれば、怒りが収まるのだろう。
どうすれば、向き合って話し合えるだろう。
どうすれば、私の悲しみにも気づいてもらえるだろう。
このまま、二度と信頼関係を取り戻せなかったら
どうしよう。

ここ数日、ずっとそんなことばかり考えています。

先を考えると真っ暗で、
一気に谷底に落ちてしまったような気持ちでいましたが、

「波は必ずいつか凪ぐ」

と思うと救われます。

私の悲しい気持ちも「波」があり、
それと同じように、
相手の怒りとその裏にある悲しみにも
「波」があるのであれば、

いつかそれぞれ、
小さくなって穏やかになったときに、
きちんと向き合えるといいなぁと思います。
そうであってほしいと、心から願います。
(小さいごま粒)


<この時間も、この空間も、いつかは去り>

私は中学時代、いじめにあっていて、
毎日本当に学校に行くのが苦痛でした。

それでも、何とか乗り越えられたのは、

年の離れた兄姉がいて、
学校だけが全てではない、というのを彼らを通して
なんとなくわかっていたからなのかな、と思います。

もともとずいぶん冷めた子供だった
というのもあるかもしれませんが、
つらい中でも

「中学が終わるまで我慢すればいいんだ」

と思えたから、じっと我慢できたのだと思うのです。
その後も自分の居場所がわからずに
じたばたしたりもしましたが、
今は日本を飛び出して海外に移住して
10年以上になります。

あの時、
「今あるこの世界が全てじゃないんだ」
と思えたことが、
今思うと基本になっていて、
だから日本を離れることにも躊躇しなかったし、
もっと違う世界を見てみたい、
と思えるようになったのではないか、と思います。

だから、自分と同じようにいじめにあっている人などに、
伝えたいな、と思うんです。

「もっといい世界があるよ」

って。
いじめられてる世界だけが全てじゃない。

波、つらいことは、ずっと続かない、
と言うのと同じように、私も

「この先がある」

と思えたからこそやってこれました。
ほんちょっとの気の持ちようで、
ずいぶん生き方は変わりますよね。

ネガティブになろうと思えば
どこまでもネガティブになれるし、
同じような状況にいても
ポジティブになろうと思えばなれる。

なにごとも、自分次第。

まだまだつらいことはやってくるでしょう。
でも、そう、少しでもポジティブに考えられる見方が
わかったことで、ずいぶん気が楽になったかと思います。
(hana)


<Timeout>

私は元々感情の起伏が大きい上、
日本から、また家族や友人からも、
遠く離れた異国で暮らしているせいもあって、
何かあるたび感情の波がこれでもかと押し寄せてきます。

そんな時、これまではすぐに
考えうる限りの周囲の人に電話をかけまくって、
自分のうっぷんを延々と話しているのが常だったのですが、

あるきっかけがあってから、
自分の波とうまく付き合う、
少なくともうまくやりすごせるようになってきました。

まるで病気の発作が起きているのをこらえるようで、
最初はとても辛くて、たまらなかったけれど、

“朝のこない夜はない”とか、
“長いトンネルにも必ず出口はある”とか、
とにかく前向きなことばかり考えていました。
それとおまじないの言葉。
落ち着くまで何度も何度も繰り返します。

あとは友人から教わった、深呼吸をすること。
脳に酸素を沢山送るためです。

そうするうちに、
だんだん気持ちが落ち着いてくるようになり、
今では電話をかけることはあまりなくなりました。

悩んでも仕方のないことで悩むのは時間の無駄。
ただ自分で自分を不安にしているだけ‥‥
つまり全ては自分の内面から発しているのです。

このことにもっと早く気づいていたら、
夫とも別れなくて済んだのかな〜?

でも気がついて良かったです。
こちらの言葉(英語)で、

Timeout(タイムアウト)

という言い回しがあって、
喧嘩をした時や、子供を叱る時に使うのですが、
冷静になるためと、考える時間を持つために、
一人になるよう、その場を一時立ち去ることを意味します。

そうすることで、必要以上に相手を追いつめたり、
傷つけたりすることを避けられますし、
あとで後悔するような言動を自分に取らせないためにも
役立ちます。

ズーニーさんの言う、
“高い荒ぶる波が来ているその最中”をやり過ごす
いい方法なのでしょう。
(エリ子)


とりわけ印象的だったのが、
「深い傷を負った2人の母」の話だ。

わが子に爆発せざるをえないほどの
深い悔しさ心残りをかかえつつも、
家族と共に生き、子どもを大学にやり、

年とともに波を小さくしていった「お母さま」と。

夫に浮気をされた深い傷と執念で、
夫を恨み続け、
人の好意を拒絶し、
あげく、家族からも距離をおかれ、

孤立してしまった「お義母さま」と。

この差を読者はこう分析している。

「どうしても時間が経てば、
 波小さくなっていきます。
 波を起こし続けるために、
 義母は、存在しない事実を疑い続けた。」

自分でわざと波を起こし続けた、

その根底に、埋めようのない
「愛情への欠乏」
があったのではないかと私は考える。

自分で波を起こしながら、
「愛が欲しい」「愛が欲しい」と、
お義母さまは言っているように私は見える。

夫からの愛が大きく欠乏しているときに、
家族の愛や、ましてやご近所さんの親切のような愛は、
取るに足りないように思うかもしれないが、
そんなことはない。

周囲からの1ミリの愛も、積もり積もれば足しになる。

なんとか愛をチャージする方向に
切り換えることができれば、
自分でわざと波をつくる必要もなかったのでは。

私自身、
いつまでも波が引かないことがあったら、
自分にこう問いたい、

「自然に小さくなっていく波を、
 自分でわざと波立たせてはいないだろうか?」


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2015-09-30-WED
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