YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson752
   ヤケをおこしたとき、見るノート


「ヤケをおこしたとき見るノート」
を作っておきたい。

ヤケをおこすと人は思考停止になり、

自分を傷つけ、人を傷つけ、
場合によっては取り返しのつかないことを
しがちだ。

だから冷静なとき、自分なりの
「正しいヤケのおこし方」をノートに書き、
お金もはさんでおく。

私だったら、
羊羹の1本食い、
美容ドリンク1ダース飲み、
フカヒレ姿煮食い‥‥?

「ヤケ・ノート」を思いついたきっかけは、

中学で割腹自殺を図るも、
一命をとりとめ、のちに弁護士になった
大平光代さんの自伝を読んだときだった。

大平さんは、
親友と信じていた同級生からいじめにあい、
自分で自分の腹に刃物をつきたてた。

内臓に至る傷、その痛み、苦しみ、
のちのち後遺症に悩まされることになる。

いじめた人への恨み、はらいせ、
外に向けての抗議のつもりが、

「結局ぜんぶ自分に、はねかえってくる」

自暴自棄はわりにあわない。

と、そのときつくづく教えられた。

ヤケをおこして、
薬や洗剤、油など、
体を害するものを大量に
飲んでしまったという人もいる。

自暴自棄になって、
ツイッターに爆弾発言をし、
相手も自分も追いつめてしまった芸能人もいる。

ヤケ酒でケンカや傷害、
急性アルコール中毒で病院に運び込まれた人。

職場やご近所などのコミュニティーへ
暴露や悪口をふれまわり、
結局は、自分の居場所に、自分をいづらくした人。

大切な人にあたったり、傷つけたり。

「もっとましなヤケのおこしかたは
 なかったのかなあ?」

ヤケをおこす、
ようするに、日常を逸脱した行為でありさえすれば、
なんでもいいわけだ。

酒や毒を大量に飲むくらいなら、
コラーゲンやビタミンをいくら飲んだっていいし、
美容ドリンク1ダース飲んだっていいわけだ。

だけど、ヤケになった渦中では、
とうていそんなふうに頭がまわらない。

思考停止におちいると、人は、
「問い」を立てる範囲が恐ろしく狭くなってしまう。

夏休みが終わった始業式の日に
少年の自殺が増えるのは、
「学校へ行くか、自殺か」の二者択一の問いに、
思考が狭められ、がんじがらめになるからだ。

冷静になって考えたら、
ほんとうは、その2択以外に
いくらでも問いが立てられる。

学校に行かないで済む方法はないか?
きょう一日、自由に過ごせるならどこへいきたいか?
漫画の主人公はこういうピンチをどう乗り越えたか?

ヤケを起こしたときも同様だ。

問いが立たなくなる、
だけならまだいい。
悪い問いに、自分をからめとられてしまう。

だから、ふだんの平常心の、
思考が柔軟な自分から、
ヤケをおこしたときの自分へ、

「ヤケを起こすんなら、これをやれ」

とノートに書いて、
申し送っておく。

ヤケを起こすのだから、

適度に日常を逸脱する行為であり、
かつ、人さまに迷惑をかけない行為で
なければならない。

自分の心身を傷つけることなく、
あとあとツケもまわってこないヤケのおこしかた。

少し、お金もはさんでおく。

私のヤケ・ノートは、

「やけになっちゃあ、いかん。
 ここでふんばれば、絶対いいことがある。
 いままでだってよく、
 持ちこたえてきたじゃないか。」

という言葉からはじまる

「それでも、どうしてもヤケを起こすなら‥‥、」

絶対ネットはするな!
メールは書くな、
ツイッターに書き込みはするな、
パソコンから離れろ!

人を傷つけるな!
人のためだけじゃない。
あとから自分にはねかえってきて
自分もくるしむ。

酒は飲むな!
自暴自棄が加速して、すごくやっかいなことになる。

モノは壊すな!
あとで掃除をするのは自分だぞ。
すごくめんどうだぞ。
お金もかかるぞ。

ヤケ起こした状態で、
人にあれこれ言って行くな。
自分の価値を下げるだけだ。

人に相談するなら落ち着いてからにしろ。

「わかったな、
 じゃあ、ちいさく、かわいく、きっちり、
 ヤケをおこそう」

ということで、

羊羹のいっぽん食い、

美容ドリンクの1ダース飲み、

ふかひれの姿煮食い、

といった、いわゆる「ヤケ食い」からはじまり、

TSUTAYAなど映画配信サービスの月額会員になって
倒れるまで映画を観る。

紅茶が好きな私なので、
アフタヌーンティーをしばきに行く。

などが書いてある。

あたりまえだけど、
ヤケを起こしてないときに
書いているので、書きながら、だんだん内容が
前向きなことになっていく。

ヤケ・ノートのなかで、
幸いなことにまだ、私は、
羊羹のいっぽんぐいしか試してない。

銀座の老舗の羊羹一本を、

平常なときなら、
ちょっとずつ切って食べたり、
みんなでお茶しながら食べるものだ。

それを、銀の包みの上の方を破って、
一本手に持ち、
頭からむしゃむしゃ食べた。

結果どうだったかと言うと、

虚しい。

食べてるそばから虚しさが広がり、

「こんなことをしても何の意味もない。」

と思った。

「ヤケを起こすとはそういうことだ。」

それがわかったことに意味があった。

人さまに迷惑をかけず、
自分の肉体も傷つけず、
あとあとツケがまわってこないカタチで、

小さく、かわいく、きっちりと日常を逸脱し、

それでも、
ヤケを起こすことの虚しさ・無意味さの一端を
を実感できたのだから、
それだけでも、

ヤケ・ノートの価値はあった。

人間、ヤケをおこしちゃあいかん。

それでも人は弱いから、ときにヤケをおこす。
ヤケおこしてやる言動は虚しい。
おろかだし、無意味きわまりない。

日常に戻って、
コツコツまたがんばるしか道は無いのだと
思い知る。

それでもどーしてもヤケをおこしたとき、

あなたは何をやりたいですか?


ツイートするFacebookでシェアする

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2015-10-14-WED
YAMADA
戻る