Lesson759 分岐器
ものごとを悪い方へ、悪い方へ、
と考えてしまう時がある。
どんどん落ち込み、
不安が不安を呼んで、
しまいには、
もうこの先、自分には何もいいことが
ないんじゃないか、とさえ思えてくる。
先日、誕生日も近づいた日の夜、
私は、まさにそんな状態だった。
ここ何年か、くすぶっていた問題を
とうとう表面化させ、こじらせてしまい、
何日も、悶々としていた。
怒りと悲しみが
ぐるぐるし続ける時は、
私の場合、たいてい無自覚に
人を変えようとしているときだ。
人の想いは変えられない。
自分に都合よく変えることができたら、
こんなにラクなことはないけれど、
人の想いだけは、
努力でどうにもならないことも多い。
にもかかわらず、
そのどうしようもないものを、
「あの時、あの人が、ああいうことさえ
しなければ‥‥」
「あの人が、こうしてくれさえすれば、
私はこんなに苦しまずに済むのに‥‥」
「これから先も、あの人が、こうである限り、
私は苦しみつづけないといけないの‥‥」
と、悔しさ悲しさがどんどん募って、
自分は、あと何日で誕生日だというのに、
こんな形でこの歳を終えるのか、
こんな状況で新しい歳をスタートするのか、
と考えたら、
やるせなさがピークに達した。
そのとき、
「ちがう!」
と、自分の心の声がした。
「こんな形でこの歳を終えるのがやるせないのは、
人が何をしてくれないとかそんなせいではない。
自分が書くべきものを書いてないせいだ。」
時計を見ると、あと2時間足らずで、
きょう一日も終わろうとしていた。
きょう一日を、
腹を立てたり、憎んだり、悩んだり、
無駄に過ごしてしまった、と思ったら、
心の底から、「この言葉」と、
涙と、元気とが、いっしょくたに、込み上げてきた。
「人がどうしてくれたとか、くれないとか、
夢が叶ったとか、破れたとか、
そういう外側の状況で、
“だから今日一日が満たされない”なんてことには、
ならないはずだ。
今日一日、残された時間がどんなに短くとも、
自分の向かうべき課題に向かい、
やるべきことをコツコツやっていけば、
一滴一滴、心は満たされるはずだ!」
ガチャリ、と鉄道の進路が、
それまでと違う方向に切り替わるように、
私の中で、何かが音を立てて切り替わった。
そこからも、解決策は見つからず、
あいかわらず悩んでいたが、
3つ気づいたことがあった。
1つは、「怒るときは、恐いとき。」
自分の怒りの正体は、「コワイ」だなと。
そのことに気づくことさえ、たえられないほどに、
恐くて、恐くて、しかたがなかったのだな、
と自覚できた。
2つめは、「苦しみを引き受け続ける覚悟をしよう。」
安直な救済なんてものは、この世に無いんじゃないか。
何か一つの方法を仕入れれば一発解決なんてことは、
現実にはほとんどない。
現実の葛藤の中で、苦しんだり努力して、
よりよい行き方を編み出していくしかないことも多い。
それを自覚もなくそういうもんだとやっている、
それが若さかもしれない。
若い時はいつも苦しかったよなぁ、
でも、それもわるくはなかったよなぁ、と思い直した。
安直な道を探し出したら、衰えかも。
安直な道がどっかにあると思うから、
見つからなくてイライラするのだ。
「この問題と、長期戦でどっぷり取り組むぞ」と覚悟した。
3つめは、
「怒る」ことが、腹立たしいではなく、
「恐い」から来ているとしたら、
つまり恐くて恐くてしかたがないから
自分はキレるんだとしたら、
次の一歩は、「現実を見る」ことだ。
「まず、どんくらい恐いのか、
そのいちばん恐いものを、
両目をあけて真っ直ぐみてやれ。」
こっぱみじんになったらそん時はそん時、と
肝がすわった。
3つとも、何の解決策にもなっておらず、
出口のイメージさえ見つからなかったが、
「問題に対峙する心の余裕」
だけは、なにがしか生まれたような気がした。
恐くて逃げて、テンパって、
問題のスタートラインにも立てていなかった自分が、
「問題をじっと見るよ、
受け止めるよ、
長期戦になってもじっくり取り組むよ。」
と思える余裕ができた。
結果から言うと、
そこから、はからずも、次々と、
良い方へ、良い方へ、と事が運び、
最悪になるはずの誕生日は、
ここ数年でいちばん心温まる、
自分でもいちばん納得感あるものになった。
はっきり言って、今回は、
自分は、解決に向けて直接、何も動いておらず、
まわりの人のおかげで、
まわりの人のチカラで問題解決していただいていた。
でもひとつ、自分で動いた点があるとすれば、
悪い面から、良い面を見る方へ
視点だけは、移動した。
以前、読者の方が、
「ものごとには、必ず良い面と悪い面があり、
自分のあり方によっては、良い面が見えなくなる」
という意味のことを言っておられたが、
私も、あとからふりかえると、その件に関して、
良い面がまったく受け取れなくなってしまっていた。
その悪い面ばかりを見る方向に
走っていた進路を、
良い面を見る方向へ、ガチャリ、劇的に切り替えたのが、
この言葉だった。
「人がどうしてくれた、くれない、にかかわらず、
今日一日、残された時間がどんなに短くとも、
自分の向かうべき課題にコツコツ努力することで、
一滴一滴、心は満たしていける。」
人と人が一緒にいると、
だれが悪いわけでもなく、尊厳が傷つくこともある。
傷ついた尊厳を、
人に直してもらおうとすると、
人は自分の想いどおりにならず、
焦りや苛立ちがつのる。
けれど、いつでも、どんな状況でも、
だれがどうしてくれなくとも、
自分の向かうべき課題に向け
コツコツ努力することで、
「自分で自分を満たしていける!」
と思えば、心に余裕が生まれ、
ものごとの良い面が視野に入ってくる。
「自尊」、自己を尊ぶとは、そういうことではないか、
と私は思う。
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