YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson784 読者の声
     −先週の闇を昇華する表現について



地方に出張したとき、
知らないお店に入ると、

お客さんのほとんどがタバコを吸っている、

という光景に出くわすことがあります。
こどもの頃、昭和の時代は、
タバコもくもくのお店がよくあったと、

タバコ嫌いの私には、
苦痛でしかたがない空間なのですが、
懐かしく思い出します。

ふと、

「幼心にタバコの匂いは嫌いでも、
 人がタバコを吸っている姿は、
 不思議にいやではなかった」

なぜだろう、と思いました。
これは、あとで述べるとして、

先週のテーマ、

「自分の闇を、どう昇華させるか?」

について、
まず読者のおたよりから紹介します!


<闇とわかれば心は軽く>

「Lesson783 悪の表現」を読んで、
とても気持ちがスッと軽くなったので、
メールしました。

想いの闇は暗いとわかってしまえば、
あとはどう付き合うか

細田守監督の映画
「バケモノの子」を思い出しました。
(雄平 福岡県 27歳)


<私のなかの悪>

私の中での悪とは、
対人関係の中で、

「あなたの中で私が特別な存在であってほしいと
 望むこと」

です。
見返りを欲している自分に気づくとき、
私の人生においてそれは悪であると感じます。

感じるている、わかっているはずなのに
同じことを繰り返す。

それも私なのだと受け入れることから始めてみます。
(優)


<自分の闇に向き合えたから>

私の本当の姿は、
批判的・意地悪な目線など結構ダークな感じ。

人の考えていることを裏から見たり、
それを人に感じさせないないよう繕ったり。

でも主人は、
私のそんなところを見ることなく結婚し、

何年かすると段々本当の私が見え始めて
驚きが戸惑いに変わり、喧嘩になり、
別れたいまでに発展。

何回も思いとどまりなんとか19年すぎた今、
又同じことが勃発。

今までの自分だったら、
主人の思う枠にはまって
自分の思うこともやらずに言えずに
少し不満を持ちながらも生きてこれましたし、
これからもそれで生きては行けるでしょう。

でも60才を目の前にした今、

闇が本当の私であり、
闇ではない部分も又私、

これを理解してもらえない限り
今の生活は多分続けてはいけない
と感じている私がいました。

意地悪な皮肉屋な自分がそこにいるというとこと。

自分の闇に向き合えたから。
本来の自分に向き合えたから。

孤独も恐くないと感じてます。

本来の自分で生きてみようと思ったら
心が開けた感じがしました。
(N)


<まず前提として>

「悪」を昇華するためには、
前提として、何よりもまず、

「自分自身がその感情を受け入れなくてはならない。」

私は昨年、
それまで向き合わないよう
誤魔化しごまかししてきたものに衝突し、
そこからイモヅル式に
自分自身のこと,人間関係‥‥などなど、
多くの問題と対峙しなければならなくなり、

非常に困惑しました。

それまで、
感情を言葉で整理するという表現方法に
たよりきっていたわたしにとって、

「言葉に表現できないネガティブ感情」

というのは
非常に受け入れがたいもので、

その時に初めて、
わたしはこれまでネガティブな感情を
自分自身で拒絶していた、
受け止めきれていなかったのだ
と痛感しました。

今では、
無理に言葉にできないときはせず、
ただただポジティブな感情もネガティブな感情も
すべて素直に自分の中で受け止めるようになりました。

もちろん、
そんな自分に対して嫌になることも
イライラすることもありますが、
前よりも格段に生きやすくなったのは事実です。

ポジティブとネガティブ、光と闇とが
共存できるようになった気がしています。

まだ表現方法は模索中ですが、
ポジティブな感情を表現できるように、
ネガティブな感情たちも、
うまく昇華していけたらなと思います。
(ルリ子)


<女優の解毒>

毎朝自慢出来るような子供のお弁当を作り、
汚れや毛玉のない可愛い服を着せ、
常に洗いたての靴を履かせて送り出す。

本当はだらしなくていい加減で面倒くさがりな私。

子供が恥ずかしい思いをしないように、
人から悪く思われないようにと必死になる程、
本来の自分から離れていく。

きょう私は、朝からみたらし団子食べて、
昼寝して、ダラダラしていました。

これが私にとっての、女優の解毒。

これで解毒出来るなら安いもんです。

誰に請われた訳でもないのにいいお母さんを演じる私。

そんな自分に嫌気がさすこともあるけれど、
これからも演じ続けていくでしょう。

母親役、妻役。
そう割り切るのも案外いいのかもしれません。
(東京都 パニパニ)


<私にあった方法がきっと>

どんなに明るい人だって、
闇の部分は必ずあると思います。

それを見せないのが大人で、
かっこいいんだと思っていました。

自分もそうでなければ

と年を重ねる毎に強く思っていくようになります。
しかし何かの拍子に悪の部分が現れる時って、
あると思います。

そんな時いかにして悪を表現するか、
役者ではない私なりの昇華の方法がきっとあるはず。
(rin☆rin)


<人の闇も認めて>

人の思いの底の暗さという発想、
それも含めて人間なんだろうと思いました。
若い人と接する時にも、この深い人間認識を
忘れないようにしたいと考えました。
(A.T)



「本人が自分の闇を受容しているかどうか?」

これが大切だと、読者のおたよりに
気づかされます。

タバコが嫌いな私でも、
幼心に不思議に人がタバコを吸う姿を
嫌いではなかったのは、

タバコといういかにも体に悪そうなことをしつつ、
人が、自分のなかにしまいわすれた闇と、
しばし交信する時間であったからではないか、

と思います。

時代の流れのなかで、健康面でも、
タバコはどんどん吸われなくなり、
それは本当にいいことだと思います。

一方で、漫画やアニメ、ロック、芸術などで、
人の闇の部分を請け負ってくれるもの、
一緒に昇華してくれる作品は、
ますます豊かで自在になってきていると感じます。

私の場合は、
無意識・無自覚に抱えていた闇を、
六つ子たちが、代わって言動に表してギャグにしてくれた
アニメ「おそ松さん」が放送されていた半年間は、
たいへん解放されました。

六つ子たちが、
あまりにも人間のクズの行動をとるものだから、

表現されなかった「善」がたまりにたまって、

まるまる1人分の人間=「神松」という弟を
この世に生み出してしまい、
その弟があまりに善良であるがゆえに、

六つ子がさらに、闇へ、悪へ、進んでいくという
「神松」の回は、痛快でした。

最後にこのおたよりを
紹介して終わりたいと思います。

たしかに、
人の想いには、さまざまな想い、
光も闇も入り混じるものなので、

どんなテーマであろうと、

表現する場を得て
書き続け、そこに想いを注ぎ続けていれば、
無自覚・無意識に闇の部分もそこに混ざって
表れ出でて、自然に昇華されているということ、
あるなと思います。


<自ら表現する場を求めて>

会社のお昼の時間に、
同僚の女性数人と話すことが苦手で、
愛想笑いをして聞き役に回っているものの、

本当は話したい、私自身の意見を言いたい

気持ちはくすぶっていました。

そんな時、
あるラジオ局でモニターの募集があり、
応募して、することになりました。

それから毎月番組を聴き、
意見をレポートすることで
清々しい気持ちになっている自分を発見しました。

自分自身の気持ちや表現する場所は
きっとあると信じて、
これからも求めていこうと思います。
(苺)


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2016-06-15-WED

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