YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson785
  いい子の仮面を被るまえにできること



看護師を志望する学生108名に、
「伝える技術」を実習する機会に恵まれた。

8週にわたり、
看護に特化した学生たちの内面に触れ、
強く気づかされることがあった。
それは、

人にいい顔をすることと、「利他」は、
根本的に違う、ということだ。

看護をめざした彼らや彼女らのなかに、

「強い利他の精神」

がある。
そのことに打たれた。

中国から来た留学生は、

2008年の四川大地震のとき、
ボランティアを申し出たが、
年が若すぎることと、医療知識がないという理由で、
断られてしまった。
そこで、

「こんどはしっかり専門知識を身につけて、
 災害に苦しむ世界中の人々を支援したい」

と看護の道を志した。

またある女子学生は、
看護を志した理由を、

「あらゆる人に平等に接することができる仕事だから」

と言う。
差別に苦しむ人を見てずっと胸を痛めてきたと、
全ての人に分け隔てない看護をすることを通して、
差別に苦しむ人が社会に向き合う勇気を得、
ひいては、社会そのものから
差別がなくなっていくようにと。

フライトナースを目指している学生もいる。

緊急であるがゆえに、
そこに待つのは死と隣り合わせの患者さんたちだ。
自分が少しでもミスをすれば即、命にかかわる持ち場。
それを承知で、病院で待つのでなく、
ヘリで患者のもとに、
こちらから飛んでいきたいのだと言う。

看護の仕事が、過酷であることを
彼ら彼女らは1年生なりによく知っている。

母親が看護師だったり、父親が消防士だったり、
命をつなぐ仕事に就くことが、どれだけ、
自己犠牲を要することか、覚悟している学生も多い。

それでも、

「心の中にずっと
 だれかの役に立ちたいという想いがあった」、
「苦しんでいる人を支えたい」、
「何かせずにはおられない」

彼らや彼女らの心根に
決して綺麗ごとではない「利他」がある。

そこから私が学んだことは、

「まっすぐ人のことを考えて、
 人が少しでもよくなるように、
 自分のできることをしていけばいいのだ」

というシンプルなこと。
できることが無かったり少なかったりしたら、
知識や技術を身につけ、訓練して、増やしていけばいい。

人に良いように、と立ち働いていけば、
自然に自分は社会とつながっていくし、
孤立することはない。

「これがひらく、ということだ。」

なんだ、そうか!
というような、気づいてみればあたりまえの
大切なことを学んだ。

反射的に私に浮かんだのは、

「いい子の仮面を被ってきた」

という生徒たちの数々だ。
「人の顔色をうかがい、人によく思われようと、
 自分を出せずに生きてきた」と苦しむ人は、

私が教育の仕事をしてきた30年以上もの間、
ずーっと途切れることなくいる。
中高大学生から大人までどんな世代にもいる。

人の顔色が気になるとき、

人の思惑を恐れて、保身にまわれば、
「いい子の仮面」を被ることにもなりかねない。

それは結局最後には、「利己」にむかう道だ。

恐れるのではなく、人を「尊重する」、から始めてみる。

空気を読むという表面ではなく、
もっと積極的に、その人の想いや苦しみを「感じ取る」
ことに努力してみる。

人に媚びる・媚びない、自分を出す・出さないよりも、
もっと本質的に、自分を人に役立てることを実行していく。

そんな「利他」へ通じる道もあるんじゃないだろうか。

人の顔色が気になるとき、
私自身に、こう問いたい。

「恐れて保身にまわるのか、尊重して利他に励むのか?」

ツイートするFacebookでシェアする

山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2016-06-22-WED

YAMADA
戻る