Lesson789
「選択」の時、いちばん大事なもの
「どうしても、“はい”と言えなかった
ことは、ありますか?」
ともだちから、SNSでこれ拡散して、
と頼まれたとき、
就活で、親や先生に、こっちの会社にしなさい
と言われたとき、
はい、と言えばおさまるのに、
どーーーしても言えない、そんなとき、
あなたのなかに「想い」がある。
想いは、いま、この瞬間にも、
あなたの中に生まれ、知らぬ間に育っていく。
私が、
どうしても、はいと言えなかった、
それは、
会社に勤めて16年目の冬だった。
それまで私は、ずっと
小論文編集長として、
ピーク時、全国5万人の会員を持つ
小論文通信教育の企画・編集・プロデュースをしていた。
16年目に人事異動で、ちがう部署に行くよう命ぜられ、
異動先の上司は言った。
「山田さんの、
16年の編集経験を全部捨てて、
アタマ真っ白にして、ウチに来ること。」
“マニュアル化”
が進んでいたのだ。
会社は、急に大きくなって、
人の入れ替わりも激しくなった。
ベテラン編集者1人に頼ったものづくりでは、
その1人が抜けたとき、ガタガタになってしまう。
だから、
人が入れ替わっても、
2年目3年目の若い編集者たちでも
常に一定のものづくりができる
「システム」
を作ることを異動先は命題にしていた。
私は、「はい」と言おうとして、
なぜか、どーしても
はいと言うことができなかった。
会社で異動を断るとは、辞めることだ。
円満に辞めるには、
春からの体制に迷惑をかけないよう、
4日で決めなければならなかった。
そうなって初めて、
自分のなかに、なんだかわからないけれど、
「想い」
があると知った。
想いは、
おなかに授かった胎児のように、
生命力がとても強い、反面、とても脆い。
「想いとうらはらな言動をしてしまった
ことは、ありますか?」
想いは、自分のものでありながら、
実は自分でも、よくわかってない。
想いは、言葉でポンポン出てくるような、
わかりやすい、目に見える表面にはない。
目には見えない水面下、
といっても、
ぶっちゃけて、吐露するような
浅いところにも、まだなく、
自分の内面の底の底に、
まるで地球のマグマのように、ある。
小論文の用語で、
筆者の最も根本にあり、
ものの考え・価値観のベースとなる
想いのことを、
「根本思想」
という。
だから、自分の想いが何かを知るには、
自分に聞いてみなければならない。
「自分に問う」
これが、「考える」、ということだ。
会社に残るか辞めるか、
運命の4日間に、私がやったのも、
「考える=自分の想いに問う」
ことだった。
自分に質問し、自分で答える。
出てきた答えに、また問いかける。
これを粘り強く、
「あっ、私は、実はこう思っていたんだ!」と、
はっきりするまで繰り返す。
まず、視野を過去へ。
「いままで生きてきて、自分が最も
生き生きしたのはいつですか?」
私は、それまで
高校生の「考える力・書く力」の育成をしてきた。
最初の10年、高校生たちは、みな同じような文章を書き、
いっこうに自分の想いを書けるようにならなかった。
それが、11年目、
書く前の、「考える」作業を着実に積み上げさせたところ、
高校生たちは、見違えるほど、実感が伝わる!
ひとりひとり個性が違う! 文章が書けるようになった。
それが、在職16年で私がもっとも生き生きしたときだ。
次に、視野を現在へ社会へ。
「いまの社会や人々を見たとき、
自分のやるべきことは何だろう?」
当時、社会はメールを使うようになり、
自分の想っていることが、うまく相手に書いて伝えられず、
誤解されたり、すれちがったり、苦しむ人がたくさんいた。
自分がやってきた、「考える力・書く力の教育」は、
高校生の受験だけでなく、大人にも子どもにも
ますます求められていると知った。
そして、視野を未来へ。
「5年後、10年後、理想が実現できるとしたら
人や社会はどうなっていくといいか?」
自分の頭で考え、
自分の想いを、自分の言葉で表現できる人が
1人、また、1人、と増えていけば、
日本はもっと面白くなる!
私は、そう確信した。
4日目の朝、
「会社を辞める」
という答えがはっきり出ていた。
ふりかえると、私は、
小学校→中学校→高校→大学→会社と、
箱を乗り替えるように、
進路選択してきたにすぎなかった。
今いる箱を押し出されそうになって、
時間切れになって、あわてて、
「次の箱をどれにしようか」と、
あたふた選択肢をかき集め、
どっちが上か、どっちが有利か、
選択肢どうしを比較はしていたけれど、
自分の想いに問うことはせずにいた。
生まれて初めて、自分の想いの底から、
「こう生きよう! 会社を辞めよう!」
と決めた、
朝の風景は、
それまでとぜんぜん違って見えた。
風が透き通って気持ちいい、
光も木々も、今生まれたてのように生きていて、
空は、哀しいくらい、どこまでもどこまでも澄みわたって、
痛いほど美しい朝の風景だった。
「あなたが後悔していることはなんですか?」
未来はだれにもわからない。
なにが正しい選択か、間違いか、
未来に行けない人間にはわかるはずもない。
でも、表現教育を通して、
たくさんたくさん人の人生を見てきて、
自分も失敗しながら無数の選択をしてきて、
これだけは言える!
「想いに忠実な選択をした時、人は後悔しない。」
この先、人生の岐路に立っても、
コツコツと、地道で面倒くさい
「自分に問う=考える」ことをやっていきたい。
そうして、あの朝のように、
自由と孤独が残酷なまでに染み透り、澄み渡る、
「想いを表現して見る別格に美しい風景」
を、もう一度見たい
と私は思う。
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