Lesson819
読者の声―先週の「助けてと言えない」について
先週のテーマ「助けてと言えない」には、
たくさんおたよりをいただいた。
「自分も助けてと言えない」
「こうして今は言えるようになった」
読者の実体験からくる言葉が腑に落ちる!
さっそく紹介しよう!
<失敗してつかんだこと>
私は「助けて」が言えず、
最初の就職先で失敗しました。
人間関係がつらかった時、
手を差し伸べてくれた先輩がいたのに、
「その気持ちだけで十分嬉しい」
と返事をしてしまったのです。
弱さを見せることは、プライドが許さなかった。
こんな自分に、先輩を付き合わせてしまっては申し訳ない。
結果的にどんどん状況は悪化してしまい、辞めました。
もっと踏み込んで、助けてが言えたなら、
違っていたのではないか。
次の就職先では、
「自分の出来ないことも、さらけ出そう。
その分、誠実に自分の出来る限りのことをしよう」
と決めました。
結果、楽しく仕事に向きあえ、
まわりを見る余裕も出来て、
他人に優しくなれた気がします。
そうした経験をへて、いま妊娠しています。
助けられる側になって、
足が遅くなり、並ぶ友人にゆっくり歩いてもらう。
電車で席を譲ってもらう。
重いものを持ってもらう。
難なくやっていたことが出来なくなった時、
他人の優しさがこんなにもありがたいものか
と、身に染みました。
迷惑になることを恐れるよりも、
感謝してうけよう。
この経験が、
他の妊婦さんだけでなく、
障がいがあってゆっくり歩く人、
重いものが持てないお年寄りだったりに、
何処で声をかけたらその方が助かるか、
一つの理解につながるのではないかな
と思っています。
(さんご)
<すでに私たちは>
子供の時にはいろんな人に助けてもらって、
誰しも大きくなったはずです。
人に助けてもらうことなしに生きていくことは、
あり得ないことで、
私たちは知らず知らずのうちに
誰かに助けてもらっているはずですし、
誰かを助けています。
困っている時というのは、
知らず知らずから一歩ふみだして、
「自分から能動的に助けを求めなくてはいけない時」
なのでしょう。
勇気がいります。
弱っている自分を相手にさらけ出すことですから、
断られた時などは結構へこみます。
ですが、
「普段から自分たちは
助け合う網の目の中に生きているのだ」
と思えば、助けを求めることもハードルが下がる
ように思えます。
(たまふろ)
<期待して、裏切られて>
変なプライドが邪魔をして、
助けての言い方を間違ってしまう。
「そっちが勝手に手伝ったんだよね」とか。
「別に助けてなんて欲しくないし。」
「私は自分で何でもやっていくんだから。」
助けてほしくないって言いながら
何かを期待して、
期待が裏切られると相手に腹をたてて。
だんだんさみしい人になっていく。
助けてって素直に言えたなら。
きっと違う世界が待っているにちがいない。
(千代松)
<表現すること>
「できない」「わからない」「助けてほしい」
以前よりもそう素直に表現できるようになって、
気づいたことがあります。
「よわさを素直に表現するのはとても勇気のいることだ」
ということ、
そして、
「人は誰しも不完全であり、補い合って生きているのだ」
ということです。
ごくごく当たり前のように思えることですが、
わたしの場合、
自分が「できない」ことを素直に受け止め、
助けを求められるようになってから、
以前よりも、深い感謝の念を抱き、
他人の痛みや苦しみ、葛藤などに、
深く理解を示せるようになったと感じています。
「自分で自分を素直に認め、表現すること」
が、優しい関係を築いていくための第一歩
なのかもしれません。
(ルリ子)
<恩送り>
ペイ フォワード。(pay it forward)
私も20年以上前に
アメリカのお父さんから教えてもらった言葉です。
高校2年生の夏、アメリカでホームステイをしました。
ボランティアで受け入れてくれた家族はとても温かく、
楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。
帰国する前の日、
親切を受け取るばかりで何をしてあげられただろう、
と泣く私に
お父さんが言ってくれました。
「いつか、返せる時がきたら、
返せる人にあなたができる事をしてあげたらいい。
その人を私たちだと思って。」
お父さんは、私の帰国後すぐに病気が見つかり、
次の年に亡くなりました。
この言葉は私にとって、
大切な形見でありお守りでもあるのです。
昨年、何気なく広げた新聞に
「恩送り」という言葉が紹介されていました。
pay it forward =恩送り
自分の中で、ストンと腑に落ちる感覚がありました。
恩返しではなく、恩送り。
私がやりたいことは、こっちだと。
今は、市の国際交流事業で、
ボランティア活動をしています。
不思議なのは、あの日のお返しをしているつもりが、
また新たに受け取っているのです。
きっとあの日の私も、
彼らに与えたものがあったのだろうな。
私が暮らしたいのは、
「ごめんなさい」よりも「ありがとう」で回っていく世界。
プライドが高く気の小さい私も、
やっと気軽に人を頼れるようになってきました。
(眼鏡ぐま)
眼鏡ぐまさんのメールにあったこの言葉、
「きっとあの日の私も、
彼らに与えたものがあったのだろうな。」
私たちは助けてもらっている時、
とんでもなく人に迷惑をかけていると思い恐縮する。
だからこそ、
助けてもらう経験を通して、人助ける方法を学んだり、
いつか他者を助け返そうと心に誓ったりするのだが、
「助けてもらっているその過程で、すでに、
だれかに何かを与えているのではないか?」
「助けているけど、与えられていないか?」
そう考えると、さらに心の余裕が広がりそうだ。
最後にこのおたよりを紹介して
今日は終わろう。
<できることは石ころのように>
子育て中は特に、
他人の手を借りなければできないことも多く、
感謝の気持ちでいっぱいになったり、
萎縮してしまう事もたくさんあります。
でもちゃんと、返していけるんですよね。
今も、できることは石ころのように、
身近にたくさん転がっていると思います。
日々のイライラや人に迷惑をかけられることも、
いつもより少しおおらかな気持ちで受け止めていきたい
と思います。
(カズママ)
|