YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson824
 読者の声 ― 「おかあさんのアバター」について



Lesson822「おかあさんのアバター」には、
実際に母娘問題を経験した方から
深い反響をいただいた。

今週は、「読者の声」を紹介しよう!


<「おかあさんのアバター」を読んで>

私の母は、
私を出産した後、産後うつになり、
しばらく入院していたそうです。

私が日常生活で問題を起こすたびに
母は落ち込んでふさぎ込み、

父や祖母、
ことが大きいときは親せきや近所の人まで
私を責め立てました。

「あんたがいい子でいないと
お母さんは病気になっちゃうんだよ」と。

私は母のため、家族のため、周りの人たちのために
いい子でいないといけないと思い、
学校でいじめに遭っても耐え、
理不尽な言葉を吐かれても何も感じないよう、
努めていきました。

進学や、社会に出て、
どんどん我慢しなければならないことが
エスカレートしていきましたが、
悲しいかな子供の頃に刷り込まれた

「何も感じないようにする」
「すべて自分が悪いと思う」
「頑張ればいつかきっと報われる時が来る」

という生きるための術を捨てることができず、

親元を離れても誰かの言いなりになり、
便利使いされた上に捨てられるということを
繰り返してきました。

それは自活ができなくなり、故郷へ帰っても同じでした。

私は母の顔色を窺い、
母が心配し、再び心を病まないように配慮しながら、
仕事を見つけ、母が望むような男性と結婚することを
念頭に置きながら過ごしました。

しかしそれもすべてうまくいかずボロボロになり、

気がつけば私も入院してしまったのに、
「母を安心させること」を諦められず、
退院後すぐにハローワークに通いはじめ、
なんとか新しい仕事を見つけようと必死でした。

しかし、ある時、プツッと糸が切れたように気づきました。

「私は母と違う人間だ。
母の望むように生きることなんかできない」と。

「好きなことをして生きよう」

と決め、貯めていたお金で以前から憧れていた
通信制大学に入学し、勉強を始めました。

家で大学の教科書に向かう私に、
母は何も言いませんでした。

だからといってふさぎ込みまた心を病むということはなく、
どこか静観しているようでした。

勉強がどんどん楽しくなり、
卒業論文の執筆や大学院進学も視野に入れ始めたころ、
母は突然の病にかかり緊急入院、
その後一か月足らずで帰らぬ人になりました。

それから一年、

周りの人は母の突然の死を受け容れられずに
過ごしているかもしれないですが、

私はなぜか納得がいっているというか、
なんだか当然の流れだった気がしています。

もう自分の人生は、
自分の意志で決めるべきだとわかっています。

そうは思っていても生き方の癖は変わらず、
母の死後も人からいいように扱われ、
それでも何も感じないように笑顔で振舞ってしまうことは
ありましたし、これからもあるかもしれません。

でも、過去の記憶に

「嫌なことは嫌と思っていい」
「相手が悪いこともある」
「頑張っても報われないこともあるんだから、
それなら今楽しいことをしよう」

と根気よく上書きし、
自分の心を大切にして過ごそうと思います。
(S)


<転嫁>

自分がやりたい事がわからない、考えるのも面倒。
だから、母親の指示に従い、
また、責任転嫁するのだと思う。
(k)


<一歩、一歩>

お母さんのアバター読みました。
正に自分の事でした。私はアバターだったんだなと。

いつも、自分なのに自分ではない感覚が
小学校 大学、その後の人生まで続いていました。
今ではようやく解るようになりましたが、
その時は何でなんだろうと全く解りませんでした。

解ったけれど、どうすれば良いかわからず。
自分と言うものが無いまま自信のないまま
今も生きています。
でも、

 自分がやりたいと思ったことを自分でやる。

その言葉は難しいけれど
やらなきゃ私はずっとこのままだろうと思いました。
やりたい事。何か私の中にあるだろうか?
考えてみます。
(b.b)


<もう少し掘り下げていただきたかった>

「自分がやりたいと思ったことを自分でやる。」

これは本当にそのとおりです。

ですが、いま苦しんでいる娘の立場の人たちは、
これができなくて、
しようとするとあの手この手で阻まれて、
とうとうやる気も希望もなくしてしまって、
自分のやりたいこともわからなくなって、

「自分はできなかったのだから仕方がない」
「自分にはそれほどの意思と熱意がなかったのだから」

と自分を責めたりするのです。

いろいろと行く手を阻まれているうちに、
抵抗する気も意思も感情も何もなくなってきてしまう、
これは虐待やDVを受けた人と同じような心理状態に
なるのではないかと私は考えています。

そんな状態の人に、
「やりたいことを自分でやればいい」
と言っても解決にはならないのです。

何故なら既にその
「自分のやりたいこと」すら
「(母)親の望むこと」に塗り替えられてしまい、
わからない状態になってしまっているからです。

私は、そこ から抜け出すために必要なものは、
「怒り」と「精神的に母親を捨てること」だと
思っています。

親を敬おう、親を大切にしようなんて思っていては、
とてもではありませんが、私は抜け出せませんでした。

そんなことは、抜け出した後に考えればいいのです。

今さら親は変わりません。

「あなたのためを思って」

この言葉ほどずるいものはありません。

世の中の娘という立場で苦しいと感じている人が、
ひとりでも多く自分の人生を生きられるよう、
先に1歩抜け出した(と思っている)自分に何ができるか、
何かできないか、最近よく考えます。

あなたは悪くない。
親は捨てていい。
どうか自分を取り戻して楽になって。
100%自分のために生きていい。

私が欲しかった言葉たちです。
私もこの言葉を、いま苦しんでいる人たちに
届けたいと思うのです。
(あすか)


<あなたはそれをしていいのだ!>

母親に取り込まれている娘に、
独立意識が自然発生することはまずありません。

娘が学生時代まで、
母と一心同体である違和感は娘のうちに生じません。

でも大丈夫。

実社会に出た後
「母親の内側の世界」でのみ成立していた処世術では
全く通用しないことを、
娘は遅かれ早かれ体当たりで衝撃を受けます。

もしくは、母親に相談することなく
自分勝手に判断して決めてるのに、
それなのに不幸に転落する気配がなく、
朗らかに笑って生きてる女性を目の当たりにします。

母親が、

娘をアバター化し、
手中に収めたまま全く手放すつもりがなくても、
娘を自分の成功作品として世間に披露することで
鼻高々であろうと、
娘を引きこもりニートにさせたい母親でないならば、

社会に出た娘は、
母親ではないあらゆる多様な人格と
「次から次へと出会い」ます。

母親の甘やかし手懐けてきた手管では
間に合わないほどの質量で。

母親にはコントロール不能の出会いを続けるうち、
娘の中に母親への「?」が一瞬、点灯します。

コップの表面張力の水が自然に零れ落ちるように。

未だに離れていく気配がない娘に安心した母親が
気づかぬ間に、点灯回数は次第に増え、
点滅は激しくなり、点灯時間も長くなっていきます。

ここに至って「母娘癒着」を自覚し、
期間の長さと重症度に娘は慄きます。

しかし、「癒着」を剥がす外科手術は
しなくてはなりません。
自分の人生を生きた手ごたえがないまま死んでしまうのは、
自分に対してあまりに理不尽過ぎる仕打ちだから。

> アバター化したりされそうなほど
> 密着した母娘も、そこから抜け出すには、
> 「自分がやりたいと思ったことを自分でやる。」
> これにつきるのではないだろうか。

愛情も感情もこれまでの人生も、
ビッシリと全身に母から絡まりつかれ、
娘からも母に愛されたくて自ら取り込まれていった、

この癒着を娘一人の勝手で、
母親の同意なく無理矢理剥すのです。

最初に裂け目を入れる一太刀までが非常に長く、
心の負担もまた重い。

この葛藤のハードルを下げるのは
「あなたはそれをしていいのだ」という
娘の決断を支持する言葉です。

振り下ろす一太刀を
ギリギリで躊躇っている母親想いの娘に、

「その刀は振り下ろしていいんだよ」と
先達からの冷静なアドバイスが。

一人では割り切れなくとも、
他者の暖かい眼差しと励ましがあれば、
娘はそこを割り切ることができる。
割る踏ん切りが付けられる。

母娘癒着解消に必要なのは、
大きな怒りや恨みではないのです。
(きりんじ)



心理的に、物理的に、母親を断ち切った人の
文章表現にも数多く触れてきた。

その中でも印象に残っている女性は、

ずっと自分を悩ませ続けてきたお母さんを、
断ち切った。

電話がかかっても、一切出ない。

しかし、電話に出なかった間に
お母さんが亡くなられた。

女性は、結婚して子どももできて自分の家庭ができても、
そのことに罪悪感をかかえたまま、
そのことをずっと誰にも言えずに生きて来られた。

私が、この女性の文章を読んで、
ぐっと込み上げて泣いてしまったのは、

この女性の苦労の部分や、罪悪感のくだりではなかった。

この女性は、ある日、買い物帰りに、
手に買い物袋をぶら下げたまま、

だれかに何かを言われたわけではなく、
何かがあったというわけでもなく、

ふと、心の底から、

「私は私だ。この人生は私のものだ。」

という強い想いがつきあげてくるシーンだ。

「この人生は、私のもの。」

その感覚が、母娘問題のあるなしをこえて、
強く私に真実として響いた。

さいごにこのおたよりを紹介して
きょうは終わろう。


<自分の中心を取り戻す>

まさに私は母のアバターだった娘です。
自分の中心を母に乗っ取られていました。

よくある話ですが、
私達親子も世間的には、良き母、良き娘です。

どうにも生きるのが苦しくなって
40歳になった昨年からカウンセリングに通い始め、
自分の中心を取り戻している最中です。

今はずいぶん生きるのが楽になりました。

自分の気持ち、本やカウンセリングの先生の言葉、
友達の言葉、色々な方のブログ、NHKの「オカムス」、
など沢山の言葉と対話しながら、

少しずつ「本来の私」を生き返らせる作業をしています。
(w)


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2017-04-19-WED

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