Lesson839
書き続けて、見る世界
コツコツコツと書き続けていくとどうなるか?
その先にどんな世界が見えるのか?
これまでここで
書き続けた先に思わぬ景色を見たことを書いた。
それはまるで、
「理解の花が降る。」
文章で通じ合う人は、
書き手の上辺を見ているのではない、
外見でも身分でもなく、書き手の「内面」、
それも深いところを見ている。
だから書き続けていく先に、
自分の想い・考えに、
深く正しい理解が降る瞬間があると。
今日はその少し先に見えてきたものを伝えたい。
書く力は地道だ。
言葉でコツコツと人の理性にうったえる。
読む側もそれなりの労力がいる。
YouTubeのように一気に世界に灯がつく
とはなかなかならない。
それでも、
人の理性を通って、
言葉で咀嚼(そしゃく)され、
考えて濾過(ろか)され、
読む人に深くとどまることがある。
それが根をなし、
読者に思わぬ花が咲いていることがある、
先日『伝わる・揺さぶる!文章を書く』48刷が出た。
メディアで見る著名人、
初めて新書を書く研究者、
「本書を頼りに初めての本を書いた」「出版した」
という人が、ここへ来て次々現れるようになった。
本の最後に私はこう書いていた、
「あなたには書く力がある。
あなたの書いたものに私はいつ、
どんな形で出会えるだろう。」
書いて社会で活躍してほしいと
願いを込めて書いたことがいま現実になっている。
現在、私の表現力ワークショップは5つの大学に採用され、
企業に研修に行ってもたちまち定員が埋まり、
先日行った商社でも定員を倍に増やしたほど。
全国あちこちで開催しても200%以上の応募がある。
「自分の想いを相手に響くように伝える
言葉の表現力(話す・書く)を身につけたい。」
と切実に願う人がいまとても多いのを実感する。
『伝わる・揺さぶる!文章を書く』を書いた当初は、
世の中まだまだ表現することに引っ込み思案で、
「自分には伝えたいことがない」「文章は苦手」と
逃げにまわる人も多く、
「そもそも人はなぜ伝えなければならないのか」と、
ニーズを掘り起こすことからはじめなければならなかった。
「出版で志したことが現実になるには
すごく時間がかかる。」
というのが私個人の実感だ。
『伝わる・揺さぶる!文章を書く』自体、
最初の重版がでるまでに1年半、
売れるまでにすごく時間がかかったのだ。
いま現在進行形で重版され続けていること、
他の本も、例えば先日
『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
文庫になってからの20刷が出たりと
続々重版され続けていくことなど、
当初、私をふくめだれが予想したろう。
書いたもので現実を動かすスピードが速い人もいる。
しかし、私の場合は、
伝わるまでにも、それが認められ、数字になり、
さらに書いた内容が現実に働きかけ、現実が実るまでに、
とても時間がかかった。
「この時の長さが待てなくて、書くことを
あきらめてしまった書き手もいるのではないか」
読者の良い反応は、
書き手自身が意識して「聞こう」としないと
なかなか体にはいってこない。
いろんなタイプの書き手がいるだろうけど、
すくなくとも私はそうだった。
自分の書いたものに良いことを言われても、
なぜか話半分に聞いて、腑に入れない。
読者アンケートなどでも、大半の良い反応はスルーし、
数少ない厳しい反応にとらわれた。
褒め言葉がダメにすると思っているからか。
自分の書くものに満足してないからか、
昨年、講演先で、
私の書くものを読んで「命をつないだ」
という人に会った。
自分の書いたものでそれほどのことはないと、
話半分に聞いてやり過ごそうとした。
でも、その人があまりに真剣で、気迫が伝わってきて
真に受けないことが失礼と感じた。
その想いを受け取らずにはおられなかった。
それから良い反応も、
ちゃんと聞こうと意識するようにしている。
「職場の上司に伝わった。」
「旦那さんの窮地を支えることができた。」
「望む職場に就職できた!」
目をあげれば読者が咲かせた花がある。
SNSなど読者の感想を知る機会が増えた時代に、
「自分なんて」と下を向いて書き続けるのはもったいない。
このコラムの読者たちとも、先日、
じかに話す機会があった。
このコラムで募集したワークショップの2期目のことだ。
ふだん大学や企業などに出講してワークショップをする
私には、生の読者の生の声を聞くことはめったにない。
「コラムをひらくと、
まさにいま自分がつまずいている、
そのことが書かれていて、
これは私のために書いてくれたの?!
どうしてわかったの?!という感じで‥‥」
「いつもお昼休みに読んでいるんですけど、
泣けてきて、職場だから困って‥‥」
ほんとうにこのコラムを、読んでいる人がいるのだ。
11年も前からの読者もいた。
それぞれの現場でこれを読み、考えたり、葛藤したり、
ヒントを得たり、楽しみに読み続けてくれている人が
現実にいるのだと実感したとき、腹からチカラがわいた。
このワークショップの参加者=読者には、
医療従事者もいた、靴や鞄の革職人も、
学校の先生も、鍼灸師も、
企業の人事担当も、アートをする人も
退職して家庭に入った人も、背景は様々だけど、
「素敵な人たちだなあ!」
と心から思った。
この社会や人間をみるまなざし、
そこからどう考え、何を選択し、何を志すか、
考え方や世界観が光っている。
「偶然にも、どうしてこんな素敵な人たちばかり
集まったのか」と不思議だったけれど、
自分が書くことを通して表現し、
そこに響き合って集まる人たちが、
自分から見て素敵でないはずはないと気がついた。
これも書き続けて見た世界だ。
ワークショップの教室は、九段下にあり、
堀に面していて、窓から武道館も見え、
堀の水面には、ピンクの蓮の花がびっしり咲いている。
その堀に向かった机で、生徒さんがひとりひとり、
黙々と考え、書いている姿や、
生徒さんの朗読する文章から、
ひとりひとりの尊厳が漂ってくるように感じながら、
ふいに満たされるような想いが突き上げてきた。
「人が自分の頭で深く考え、
自分の想いを納得感ある言葉で表現できるようになる。」
そういう世の中に近づけたいと、
書き続けてきたことが、いま現実に仕事でやれている。
コツコツだけれど直接そこに働きかけている。
書くことは理想をカタチにする行為でもある。
言葉という誰の目にも明らかなカタチで、
自分にも刻みつけるし、人々にも宣言する、証拠を残す。
だから書き続ける以上、
理想に向かって、日付を刻み、働きかけ、切り拓き、
現実に行動せざるをえなくなる。
「コツコツコツと書き続けていくと、どうなる?」
「それは、コツコツ現実になる。」
これが決して楽観などではない、
書いて、動いて、つかんで、いま、見えてきた世界だ。
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