YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson840
    つい言い過ぎてしまう人は



つい言い過ぎて、言葉がキツく、
人を傷つけてしまうという人は、

できるだけ言わないように我慢するという解決策は
我慢が切れた時がコワいので現実的でなく、

「できるだけ溜めないように言う。
事がまだ小さく、まだ心に余裕があるうちに、
コツコツ伝えるようにする」

という方向がいいのではないか。

壁に耳あり障子に目あり、
いまどきは、壁にICレコーダー、隙間に携帯カメラ。

暴言を吐かれた人が録音して世に問うこともある。

そのため自粛ムードというか、
言わないように、言わないように、
押し留めている人も多い。

でも、私はまったく逆を思っていた。

「この人は、ずいぶんガマンしているんだな。
もっと想いを表現すればいいのに。」

ニュースなどで流される暴言を聞いて、
「この人は相手の気持ちを考えず言いたい放題だ」
と思うのが常識だろう。

でも私は、人の機微に繊細で、
言いたいことを言えなくて、
そうとう想いを抑圧しているんではないか、と。

それが溜まりに溜まって、
自分でもコントロール不能になり、
本意とそれた出口に言動が暴走するのでは、と感じた。

ネチネチ人の嫌がることを言い続ける人も、
言いたいことが言えていないのだと感じる。

人は、本心ではそれをやりたいのに、
自分で気づけず、言えないとき、
それをこき下ろすというような、
うわずみを吐き出すことがある。

うわずみを吐き出しても、心の底は晴れない、
だから、またうわずみを吐き出す、晴れない、また吐く、
この繰り返しが、結果、相手にはネチネチになる。

「もっと心の奥底に、伝えたい想いがあるんじゃないの?」

言葉がきつくなったり、ネチネチしたり、
そんなときは、自分の言い分を聞いてやり、

何がひっかかっているのか?
どうなったら満足か?
伝えたい想いは何か?

引き出し、整理し、
そのうえで、

「伝えたい人に、伝えたいことを、コツコツ伝えていく。」

というのがいいのではないか。
自分も相手も、平常心で心の余裕があるときに、
言葉を選んで、少しずつでも。

コツコツとネチネチは、まるで違う。

コツコツは本当に伝えたい想いを伝えているのだから、
少しずつでも、伝えたぶんだけ、心の底は晴れていく。

とはいう私も、気がついたらつい我慢をしている。

「いちど相手の機嫌を損ねたら終わり。」

そういう固定観念がブレーキになり、
言葉を飲み込むどころか、
自分の想いを見るより前にフタをしていることさえ
いまだにある。

でも、そんなとき、「信頼」について想うのだ。

ふしぎなことに、
わたしが腹の底から「信頼」できると思っている人は、
弱い所も醜い所も見た人なのだ。
もっと言えば、お互いが
恥ずかしい内面を見せ合ってるというか。

相手の良い面だけみても、
なぜか決定的な信頼には至らない、
相手の底を見るからこそ良い所が信ぴょう性を帯びてくる。

自分が相手に勇気を持って本意を告げるとき、
無自覚の相手への信頼があるように思う。

そういう信頼は、やっぱり言外に相手にも響いていく。

過去に、我慢して、我慢して、
もちきれなくなって出てしまって、
人も自分も傷つけてしまった私は、

いま、できるだけ早い段階から、コツコツと
伝えたいことを伝えるようにしている。

最近も、そうして伝えて、
想いもよらぬ目指す状況が切り拓けた。
コツコツ伝えて本当によかった。

つい言い過ぎて言葉がきつくなってしまうとき、
ネチネチしているとき、

「もっと心の奥底に、伝えたい想いがあるんじゃないの?」

その声を聞こうと私は思う。


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2017-08-23-WED

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