YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson842  思秋期


10代の人に、
荒れやすく、でも大切な

「思春期」

があるように、大人にも、
荒れやすく、だからこそ大切な
一時期があるように、私は思う。
これを、

「思秋期」

とタイトル付けしてみたい。

何年か前、

実家に家族であつまってテレビを見ていたとき、
モデルさんが出ていた。

「きれいだなあ、
色っぽいなあ‥‥」

と男性陣が、美しいモデルさんを褒めることしきり、
そのあと、私に、

「おんなじ女とは思えん。
いや、同じ人間とは思えん。」

と言った、次の瞬間、気がついたら私は、
つかみかかっていた。

「どうしちゃったの私?」

それまで私は、こういういじられる冗談に寛容だった。
ちいさいころから姉は美人で、それに比べて私は、
と言われて育って慣れているし、
私は勉強や仕事を頑張ればいい。
容姿で勝負できるとも、しようとも、もともと思ってない。

いま、同じことが起きても腹は立たない。
自分でもなぜあのとき、あんなに粗ぶったのか不思議だ。

でもあの瞬間、「感情に嵐」が吹いた。

そのころ同級生と話をすると、
「不倫とかそういうことでは全然ないんだけど、
ごく普通に旦那さんが、若い女性に優しくする、
以前は全く気にならなかったそのことが、
さいきん、なぜか腹だたしくて困っているのだ」
と言う声、多数だった。

先日、NHKスペシャルで、
思春期の子どもがキレる理由をやっていて、

「思春期」は、
急に性ホルモンが出てきて、脳を刺激して、
不安で不安でたまらないのだと。

でも、この不安な時期に、
家族、つまり人間にぶつかることが大事なんだと、
ぶつかることで自分を知ることができるし、
親からも人間的な反応が返ってきて、

人の奥行きを知り、心が成長できる時期だと。

そして、思春期があることは人類繁栄につながったと。

思春期がほぼなかったネアンデルタール人は亡び、
いまの人類の祖先には思春期があった。
リスクを恐れず無防備な挑戦をする思春期の若者によって、
人類の行動半径も広がり、栄えたと。

この番組を見て私は、

「十代の人たちは大変だなあ、
いままで無邪気に生きてきたというのに、
急にカラダが、女性になること・男性になることを
強制してきて、感情に嵐が吹くのもしかたない」

と、ふと、
思春期が今まで出なかったホルモンが出てきて(満ち潮)
不安になるのなら、

ミドルエイジには、この逆、
いままで出ていたホルモンが出なくなる(引き潮)ことで、
不安になる時期があるのではないか。

そして思春期が人類繁栄に大事な役割を果たしたように、
おとなにとっても、

「この時期があってよかった」と言える
意味づけができるのでは、と考えた。

それって更年期のことですか?と
みもふたもないことを言われるのだけれど、

たぶん、10代の親御さんは、
「うちの子が、第二次性徴期で荒れて困るのよ」
とは言わない。
「うちの子が、思春期で‥‥」
という言い方をするには、

体調面よりもっと、心模様・生き方に焦点をあてたい
からだろう。

だったら、ミドルエイジにも、
体調面より、もっと心模様・生き方のドラマに
焦点を当てた言葉があっていいではないか。
「中年クライシス」という言葉があり、それもいいのだが、
すでにある言葉のなかで、
いま私がもっともしっくりするのは、

「思秋期」。

「生きられなかった自分を思い返す時期が思秋期」と、
ツイッターのフォロアーさんが教えてくれた。

生きられなかった自分を思うのは、

決して後ろ向きじゃないと気がついた。

思春期の若者が、この先どうなるか不安で
グラグラするように、
思秋期の大人は、これまでの人生よかったのか、と
不安になってグラグラするけど、

そこで、刈り取る撒いた種もあれば、実りもある。

たとえば、若いうちに故郷を離れ、
都会や、世界で、建築家として頑張った人がいたとして、
思秋期に生きられなかった自分を思い返して、

「自分は、ふるさとで、親や幼なじみたちと共に生きる
人生を選べなかった」

と、後悔はなくても、深い感慨があって、
そこから、ふるさと再生のために、
ふるさとで空き家になった民家を再利用して、
街づくり、コミュニティーづくりをする原動力が
生まれるとか。

たとえば、大きな会社で重要な役職を担ってきた人が、
「自分の本当にやりたかったことはなんだったのか」
不安でグラグラする時期に、
自分の想いと今一度深くつながり、
会社を辞めて、自分がずっとやりたかった
ちいさなお店を始めて、店主になるとか。

いま選んだ自分に後悔がないからこそ、
振りかえることができる過去もある。

中年の、心の余裕と言うか、経験やスキルの余裕というか、
コツコツ、細々、積み上げたものがあるからこそ、
「生きられなかった自分」を広い視野で見て発見もあり、
そこに貢献できる知恵や技術もある。

思秋期は悪いものではない。

これまで順当にカラダから供給されてきたホルモンが
急に共有されなくなっていくということは、
子孫繁栄要員(本人がその要員になることを
望んでいたかどうかは別として)からの、戦力外通告を
カラダからされているようなもので、
不安になったりグラグラすることもとても自然に起きると
思う。

でもそこで、不安の中、
パートナーとか、心を許せる人間とぶつかって、
自分の底が見えたり、
相手の人間的な反応に、思わぬ相手の勇気を見たり、
それで、

この先の人生を共に生きる心の絆ができる時期でもある。

不安になるからこそ、
自分の本当にやりたかったことは何か?
心の奥の声に敏感に耳を研ぎ澄ませることもできる。

悩むからこそ、人を求め、
友や仲間を求めて、人間関係がつながったり、
豊かになったりすることも起きうる。

思秋期、

ちゃんと不安になって、
ちゃんとパートナーや、心ゆるせる人とぶつかって、
ちゃんとちゃんと自分の心の底の声を聞いて、

そうして踏み出した次の一歩は、

もしも順調だったら竹の穂先が細るように、
先へ行くほど先細りしていた人生とはちがい、

良い意味ではじけた、
思わぬ面白い、思わぬ実りのあるものに
なっていくかもしれないと私は思う。


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2017-09-06-WED

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