YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson846  傷がくれるもの


落ち込んだとき、
愚痴を言うより、だれに慰めてもらうより、

「自分の中からアイデアが湧く」

これ以上の回復薬はないんじゃないか。

アイデアは「未来志向」、
いま無いから出てくるものだ、自然に未来に気持ちが向く。
アイデアは「まだやれる証拠」、
面白ければ一発で自分を認めてやれる。
アイデアは「次やりたいこと」、
モチベーションもつられて湧いてくる。

毎朝5時、こどもの弁当のアイデアを出す
親御さんのように、

書く人も、描く人も、つくる人も、
〆切に迫られ、日々現場で
コツコツ出し続けているからこそ、
窮地でポコッ、と腹からアイデアが湧く体質になる。

先々週「傷を治すチカラ」というコラムに、
そう書いたところ、
お医者さんをしている読者から、
元気のでるおたよりをいただいた!


<傷がくれるもの>

私は医師として
主に終末期の方をお看取りする仕事をしています。

「その人らしく」「寄り添う」とは言ったものの、
本当にそんな事が出来ることはなく
日々うまく行かない事ばかりです。
そんな現場なのでスッキリするほうが珍しく、
日々なんだか重いものを抱えたまま過ごしています。

でもそんな重いものを
少しだけわきに置いて捨てずに過ごしていると、

ある時フッと新しい視点や価値観に気がついて、

ほんの少しだけですが
相手の気持ちに近づけた気がして
目の前がひらける感覚になる事があります。

アイデアとは少し違うのかもしれませんが、
今まで自分に無かったものが降りてくる感じです。

最近では
何かうまく行かない事や違和感を感じると

「きっと自分に無い視点や価値観が隠れてる」

と無理に処理しようとせず
腹に抱える様にしています。
アイデアは「傷を治すチカラ」でもあるけど

「傷がくれるもの」でもある

と私は感じました。
(F)



やたら傷つく日々が続くのは、
案外「ひらけ」のもうすぐ手前にいるということ
かもしれない。

なんて言うと、
「なんて楽観的なんだ」と思う人や、
「苦労は報われるというよくある話か」と思う人も
いるだろう。

でも、単なる楽観でもなく、
苦労の推奨でもなく、

私自身の人生で、「ひらけ」の前には、
必ずといっていいほど、
やたら傷つく感じの日々があったのだ。

16年間勤めた企業で、

最初の3年は日給の契約社員だったが、
3年目の終わりごろ、
やたら傷つく感じの日々が続いた。

でもそれは「ひらけ」のすぐ手前、

数か月後に正社員になったあと、
視野も、おもしろいアイデアを実行に移せる範囲も
格段に広がった。

入社11年目の4月に東京転勤になって、

東京の精鋭チームの仕事に触れて、
へこんでへこんで、低空飛行どころか地を這うようにして
持ちこたえた半年。

でもそれも「ひらけ」のすぐ手前、

半年後の10月、いままでにない
新しい面白い教材が生まれ、
読者にも、社内の上司や同僚にも一発で通じた。

それ以外にも、ひらけの前には、
ことごとく、やたら傷つく日々があり、

だから、「アイデアは傷がくれる」
という読者Fさんの言葉は、
私の人生に照らしてとても腑に落ちる。

もうちょっとのところに来ているのに、
そのあとちょっとで視野がひらけることに気づけず、
挫折する人も多いんだろうなと思う。

それまで生きてきた自分の枠組みの殻に閉じこもって、
そこをよくわかってくれる人・モノ・事とだけ
ふれあっていれば、
傷つかない。

だけど、その殻から出ると、とたんに傷つく。

私の場合は、文章表現教育の仕事だから、
「表現が好きだ」「書きたい」「想うものが書けた」
という人とだけふれあっていれば傷つかない。

けれど、

表現するのが怖くて逃げていく人って
どういう気持ちなのか。
私の表現教育を快く思わない人は、
なにが嫌なのだろう。
表現なんかしたくないと思っている人が
やる気になるにはどうしたらいいんだろう、と、

「うまくいっている自分の枠組み」の外に、
一歩足を出せば、とたんに傷つく。

自分の限界も見なければならないし、
自分のいたらぬところもつきつけられる。

でも、そういうときに、
すぐにすっきり解決とはいかなくても、

読者のFさんが言うように、
「そんな重いものを抱えたまま」、
人に意見を求めたり、
自分なりに視野を広げようと模索していくうちに、

ふっと外側から自分が見えてくるような、
同時に、

「あ、こうしたらどうだろう!」

とちょっとしたアイデアが湧いてくるような瞬間がある。

ちょっとのアイデアなんだけど、
試してみると、
現実の中で、

「なんかいい」
「ちょっといい」
「格段によくなった」

と感じる瞬間がおとずれて、
こうしたアイデアはまさに、

「傷がくれたもの。」

傷つくのが目的ではないし、
できれば傷つかないで「ひらけ」の部分だけほしいと、
いまだに願ってしまう私だけれど、

「傷つくっていうのは、外と触れ合ってる証拠だ。」

ちょっと痛いのを我慢すれば、
自分が次、目指さなければいけない課題も見えてくるし、

そこに向けて進むための、
方法を編み出したり、
役立つ情報が目に飛び込んだり、
協力者を見つけることも、けっこうたのしい。

そこを乗り越えたとき、ひらける視野は気持ちいい。

やたら傷つく感じが続く日々は、

逃げてもいいし、
休んでもいいのだけど、
Fさんの、

「きっと自分に無い視点や価値観が隠れてる」

ととらえて、

その視点や価値観が見えてくることを楽しみに、
そこにたどりつくため創意工夫も楽しみながら、
もうちょっとだけ進んでみよう!

と私は思う。

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2017-10-04-WED

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