YAMADA
おとなの小論文教室。
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Lesson847  人と比べない


文章は、つくづく他人との比較でなく
自分との闘いだ。

チカラある人は、ある人なりに
ハードルの高い主題、複雑な構成で書こうとする。
それだけ不備も出やすい。

初心者が、シンプルな主題でも
徹底して書ききれば、読み手を揺さぶる。

そうかといってチカラある人が、
ミスを誘発しないよう単純な主題にするというような
自分以下=手抜きはできない。

結局、おのおの、自分との闘いになる。

「人と比べない」

それだけでも才能、と私は思う。

何年か前、
「なんで僕の文章が、あの人に負けるんですか」
と詰め寄られたことがある。

文章が得意と自負するその人は、
自分より劣ると思っていた人に負けたことが
不服でならなかったらしい。

でも私は、
Aさんと、Bさん、
どっちが上でどっちが下というような目で
文章を見ていない。

賞を競うプロならともかく、
いちから表現力をつけていこうという基礎教育の段階で、
人と比べても意味がない。

人と比べなくても、
1つの文章のなかで、その人の課題は自明だ。

わかりやすい例をあげれば、

文章が得意な人が、
1問1答のような単純な文章に飽きて、

「わたしは3つの問題をとりあげ、
それらを関係づけながら、
最後に3つそれぞれに私なりの答えを出します」

と書きはじめたとする。
でもラストに2つしか答えを出していない。

「あれ、あと1つは?」

と読んだ人がモヤモヤするようだと満点はつけられない。
これは未完成とはちがう、「不備」だ。

伏線を張って、
あえて回収しないんじゃなくて
忘れてしまった、自分でも収集がつかなくなってしまった、
というのもやっぱり不備。

単純なものから、
より複雑なものに挑んで行きたい時期は、

気持ちがあっても、経験が追いつかないことがある。

「3つの問題をとりあげたら時間3倍では済まなかった、
関係づけやら、構成やら、やたら時間がかかって、
へとへとになって、見直しの時間がなくなった」
というようなことも起こる。

この段階では、
経験を積んでのりこえていくことが課題になる。

一方で、

やればできるのに、
自分を卑下してどんどん辛くなっていく人、
逃げる人も、やっぱり、

人と比べて辛くなっているし、人と比べて逃げている。

「自分はあの人みたいに才能がない」
「スゴイ人ばかりで一緒にいるだけで押し潰されそう」

と言う。この感覚は、
私自身もたびたび襲ってきて、
とらわれそうになるので、よくわかる。

でも客観的に見ると、その人の課題はそこになく、

たとえば、
出さないことには始まらないのだから、
「とにかく書いて出そうよ」ということだったり、

「言い訳や愚痴から始める、この書き出しを
なんとか脱却しないと」ということだったり、

そもそも人と比べてどうこう言う前に、
「自分では、自分が書きたいものを書けているの?」
ということだったりする。

書きたいものが見つからないなら、
見つけることが課題だし、

書きたいものはあるけど勇気がなく無難にしてしまう
のなら、小さい勇気から出していくのが課題になる。

そんなふうに、
人と比べて劣等感にとらわれているとき、
自分の課題はそこになく、

見ようとすれば、目の前に、ありありとある。

「人と比べない。」

抱える課題がひとそれぞれ違うのに、
人と比べて、無意味に消耗するのはもったいない。

そんな私が、
「人と比べるとはいえ、この方法はいいな」
と思った上達方法がある。

ある学生に教えてもらった、ライバルをつくる
という方法だ。

ライバルをつくると言っても、ひと味違う。

スポーツをやっているその学生は、
やる気も技術も伸び悩んでいた時、

練習の1つ1つに、ライバルをつくることを思いついた。

たとえば、
何人かで一斉に背泳ぎをするという練習では、
「この人よりも速く泳ぐぞ」というライバルを1人、
心の中で決めて、負けまいと必死で泳ぐ。

ダッシュをするときは、
また別の人を1人選んで、心の中で
「ダッシュのライバル」と決めて、
絶対負けないように、ダッシュの練習を頑張る。

そんなふうにして、
具体的に1つ1つのライバルを決めて
練習に励んだところ、
やる気も技術も伸びて、成果につながった。

比べるものが、具体的で明確、だからいいな。

劣等感にのみこまれてしまうとき、
自分と相手を「なんとなく」で比べている。

「なんとなく、バクゼンと、総合力で‥‥」

あの人はスゴイ、私には勝てない、と思っている。
引け目を感じて相手をまっすぐ見られないうちに、
心の中で、相手がどんどんスゴイ人になり、
自分がどんどんみすぼらしく思えて、
そこにとらわれてしまう。

なんとなく、は実体がない。

だから、いつまでも抜け出せない。

そうではなく、
まず自分の書きたいものをイメージして、
そこにいくためにどうするかを考えてみる。

「自分は、まだ1作も書き上げてないから、
まず1作書き上げることが、目前の課題だ」

と思う人は、たとえば、
働きながらも毎年、1年1作のペースで
作品を書き続けている友人を、
心のライバルと決めてみる。

その友人は忙しいのになぜ書き続けられるのか、
年1回あるコンクールをペースメーカーにしている、
とわかったら、
自分も趣旨に合ったコンクールを見つけ、
そこをペースメーカーにして、

ライバルに負けるもんかと、作品を書き上げて見る。

あるいは、
書き続ける習慣をつくるのが目下の課題、という人は、
自分の理想とする頻度でブログなど更新している人を
心のライバルと決めて、
負けないように、書き続ける習慣をつけていくものいい。

そんなふうに、いまの自分の課題をはっきりさせ、
その部分を引き上げてくれる相手となら、
比べたり、競ったり、もいいなと私は思う。

ただ、その場合も
相手に勝つことが目的にすりかわってしまわないように、
自分の書きたいものを書く、
というゴールだけは見失わないでいたい。

自分の書きたいものを表現できるのは、
世界でたった1人、自分だけ。

「自分の想うものが書けた!」

というシンプルな歓びまでは、
人と比べないで、ひた走ってもいいんじゃないか、
と私は思う。

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2017-10-11-WED

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