YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson860
      大切な人の「戦わない」守り方



「あなたを守る」というとき、

「私が矢面に立って
あなたを苦しめる人たちと戦ってあげる」

という人と、
そんなふうにまわりとケンカしたら、
あなたが周囲から孤立して苦しむだろうから、

「私が窓口になってあなたのイメージをよくし、
なるべく周囲の人たちに橋を架けてあげる」

という人がいる。どうも、

「守る」と「戦う」のスイッチが
連動してる人がいるようだ。

私も昔、
母が心臓病で入退院を繰り返していたころ、
母を守りたい一心で、
なんか周囲に対してケンカ腰だった。

母のそばでタバコを吸っている人がいたら
やめてくれと、
冷房がきつければ適温にしてくれと。

相手が応じなければ、
責めるかまえで、ケンカもじさないくらいに。

でも結局は、周囲をピリつかせ、
母も気まずくさせ、母のためにならなかった。

人は強い愛情をもてあまし、
どう表していいかわからないとき、
戦いに向かうことがある。
敵がいないなら、つくり出してでも。

「世界中を敵にまわしても私はあなたを守る。」

これ自体は、勇気が湧くいい言葉だ。

時代を象徴するTVアニメも、
私が物心つかない頃からずっと、
「守る=敵と戦ってやっつけてくれること」
が主流だった。「鉄腕アトム」のように。

だけど、
インターネットが登場し、
私たちは、複雑に人と接するようになった。

SNS上で、

世界を敵にまわして戦って守る、が
なかなかうまくいかない現実がある。

大炎上した仲間を守ろうと、
勇気をもって参戦した人が、

かえって火に油を注ぎ、

また新たな話題を提供してしまったり、
正義の発言が、攻撃者を逆なでし、
さらに炎上を複雑にし、悪化させ、

結局、仲間のためにならなかった。

むしろその人が参戦しなければ、、
炎上は徐々に鎮静化していったのに‥‥、
というケースを、私は、いくつも見た。

考えてみてほしい。

自分が弱い子供だったとして、
自分の父ちゃんなり、母ちゃんなりが、

「あんたを守るから」、

と、ご近所や、友だちや、友だちの親や、
自分を傷つける人と、
片っぱしからケンカしたとしたら‥‥、

やっつけられた人々の中に新たな憎しみが生まれ、
その憎しみは、自分にはねかえってきて、
あげく、ご近所や友だちからも孤立しかねない。

「そんな風に守ってもらいたいだろうか?」

時代を象徴するTVアニメも、
いまや、「大切な人の守り方」も変わった。

NHKで放送中の「3月のライオン」で、

主人公の男の子=「零(れい)くん」が、
いじめられている中学生の女の子=「ひなたちゃん」を
守ろうとする。

最初は戦う気、
出るとこ出ても徹底的に戦う覚悟で、
裁判費用を貯めようとする。

だが、信頼する高校の先生に諭される。

大人が乗り込んで行って、
出るとこ出て、徹底的に戦って勝って、
いじめっ子は転校、めでたしめでたし‥‥
とは、必ずしもならないと。

クラスの話し合いで済んだかもしれない問題が、
学校中に知れ渡る結果となってしまい、
学校中からは、いじめっ子を追い出した張本人のように
みられ、恐れられて寄り付かれなくなり、

いじめはなくなった、でも、学校に居場所もなくなった、

そんなケースもあると。
そんなケースに遭遇すると、
もっと、当事者を含むまわりの人間で話し合い、
時間をかけて問題解決する道もあったのではないかと。

本人が何を望んでいるのか、よく聞くことだと。

そこで、主人公が少女を守るためにとった行動は、
徹底して、少女の話を聞くことだった。

時間をとって、こまめに真摯に、
必要とされればいつでもかけつけ、

「話を聞き、理解し、気持ちに寄り添う。」

目に見えるカタチで何かしてあげたい、
戦いたい衝動をぐっとこらえ、
なにもしてあげられない無力感にさいなまれながらも、
主人公は、少女の心を支え続ける。

「理解」という守り方だ。

大切な人を守る、と一口に言っても、

守り方はそれぞれちがう。
とくに、人間関係のつくり方が大きくちがっている。

まず、「盾(たて)」となって戦うポジション。

守る=戦うポジションは、
周囲を敵とみなし攻撃する。

正義感は、敵を悪とみるから、
どんなやわらかない言い方をしても、
その発言には棘がある。

盾(たて)となるから、
敵対的・攻撃的にまわりに接し、
その結果、壁をつくって、
大切な人を孤立させてしまう。

大切な人を守ろうとするとき、
その人の「親善大使」みたいなポジションもある。

大切な人が、
傷ついていたり、孤立したり、感情的になっていたり、
それゆえ、周囲とうまく
コミュニケーションできないようなときに、

自分は、だったら周囲になるたけ
親和的・友好的に接して、
そのことで、大切な人の、
周りへの印象をよくしていこうと。

最終的には、大切な人と、周りの人々とを
「架け橋」となってつなぐ。

もう一つ、

大切な人を守るとき、「育てる」ポジションもある。

たとえば大切な人がいわれない差別にあっているとき、
反撃したい気持ちをぐっとこらえ、

「なぜ、こんなことを言われるんだろう?」

と考えて、
こんな知識をもってもらったらどうだろうか?
こんな機会をもってもらったらどうだろうか?
と、正しい知識や偏見をとるための機会をコツコツ
伝え続け、時間をかけてまわりを育てていく。

だれかを責めても、黙らせても、謝らせても、
世の中そんなに変わらない。
攻撃するのでない、育てるのだ。

大切な人を守るというとき、

戦う? 理解する? 架け橋になる? 育てる?
あるいはそれ以外?
あなたはどんな人間関係をつくりたいだろうか。

ツイートするFacebookでシェアする


山田ズーニーさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「山田ズーニーさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2018-01-24-WED

YAMADA
戻る