YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson873
     問いを発するチカラ



年とると文句が多くなる、と言われるのはなぜだろう?

人の話を聞いてない、
なのに文句だけは言う、
文句を言う時だけガゼン雄弁になる、
話のバリエーションが減りパターン化する、
自ら話題をふれない。

これらは思考力の衰えによる。

年をとっても鍛えている人はそうならないし、
若くても使ってなくて衰えた人はいる。

思考力が衰えると文句が多くなるのは、

理解は「全体」を聞き取って
相手の本当に言わんとする所を
つかまなければできないが、

批判は「部分」だけ聞いてもできるからだ。

長い脈絡のある話を聞き取るのは、
頭の体力がいる。

衰えると、ついついサボってしまう。

難しいところ面倒なところを、とばし、とばし、
聞く(読む)ようになる。

そうして本当に話についていけなくなる。

ぼーっと話を聞かずに流しつつ、
ただ、わかる・ひっかかるところにだけ反応する。

結果、相手が「主題」を伝えるために、
あまり重要でない説明をはしょったり、雑にたとえたり、
ほんの一例として取り上げた具体例など、

さまつな部分に反応して、文句を言ってるような

かっこうになってしまう。でも、ほんとうは
聞けるところだけでも聞こうとしているし、
リアクションを返してあげなきゃ、という心も働いている。

相手と会話をしようとする誠意のあらわれだ。

その誠意が裏目に出てしまう。

これはけっこう切実な問題で、
末っ子の私は家族が自分よりみな先に年をとるので、
年々、頭の体力が落ちていくのを感じ、

性格が変わったように見えてしまって、ちょっと切ない。

でも嘆いてもしかたがない。
私は、文章表現教育の仕事をしている。
出版やワークショップを通して、
書く前提となる「思考力のトレーニング」を
バリバリ普及させて、

生徒さんにも、家族にも、私自身も、
みずみずしい思考力でいられるようにしたい。

お医者さんがよく、
「死ぬまで自分の足で歩けるように」と言うように、
死ぬまで自分の頭で考えられるように、
キープしたい1つをあげるならば、

「自ら論点を起こせる」

考える力・書く力にとって死ぬまで重要だと私は思う。
年長の人が、スクワットをしたり、万歩計をつけたりして
自分の足で歩き続けられる努力をしているように、

「論点を起こす=自ら問いを立てるチカラ」は、

コツコツ鍛えて維持していきたい。
問いを立てるチカラのトレーニングは、
『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
くわしく書いているが、
要は、テーマについて問いを1個でも2個でも出すことだ。
1週間に1個だって続ければチカラになる。

論点を立てるのは難度が高い。

高校生にしても、大学生も、社会人も、
習得するのが一番難しく、最後まで苦戦する。
それだけに衰えも早いのだろう。

「あれは、なぜ?」
「これができるのは、だれ?」
「解決に不可欠なのは、なに?」

と自ら論点が起こせれば、自ら話題をふることができる。

人の立てた問いがつまらないとき、我慢して聞いて、
聞き流してしまって文句を言う、みたいなことも減る。

自分の腹から湧いた問いなら、モチベーションも上がるし、
会話に前のめりになれる。

話題を変えるのも、論点のチカラ、
色々に問いが立てられるようになれば、
話のバリエーションも広がる。

あれはなぜ? これはどうして? は好奇心の芽生え、
社会や世界への視野も広がる。

そして、自分が心から解きたい謎1つあれば、
生きがいになり、生きていける。

考える力は、「問いを発するチカラ」から始まる。

私は、さいごまで
「自ら論点を起こせる」書き手でありたい。

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2018-04-25-WED

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