YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson898
 考えることで人は自由になり、多様性を受け入れる



考えなくても生きていける。
考えずにまず行動だ、という人もいる。

「それでも人はなぜ“考える”のだろう?」

考えない状態は、
先入観・慣習・思い込みに、
知らず知らずに囚われている。

不安や恐怖の多くは、囚われた視野から来る。

考えることで、
先入観の一部を取り去ることもできる。
それまで自分を縛ってきた慣習の縛りが解けることもある。
「思い込みだった」と気づくこともできる。

考えることで人は恐怖や不安から解放され自由になる。

この秋、出版された

東京大学教授、梶谷真司
『考えるとはどういうことか』という新書の
あとがきに、こうある。

…………………………………………
最後に1冊だけ参考文献をあげておきたい。
それは、山田ズーニーさんの
『伝わる・揺さぶる!文章を書く』(PHP新書)である。
この十数年の間で、
これほど大きな影響を受けた本は他にない。
私が哲学を「問う・考える・語る・聞くこと」と捉え、
さらには「共同で考えること」である哲学対話に
出会うことができたのは、
この名著のおかげである。

『考えるとはどういうことか
 ―0歳から100歳までの哲学入門』
(幻冬舎新書)あとがきより
…………………………………………

これを見た時、
この世のことか、というくらい嬉しかった。

私は「考える力」の教育を志し、やってきた。

小論文編集長をしていたとき、
考えることで高校生たちが、
自分らしい選択ができたり、選択が意志になったりした。

「考えることで人は自由になる。」

この「おとなの小論文教室。」の第1回にも、
そう書いた。
考えることの面白さをもっと広めたいと思い
会社を辞めて独り、歩き出した。

梶谷真司さんは、
「考える」ことを、人生を通してやってきた人だ。

哲学の「研究者」として東京大学大学院で。
さらに「哲学対話」というカタチで、
小学生・高校生など学校現場で、
また、あちこちの地域で
乳飲み子を抱いた親御さんから高齢者まで、
まさに0歳から100歳まで巻き込んで、
「考える」ことをだれにもできるカタチで
実践させてきた。

拙書が、読んだ1人の人間の「人生の仕事」に響いて、

まったく予想もしなかったカタチで波及していることに、
それで「考える人」が増えていってることに、
生きる歓びを感じた。

実際、お会いしてみると、
信じられないほど、やってることが似てる。

哲学など、めっそうもなく、まったく違う世界と
わからないまま敬遠してきた私だけど、

「考える」ことを一般の人に実践させる、

そこの苦労や工夫、歓びは、あまりにも多く通じ合う。

孤独だ、孤独だ、と思って一人歩いてきた道で、
思わぬ、生き別れになっていた肉親に逢えたように嬉しい。

そんなこんなで、
梶谷真司さんの出版記念イベントに
ゲストで呼ばれ、生まれて初めて、

哲学体験をした。

100人と共同で、問いを出し、考える。

ひとりが手を挙げてしゃべる。

とてもスリリングだ。

予想もしなかった角度からの発言もある。

多種多様な人々と一緒に考えていくと、

「まったく全然、私は、
そんな視野からこの問題を眺めたことはなかった。
いやそもそも、そんな視野があることすら、
これまで知らずに来た」

と思う発言に出くわすこともある。

その瞬間、
自分の中で、何かが小さく、パカッ!
と割れた音がする。

自分の思い込みで狭く固く閉じていた世界に、
小石が飛んできて、風穴があく。

たまらなく気持ちいい。

先入観が取り去られる。

心のつっかえも、
背中にしょってた重荷も、
ちょっとずつ、ちょっとずつ、取れていって、

やがて、えもいわれぬ「ひらけた」感じがする。

これは、私の文章表現教育で、

1クラス70人なら70人が、
深く考えたあと、思い思いに書き上げた
多種多様な文章を一気に朗読し終わったあとの、

えもいわれぬ「ひらけた」感じと通じる。

1人1人、まったく違う文章なのに通じ合ってる。
違う考えが集まることで、何とも言えず解放される。

考えることに主眼を置いた文章表現の授業では、

意見が真反対な人どうしが一緒にいても、
衝突しない、険悪にならない。
それどころか通じ合い、認め合い、仲良くなっていく。

その理由がいままで言葉にできなかったけど、

「みんなで考える」ことをやってみて、
理由の一端が分かった気がした。

自分と似たような人ばかりと一緒に考えても
自分の世界はそんなには広がらない。

自分と似てれば似てるほど、
究極、ひとりで考えてるのと同じに近づいていく。

でも、自分とまったく違う意見の人とともに考えれば、
「そんな考え方も存在するのか!」と
一瞬で風穴があく。

自分が信じてきた考えが絶対じゃないと揺らぐ。

自分と違えば違うほど大きな風穴をあけてもらえるし、
違いが多種多様な人々が色々にいるほど、
四方八方、あちこちの、先入観が取り去られやすくなる。

だから、考える場において、

違いは、自分の先入観に揺らぎをくれる存在。
思い込みを取り去る助けとなる存在。

だから考える場で人は自然に多様性を受け入れる。

多種多様な人々と考えた翌朝。

カラダの感覚がまるで違うことに驚いた。

ふだんはいくらか腹の中にある、
わだかまりのような、ずんとしたものが全くない。
すっきりと爽やかだ。

カラダが軽く、活力がみなぎっている。

考えることで人は自由になり、多様性を受け入れる。

まずは、
自分は考えてないのでは、自由じゃないのでは、
と気づくだけでも大事なんじゃないか。

そして、自分を縛っている身近な恐怖、
「なぜ、恐いの?」「どうしたいの?」
と、自分に問うことからでも、

考える体験は始められる、と私は思う。

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2018-11-07-WED

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