Lesson901 読者の声 − サイン
「する側」と「される側」が
いつのまにか入れ替わってる、
先週の「サイン」にSNSでそんな声をいただき、響いた。
イジメる側が、いつのまにかイジメられていたり、
踏みにじられてた人が、いつのまにか人を踏んでいたり。
だれもが、どちらにもなりうる。
踏まれつつ、同時に踏んでる人さえいるかもしれない。
「両側から見なければ!」
これから紹介する読者の声3件を読んで、
私は、する側のつらさに少しだけ気づけた。
きょうは「読者の声」を紹介しよう!
<潔く改める勇気>
「お局様」は全員に嫌がらせをするような人でした。
挨拶を無視する、
立ち上がる時に椅子をぶつける、
目が合うと背けたり睨むなど、
小さな嫌がらせだったため誰も上司に相談もできず、
小さな嫌がらせの積み重ねが大きなストレスになり、
疲弊して辞めていく人が後を絶ちませんでした。
上司が忠告するも、結果、エスカレートし、
とうとう入院する人まで出て、
社員で解決にあたり、
お局様は異動していきました。
頭は良い人だったので、
周りからのサインには気付いていたはずです。
そこで意固地にならずに態度を変える勇気があれば、
他人を病気にするまでに至らず、
年齢を重ねてから独りぼっちにならなくて済んだのに。
自分の行動に
誰かがサインを出していると気付いた際には、
「潔く態度を改める勇気」
を持ちたいものです。
(もつ)
<それを封じても、次は>
セクハラに遭い、
ある日、とうとう我慢できなくなり
「やめてください」と言いました。
セクハラはやめてくれましたが、
それ以来パワハラを受けるようになったのです。
拒絶されてすぐにやめられる人は、
まだ大丈夫だと思います。
本当に問題なのは、
拒絶されてもやめなかったり
「他の方法で嫌がらせをする人」です。
彼ら彼女らには、
嫌がらせをしているという自覚はない
ように思います。
(M)
<怒りのゆくえ>
怒りは、
自分の中で納めることは難しく、
放っておくと居場所を求めて暴れ回ります。
怒りは、
何かを傷つけることで居場所を見つけようとするので、
相手も傷つくし、自分も相手から傷つけられ、
新たな怒りが生まれ、どんどん悪循環にはまってしまう。
「どうやって怒りを納めていくのか?」
居場所を探したがる怒りに、
最も良い居場所を与えるのは自分です。
(たまふろ)
ズーニーです。
「やめない、のではなく、やめられないのでは?」
読者のおたよりにそう気づかされた。
その人の中で、どうにも収められなかった感情が、
メーターが振り切れた赤いゾーンに達すると、
「怒り」となる。
それをだれかに吐き出すことで、しばしの慰めを得る。
吐き出す相手に頼ってる、とも言える。
だから、そこにフタをしても、
怒りはまた「別のカタチ」となって噴出するか、
「別の人」に向かうか。
つまり、やめたくともやめられないのだ。
「怒りのもとになっている感情は何か?」
それぞれがちゃんと向き合わないと。
自分はつらいんじゃないか、
ムリしているんじゃないか、
きついプレッシャーにあえいでいるんじゃないか。
それぞれが自分の感情に向き合って、
つらかったら人に助けてもらってもいいし、
自分ひとりがつらくなる環境を変えて良くしてもいい、
背負ってる重荷を少し降ろすのもいい。
そうして各自がしっかりと、
自分の怒りのもととなる感情から解放されたらいいのに。
される側もツラいけど、する側もやるせなくツラい。
最後に読者のメールのつづきを紹介して、
きょうは終わろう。
<どうしたらサインに気づけるか>
サインを受け損なっている時、
自分が相手を傷つけていると想像もしていない
ことが多いように思います。
だから、
「こんなことで傷つくなんて弱い」
「言ってあげているのに」
と自分の価値観でしかサインを受け取れず、
相手を裁いたり、サインを流してしまったり。
でもそれは、
「今大切なのは私であって、あなたではない。」
というメッセージを含んでいます。
そうなると相手は閉じてしまうしかありません。
かつて妹がいじめられていた時、
自分も家族も余裕がなく
素通りするしかありませんでした。
今になると、
「それは彼女にとってどれだけ孤独だったか。」
何か出来なくとも、サインに気づけば
それだけで違ったのではないか。
「どうしたらサインに気づけるのか?」
そのきっかけになるのは、
自分も相手も、
「まさかそんなことで?」
というようなことで
ダメージを受けるという自覚なのだと思います。
(たまふろ)
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