Lesson903
読者の声 ― 消えたわだかまり
ずっとわだかまっていたものが、
スーッ、と消えてしまった、
そんな経験はないだろうか?
先週の呼びかけに「読者の声」が届いた!
<氷解>
十年ほど前、
母が感情的になった時にもらした
私に対する本音を聞いて、
数日間、口をきかなかったことがありました。
やむを得ず会話するようになってからも、
母のことが信用出来ず、
わだかまりを抱えたまま過ごしていました。
その後離れて暮らすようになり、
毎日顔を合わせることがなくなっても
完全に母を許すという気持ちにはなれませんでした。
しかし、
年に数回帰省するうち、
一緒に暮らしている時には気付かなかった
母の老いが、ゆっくり進んでいることに気付いて
ハッとしたのです。
このまま、わだかまりを抱えたままでは、
母がいなくなった時にきっと後悔する。
そう思ったら、数年抱えていた
わだかまりがサーっと氷解しました。
母は、この頃から
私に頼ってくるようになりました。
心配かけるから、と言って
事後報告しかしなかった母が、
「いま困ってる」、と連絡してくる。
驚くばかりの変化です。
後悔する前に気付いてよかったと思います。
(みけん)
<苦手な人>
私は以前住んでいたマンションに
苦手な人がいました。
仲良しさんとは立ち話しているのに、
こちらから挨拶してもぶっきらぼうで
何だか気取っているような感じ悪さでした。
顔を見るどころか、
遠くからその姿を見かけるだけでも
悶々としてくるレベルです。
そんな日々が6年近く過ぎた頃、
たまたま何かの拍子に
その人の指先が目に入りました。
その手は施しようがない程に荒れており、
それを見た瞬間モヤモヤが萎んでいきました。
ざまあみろという感情では決してなく、
家事に、育児に、人間関係等、
辛酸を舐めてきた
「同志」のような気がしたのです。
それ以降は彼女に対して不思議な位
何の感情も起きなくなりました。
(東京都 はちはちはち。)
人から見たら小さなことでも、
自分にはどうにも許せなくて、
わだかまり、苦しんでいることがある。
でも、
親の老い、
そこから「命の期限」というまなざしに
照らされたときに、
「氷解」
がくることもある。
また、
手の荒れ、顔のしわ、好きな食べ物など、
相手の「人間味」がにじみ出る部分に、ふと、
理屈じゃなく、体の感覚で共鳴してしまったときに、
「自分は相手の悪い部分のみにとらわれていたな」と、
「わざわざ悪い部分だけを見、そこにとらわれて、
自分の中で悪いイメージをどんどん増幅させていた」と、
気づいて氷解することもある。
先週のコラムで、
私が職場の人間関係にわだかまっていたときに、
「私とおなじように職場の人間関係に悩む、
私とはちがう多様な考えの人々の文章に、
わだかまりが消えた」
と書いたところ、
Twitterにこんな反響をいただいた。
<ノートの選手達の想いに>
高校サッカー部の監督をしていた頃、
よく同じような経験をしていました。
選手達から提出してもらったサッカーノートを
読ませてもらうことで
「悩みみたいなものがいつの間にか消えていた‥‥」
ことや、
「これで行こう」、という道みたいなものが
見えたこともありました。
選手達の真剣さに何度も救われました。
(Y.S)
「氷解」は、
自分がとらわれている狭く偏った所から出たあと
おとずれる。
狭く偏った所から出るのに、
壮大な知識とか、立派な解決策とか、
なくてもなんとかなるんだと、
読者の声に教えられる。
自分のとらわれている視野の、
「ほんのちょっと外」が見えればいい。
そこから風穴があく。
自分のとらわれの「ほんのちょっと外」を知るには、
自分とは違う考えの人の視点が効く。
自分と似たような状況で悩んでいる人も、
自分とはどこかしら違う視点でものを見て、
自分とはどこかしら違う選択をして生きていく。
人は多様だ。
考えれば、この多様性に
どれだけ救われてきたか。
どれだけ自分の思い込みから解放され、
可能性をひらかれてきたか。
「多様性」
その人が、他人と違うありようで、
その人らしく自分を生きる。
ただそのことが、いかにまわりを支えているか、
と私は思う。
|