川勝 |
今は、信州に住んで、七年経ちました。
その間に、勤め先が、
早稲田から京都に変わりました。
京都には実家もあるので、
京都に引っ越してしまうのが
便利だったのですが、
それを口実に信州を去れば、結局は、
田舎暮らしが挫折したことになります。
やはり「十年一節」と心得て、
十年間は住みつづけようと考えました。
今は、京都と軽井沢に、
半分ずつ暮らしている状態ですね。 |
糸井 |
半分ずつですか。
中心点を、ひとつに決めてしまわないで、
ふたつ持っている生き方って、
これから、大事になってくると思うんですよ。
ぼくは、たぶん今年の終わりぐらいから、
四分の一ぐらいの時間を、
京都で過ごす予定なんです。
まぁ、京都行きを
声高に主張したいわけでもないので、
静かにはじめようと思っているんですけど。
ぼくは、東京も大好きなんですけど、
やっぱりこのところの乾いてる感じに対しては、
ちょっと気持ちがダメになっちゃったんですね。
やっぱり、東京には水分がなさすぎると思う。
こう、縦に延びているしかないところには、
行き詰まり感があるんですよ。 |
川勝 |
東京は、日本でもっとも広い関東平野の、
いわば扇のかなめの位置にありますね。
平野には高い建物が似合うのではありませんか。
シカゴも、ミシガン湖と大平原という、
まったく山のないところにありますが、
そこに人工の高い山が林立しています。
シカゴの高層ビル郡です。
シカゴを飛行機で遠望すると、
実にきれいな山に見えます。
山のないところでは、人は
高いものにあこがれるのではないかな。
平野にある大都会、東京には、
高層ビルが似合うように思います。 |
糸井 |
ぼくは、ビルも都会も
ちっともイヤじゃないのに、
自分のマンションの
窓から見える建物はイヤなんです。
あれって不思議ですよね。
頭じゃなくて、体が反応している。
目の前にいろんなビルが立っていて、
向こう側が見えなくなると、
目がイヤがっているんです。
外を見るのがつらくなる。 |
川勝 |
わかります。
山に登っても、見晴らしのよいところや、
頂上がやはり最高ですからね。
信州に移り住んでからは、
農の真似事をするようになりました。
農業をなりわいにするのは、実力もないし、
さきほど言った法規制もあって、
ぼくにはできません。
都会の利便性に心身がなじんでしまっています。
どういうふうに農に親しむかということで、
試行錯誤しているうちに
「農芸」という言葉で、
元気が湧いてきたのです。
農をなりわいにするのではなく、
いろいろな芸術を楽しむように、
土をいじり、水をやれば、
すがすがしい緑の葉っぱ、美しい花、
それに実のなる作品が生まれる。
水と緑と花と季節の変化を
存分に楽しむという姿勢です。 |
糸井 |
川勝さんが、今の場所を
動かなきゃならないと感じたのは、
「地方のよさを主張するなら
住まなければならない」
と、理論に殉じたということなんですか?
それとも、感性として、
「ぜんぶがまるまる
都会になっちゃうっていうのはよくないぞ」
と、生き物として不愉快になったんですか? |
川勝 |
感性です。
四方を山々に囲まれた京都に
生まれ育ったことが大きいかもしれません。
東京に長く住んでいるうちに、
東京はビルの林というかビルの森で、
「山が見えない」ことに、
あるとき、強烈な違和感をおぼえました。
早稲田のキャンパスは、
最近はきれいになりましたが、
ビルばかりの東京の中でも、
ぼくの学生時代の校舎は
お世辞にもきれいとはいえなかった。
「どんな環境でも、
勉強するやつは勉強をするんだ」
という中で勉強しましたが、
二〇代の後半、はじめて海外に出ました。
向こうの大学の
建築や庭の美しさに息を呑みました。
イギリスのオックスフォード大学に
留学したのですが、
自分の属するカレッジの事務所で、
鍵をもらって部屋にいき、ドアを開けて、
カーテンを開けたら、牧場が拡がっており、
テムズ川の支流の入り江に、
白鳥が泳いでいたのです。
八月末、秋の気配が少しあったのですけど、
緯度が高いから、八時ごろまで明るい。
ターナーの絵のようで、陶然としました。
カレッジとは学寮と訳されますが、
そこで、学長もノーベル賞クラスの先生も
学生も共同生活をしており、
格式の高いホテルといった感じでしたね。
なにも、日本という国がきたないとは
思っていたわけではありません。
イメージの中の日本はきれいだし、
愛着をもっていたのですが、帰国したとき、
東京も含めて、日本中の町並みが雑然として、
ショックをおぼえました。
きたないとさえ思ったものです。 |
糸井 |
なんか、わかるなぁ。 |
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(明日に、つづきます!) |