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質問:
「小説は基本は現実を扱う」
って、おもしろいですね。
虚構と割りきるところからはじめると
成立しないものなんですか。 |
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小説を書く時って、
現実に則して考えているようで
それができていないものです。
小説というのも現実を見る
ひとつのワクではあるけど、
論理のワクでも
因果関係のワクでもないかたちで
捉えようとすると、いちばん
現実に近いようなワクになるというか……
だから現実の中で起きる
いちばんおもしろいことは、小説としても
おもしろいだろうなぁと思うわけです。 |
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自分たちが現実と言うものを
ほんとに現実として見られているかというと、
そこで現実の中にある
虚構性が出てきたりするし、
虚構性というよりは
「論理では説明がつかないようなこと」
が現実には多いもので……だから、
そういう中で「説明のつかなさ」を
小説で再現しようとしたことが
小説だということに
なるのかもしれないなと思います。 |
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質問:
説明のつかないことを、
説明のつかないまま再現するというのは、
せせこましくなくていいですよね。 |
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でもほら、小説を書くのは「作業」だから。
模型を組み立てるのと同じようなことだから。
せせこましくならないようにする方が
むずかしいんです。
若い人は自分では
まだ気がついてないんだけど、人間って、
ルールの中で自動的に
考えたりしゃべったりしているんです。 |
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だから、まだ二十代前半の人が
四十代後半のぼくに向かって、
「保坂さん、いい年の取り方をしましたね」
という言い方をしたり(笑)
高校一年生が同級生が死んだと聞かされて
「将来のある人たちなのに、惜しいことを」
という言い方をしたり。 |
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でももともとは、
同級生が殺されたり事故で死んだりした時に、
テレビの人がすぐに
同級生にインタビューするのが
まちがっているんだろうね。
だって、そんなことを言えるはずがないもの。
同級生が死んだその日に、
何を感じているのかなんて、
絶対に言えるはずがないからね。
だからそこでコメントを取ろうとする
マスコミがおかしいんだけど。 |
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明日に続きます。 |
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