谷川俊太郎の『家族の肖像』。

『家族の肖像』鼎談 第4回
終わることを語れる老人たち。



糸井
今回おふたりが出されたCD『家族の肖像』は、
1作目の『クレーの天使』、
2作目の『kiss』につづく3作目です。
今までに2作の例があったものだから、
ふつうだとその流れの中に入っちゃって
一種のルーティンワークになりがちですよね?
この1、2、3部作を並べてみると
3作目のタイトルだけが「あれ? 違うな」
という印象があったんです。
でも、まあ、とにかく
前2作の流れで聴こう、と思ったら
大まちがいでした。まいった!

賢作
気分屋のわたくしどもの、
いいところが出たのでしょうか(笑)。

糸井
谷川さんが
このCDについてやったことは、
どういうところなんですか。

俊太郎
詩を新しくふたつ書いたことと、
詩や曲の配列を、
ちょっと直してもらったくらいかな。

賢作
でも、最初は「ゆうぐれ」の詩も
入ってたんだから。

俊太郎
そうそうそう。
「ゆうぐれ」って、お父さんとかが
死んでるっていう詩なんだけど‥‥。
自分では、すごい気に入ってるんだけどね。

糸井
ああ‥‥「ゆうぐれ」は、
僕は入っててもいいとは思いますよ。

俊太郎
はははは。

賢作
いやぁ、どうだろうなぁ(笑)。

糸井
「ゆうぐれ」を入れるのは
やめておく、ということの意味も、
もちろんわかります。
でもこのCDは
売れっ子ミュージシャンのように
「とにかく売れたい」っていう
種類のものじゃない。
今いちばんしたいことを
思い切ってやると、逆に
遠くまで飛ばせるような気がするんですよ。

俊太郎
うん、それはほんと、
そういう気がしますね。

糸井
「ゆうぐれ」は
このCDには入れなかったかもしれないけど、
それに近いものは、
この中にたっぷり感じられますよ。

賢作
すごいな。

糸井
このCDは、
誕生についてさかんに語ってるんだけど、
死について、語ってる分量が
ものすごく多いと思うんです。
生まれて終わるっていうことが
しっかりとこの中にあるんで、
気持ちいいんです。

始めと終わりが見えていて、
そのルールの中に
自分たちが生きてるということが
このCDの中にちゃんと入っている。
だから、感動しちゃったんだと思うんです。

俊太郎
うん、そうね。

糸井
僕が以前、テレビの番組をやっていたときに、
「死」のテーマの回に、
谷川さんに出ていただいたことがありますね。
死を語りやすい人ということで、まあ、
ここでも、つまりは、粗末に扱ってんですけど。

俊太郎
(笑)。

糸井
人間はある程度年をとったら、
たとえば60歳を過ぎたら、
死の話をしないようにしよう、みたいなことが、
どこかのとこにマナーとして出ちゃいます。
ところが、谷川さんとか、養老さんもそうですね、
自分でバンバンお書きになってます。

俊太郎
うん。

糸井
死について語れる老人というのが、
ときどきいるんですよね。

俊太郎
そうね。で、今、
ちょっと増えてきてますね。

糸井
それは、とってもいいことだと思うんですが。

俊太郎
そうそう。ほんと、そう思う。

糸井
そして、そのことこそ、
僕らは聴きたい。

俊太郎
そうですよね。

糸井
「生きて死ぬ」っていうことは、
すばらしいことだし、なんでもないことだし、
それを、先に生きてるものの役割として言うよ、
ということが、このアルバムに入ってるんですよ。
だから、「ゆうぐれ」が入ってても、
なんにも揺るがないですよ。たぶん。

俊太郎
うん。

糸井
もう、僕はこのCDをまるごと
買い取りたいと思ってるくらいなんですよ。

俊太郎
ほぉお(笑)。

糸井
谷川さん、
会社を作って売り歩きませんか?

俊太郎
はっはっは。いいですけど。

賢作
それ、おもしろい、おもしろい(笑)。

糸井
これをどうやって
いちばん大勢のところに届けられるかを
考えるんです。
ヘリコプターでまくとかさ。

俊太郎
じゃ、資本金の振込先は、
ファックスで(笑)。

糸井
はい、よろしくお願いします。
こないだはタダで社員にしたから。

俊太郎
そうですよ(笑)。


(つづきます!)  

2004-07-26-MON

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