谷川俊太郎の『家族の肖像』。

『家族の肖像』鼎談 第5回
ついこないだまで、子どもだった。



糸井
谷川さんは、
「いちばん大事なものはなんだ?」って
訊かれたら、
大事にできてなくっても「家族」って
言いたいんですよね?

俊太郎
ふふふ、うん。

糸井
家族の全員と別れたら
自分ひとりが家族だという言い方も
できると思います。
その意味では「自分」も含めて、
自分のいつもいられる場所、
いられる場所にいる人たち、
それこそが大事なんだということや、
どんなにたくさんの人に褒められても
そこにはかなわないなという気持ちは
僕にもあるんです。

それがわかっているからこそ、
いろんなことに対して
未練がましくなったり、
臆病になったりするんですよ。
家族がいなかったら臆病にもなれないし、
命も大切にすることはできないと思うんです。

今、谷川さん自身は、いつも家族とべったり
一緒にいるわけじゃないから、
谷川さんにとっての家族の単位は、
最小に近くなってる。
でも、谷川さんは、家族として生きてる
っていうあたりに、
このアルバムと同じ気持ちが
にじんでいると思うんです。

俊太郎
そうだね。

糸井
僕は、そこにとっても共感できるんです。
そして、このCDは、いい意味で、
はかないんです。

CDの最初のほうに
赤ん坊とかが登場するでしょう?
気持ち良く音楽が流れて、
そこからアッという間なんですよね、
その赤ん坊が消えてしまうまで。
それがね、もう笑っちゃう悲しさなんですよ。
でも、その赤ん坊が
人として生きて、死ぬまでの間に
やってきたことや、関わった人や、
景色の中に、
組み込まれた思い出というのは、
消えないわけです。

これは鋳型と粘土の関係だと、
前に思ったことあるんです。
つまり、粘土を鋳型の中にギュッと詰めたら、
お面ができます。
そのお面なくなっても鋳型は残ってますよね?
だから
「みんなの思い出の中に、
 お父さんはいつもいるのよ」
なんて言い方があるんです。
あれ、ほんとなんですよ。
だって、鋳型が残ってるわけだから。
そこにお父さんが、空間としてあるんです。

それは、具体的に感じたことがあってね。
おやじが死んだ暮れの、すぐあとのお正月に
実家に帰ったら、
コタツに1コ場所が空いてたんです。

谷川さんはクールにもの見てるから、
その匂いを、へっちゃらに書けるんですよ、

共感するやら悲しいやらで、
興奮しちゃって興奮しちゃってね。
じつは、僕、CDを聴き終えたときに
詩を書こうと思っちゃったんです。

俊太郎
書けばいいですよ。
しばらくお休みしてたんだからさ。
今度は、おとな向きのを。

糸井
なのに、それよりまして
「感想を言いたい」と思ったんですよ。
感想を言うのに興奮しちゃったんで、
詩が書けなくなっちゃった。

俊太郎
あ、ほんと。残念!

糸井
ベッドに入って、聴いて、
CD止めて起きたんですからね。
4時とか5時ですよ。
寝室にいられないから、
居間まで戻って電気つけました。
ふと外を見ると、
東京の景色って、ビルに、
赤い光がポッ、ポッと
ついたり消えたりしてるんですよ。
あれがね、墓場に見えるんです。

俊太郎
なるほど。ふふふふ。

糸井
ああ、短かったな、俺が生きてたのも、
って思ってね。

賢作
一気にそこまで旅しちゃったんですね。

俊太郎
すごい。

糸井
でも、気持ちわかるでしょう?
ついこないだまで、子どもですからね。

俊太郎
確かに。

賢作
俺は、やっぱうれしい。
ここまでの化学反応を、
やっぱり全員に起して欲しいんだ、俺は。
残らず。

糸井
でしょう?!

賢作
(父に向かって)
あんまりそういう感覚ないでしょ?

糸井
谷川さん、「渡しっぱなし」だから。

俊太郎
人に感動してもらうのは
俺は好きだけど‥‥。

糸井
谷川さんは、やっぱり
がっかりする練習を
たくさんしてる人なんです。

俊太郎
それはありますね。はい。

糸井
熱もちすぎている人が、
平熱の人としゃべるというのは、
やっぱり辛いわけです。
詩人というのは、
極端な熱をもつ瞬間があるから。

俊太郎
うん、うん、うん。

糸井
僕なんかでも、
おなじようなとこありますよ。
この熱で、人と行き来ができないとしたら、
自分を平熱にするしかないなというふうに
生きちゃうもんですから、
つい、攻め込めなくなるんですよね。

俊太郎
うん。

糸井
だけど、『家族の肖像』はどうも
無意識でやっちゃってるんです。
乗りかかった船だから行きましょうよ(笑)。

俊太郎
ははははは。


(つづきます!)  

2004-07-28-WED

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