「釣り人」
とある官庁に勤めていた頃のことです。
交通が不便な田舎の高台にその官庁はあって、
職員のほとんどが自家用車通勤でした。
隣の部署に配属されていたA君は、
同じ中学の後輩ということもあって仲良しでした。
そのA君が家を出て海を見下ろす
墓地のそばのアパートでの
一人暮らしを始めました。
(安月給の彼にとって
家賃が激安で魅力だったらしい)
それから一月もたった頃から、
彼の自家用車の後部座席にはいつも、
帽子をかぶった見知らぬおじさんを乗せて
通勤してくるようになりました。
誰を乗せてきているのだろう?
不思議でしたがその官庁のそばには
大きな総合病院があったので、
お父さんか知り合いの人でも
乗せてきているのかな、と思っていました。
A君が帰るときにも、
そのおじさんはうつむき加減に
後部座席に乗って行くのが見えましたし。
ある時、A君にそのことを訊いてみますと、
「誰も乗せてきてないけど。」
でも思い当たることはあったらしく、
「実は」と切り出しました。
大事には至らないまでも
後続車から追突される小さな事故が、
ここ数週間の短い間に
数度繰り返していたというのです。
「やっぱり何かあるのかな」
怖がる彼のため、同僚たち数人と、
彼のアパートまで行くことにしました。
海を見下ろす墓地への道はせまく
入り組んでいてわかりにくく、
A君の車のあとから私と他の数人を乗せた車が、
やっとのことでついていきました。
そして、私たちは目撃しました。
先にアパートの駐車場に入って待っていた
彼の車の後部ドアから、
釣り用のベストを着て帽子をかぶった男性が
すうっと降りてきて、
駐車場から夕靄の広がる崖へと歩いていくのを。
数日後、
数週間前に海釣りで波にさらわれ、
行方不明だった初老の釣り人が打ち上げられました。
そこはまさに、あの男性が姿を消した、
A君のアパートの駐車場があった
崖の下だったのです。 |
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