フランコさんのイタリア通信。 |
アドリアーノ、試練の時 1年前に父親が亡くなったばかりだというのに、 恋人も自分を捨てて他の男の所へ行ってしまった・・・ こんな目に遭ったら誰だって頭は混乱し、 心はショックで乱れに乱れてしまうでしょう。 でもこれは想像上のことではなく、 インテルのブラジル人アタッカーであるアドリアーノが、 今、23才の若さで実際に闘っている状況なのです。 確かに彼は、サッカーのボールを蹴ることでは 世界の中でもっとも優れた選手のひとりですから、 そのためにお金をいっぱいもらえます。 でも彼だって、ひとりの青年である点では みんなと同じです。 アドリアーノにしてみれば深刻な危機的状況です。 自分はひとりぼっちで、 誰からも求められていないと彼は感じています。 どこかへ行ってしまったような自分の魂を取りもどすには なんらかのモチベーションが欠かせませんが、 サッカーにすら、2年前には持っていたはずの、 その大切なモチベーションを、彼は見出せないでいます。
2週間前のことですが、 代表チームの一員としてプレイするために ブラジルに帰った彼は、 イタリアに戻りたくないと言い出しました。 リオ・デ・ジャネイロにいた彼の恋人が、 他の男と一緒に暮らすために 彼の元を去ってしまったのです。 イタリアに戻りたくない?! さあ大変だというわけで、彼を説得するために イタリアからブラジルへの電話が 海を越えて何本もかけられました。 そして、彼はイタリアに、戻るには戻ったのですが、 リヴォルノとの試合には間に合いませんでした。 マンチーニ監督とチームの仲間たちは 彼を待っていたのですが、空しく終りました。 でも、試合には5対0で勝ちましたから、 チームにとって大打撃ということは、 その時はありませんでした。 でも、その後がいけません。 アドリアーノはその後、プレイしてはいるのですが、 心ここにあらず。居るのに居ないような感じで、 インテルはまるで10人で11人に 立ち向かっているみたいなのです。 案のじょう、サン・シーロ競技場での対ローマ戦には 予想外の負け方をしました。 しかも、この負けの後、 アドリアーノはマルティンスと一緒にディスコに行き、 リオ・デ・ジャネイロで他の男と一緒にいる 恋人の事を忘れるために、 朝の4時半までシャンパンを飲んだくれました。 そして、ミラノで流行りのディスコを 一晩中めぐり歩いたアドリアーノは、 翌朝は、練習に間にあう時間に 起きられなかったのでした。 インテルが練習場にしている アッピアーノ・ジェンティーレというスポーツセンターは、 ミラノからちょっと離れたコモ湖の近くにありますが、 そこにアドリアーノがたどり着いた時には、 仲間たちはとっくに練習を終えていました。 仲間たちは明らかにアドリアーノにたいして怒っており、 彼に面と向かって、 「本当のプロフェッショナルは こんなことはしないものだ」と 罵倒したそうです。 アドリアーノが アッピアーノ・ジェンティーレに着いた時には、 たぶんまだ前夜に飲んだシャンパンが抜けておらず、 その悪いコンディションを通常に戻すために、 練習の前にまず冷たいシャワー浴びさせられました。 アドリアーノはサンプドーリアとの試合でも 非常にプレイが悪かったので、 マンチーニ監督は彼を立ち直らせるために、 UEFAチャンピオンズ・リーグの 対ポルト戦にも彼を出しました。 ところがインテルは1ゴール先取され、 試合終了の20分前にアドリアーノは クルツと交代させられました。 結局はクルツが決めた2ゴールでインテルは勝利し、 インテルは2月に予定されている UEFAチャンピオンズ・リーグ決勝戦の 16強の試合に進みました。 この交代が、アドリアーノの孤独感を さらに大きくしました。 もともと彼は リオ・デ・ジャネイロの砂浜や熱さなど ブラジルへのホームシックにかかっていた上に、 1年前の父親の死でいっそう心が落ちつかなくり、 感情面でも、さらに 「ひとりぼっち」を感じているでしょう。 ディスコに行き、 プロフェッショナルらしい生活をしない彼を、 マンチーニ監督は理解しているといってプレイさせますが、 出してはいけないであろう時に彼を出したりします。 仲間たちは、サッカーよりも「甘い生活」のほうが 良いのかと彼に小言を言い、 インテルのオーナーであるモラッティだけが、 いつも彼のすべてを許しています。 モラッティは、彼の選手すべての 父親のようでありたいと願っているのです、 特にアドリアーノのように、 恵まれない子供時代を送ってきた選手たちの。 でも、息子のワガママや望みの全てを許すのが、 本当に良い父親なのでしょうか‥‥。 【画像の使用にあたっては、INTER及びINTER.ITの承認済み】
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2005-11-08-TUE
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