フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

ヴェネツィアの謝肉祭。

carnevale

春を待つこの季節に催されるカーニヴァル(謝肉祭)は、
肉体と感覚と精神と、そして喜びの祭典です。
今でこそブラジルはリオ・デ・ジャネイロの
「リオのカーニヴァル」も世界的に有名ですが、
これを世界に広めたのはイタリアであり、
まさにイタリアにおいてその特徴が保たれています。

イタリアが広めた?
そうです、カーニヴァルは
もともとキリスト教カトリックの行事なのです。
カトリックでは、キリストの復活を祝う
復活祭(イースター、イタリア語ではパスクア)前に、
肉食が禁止される断食の期間が守られており、
もう千年以上も前から断食の前日に「肉の祭り」、
すなわち「謝肉祭」カーニヴァルが祝われているのです。

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古き良き謝肉祭を再現。

18世紀ごろ、カーニヴァルはヴェネツィアで、
その素晴らしさの頂点に達します。
肉を食べまくるだけではなく、
断食という禁欲の日々を迎える前の数日間というもの、
人々は楽しみ、自身の欲望を吐き出したのです。
もちろん、最も秘められた欲望までも。

そして、誰であるかを知られないように、
この時期に仮面をつける習慣がうまれたのも、
当時のことでした。

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当時のご婦人たちは、目に仮面を付けて
カーニヴァルの舞踏会におもむき、
理屈の上では素性を知られぬまま、
男性たちと恋の火遊びをしたのです。

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カーニヴァルでは全てが許されていました。
気持ちのおもむくままに自由に過ごす楽しさが
あまりに強かったので、
そのことで結婚生活が破壊される危険は
まったくありませんでした。
だれもが「そうした」ものだったからです。

だれもが、より楽しむために仮面を付け、
冗談や、からかいや、悪ふざけを思いつき、
「謝肉祭には、どんな冗談も通る」という
諺まで生まれました。

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そして今年もヴェネツィアでは、
数百年にも渡って世界的な人気を誇る、
この儀式が繰り返されたのでした。

ヴェネツィアには、
イタリアの中でも最高に美しい劇場のひとつで、
オペラファンにとってはまさに宝石とも言うべき
フェニーチェ劇場があります。
何年も前ですが火災で破壊されたものの、
現在は元どおりに美しく再建されています。
今年のカーニヴァルには、このフェニーチェ劇場で、
古き良き謝肉祭が再現されました。
歴史家たちが「カサノヴァの時代以来のことだ」と
評したほどの素晴らしさでした。

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人々が仮面を付けてフェニーチェ劇場に集まり、
18世紀ごろの音楽の演奏でメヌエットを踊りました。
屋外では、ヴェネツィアのシンボルである
サン・マルコ広場に、
魔法の街と化したヴェネツィアの
魔法をかけられた人々が集いました。
こんなことが出来るのは、
イタリアで、いや、たぶん世界中をさがしても、
ヴェネツィアだけでしょう。

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ヴェネツィアのカーニバルは
リオ・デ・ジャネイロの民族的なものとは
少々異なります。
リオでは混沌とした熱狂に支配され、
最大音量の音楽が、庶民の貧しさの苦悩や
暮らしの苦しさを忘れさせてくれる良さがあります。

それに比べると、
ヴァネツィアのカーニヴァルはエレガントな催しです。
ヴェネツィアという街自体が、
楽しいオペラがいつも上演されているような、
屋外の劇場とも言えるエレガントさですからね。
楽しみとは、もしそれが良いセンスで、
洗練されていて、思慮深さをもっていれば、
日常とは別の位置から見る
別の角度の人生を見せてくれます。
「美しさ」というものを。

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訳者のひとこと

復活祭自体が移動祝祭日ですので、
謝肉祭(カーニヴァル)の日取りも動きます。
ちょっとややこしい計算になるのですが、
復活祭は
「春分の日から数えて最初の満月の次の日曜日」
その前の40日、正確には日曜日を抜いて数えるので
46日ほどを四旬節といい、
カーニヴァルは四旬節の前の数日間に行われます。

この計算で行くと、
まず今年の復活祭は3月23日の日曜日で、
謝肉祭(カーニヴァル)は
2月第2週あたりだったわけです。

謝肉祭というとミモザの花を思い出します。
春も、もうすぐそこまで来ています。

urara

翻訳/イラスト=酒井うらら

2008-02-13-WED

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