フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

デル・ピエロ、愛の宿命。

del piero

少なくもイタリアでは、
サッカーチーム内でもっとも威信のある
ナンバー10のユニフォームを着る選手は、
誰からも愛されるという宿命を背負っています。

その宿命を背負った選手として、
かつてはロベルト・バッジョがいました。
彼はいろいろなチームのユニフォームを着ましたが、
対戦相手のティフォーゾからも愛された選手でした。
そして今、アッレッサンドロ・デル・ピエロが、
その宿命を背負っています。

デル・ピエロに対するイタリア人たちの愛情は、
なにも今に始まったことではなく、
ずっと続いていることです。
これは、みなさんも良くご存知でしょう。
数々のスクデット、トヨタカップ、チャンピオンズ・リーグ、
W杯と、彼は勝利すべき試合の全てに勝利してきました。
そして34歳の今、
時間の中では衰えこともあるかと思われた彼への愛情が、
にわかに再燃しようとしています。

イタリア代表チーム、アズーリのことで。

franco

青い肌のデル・ピエロ。

ドイツW拝で世界チャンピオンとなったアズーリは、
EURO2008前の最後の親善試合を、
3月26日にスペインと対戦しました。
結果は1対0で、イタリアが敗れました。

アズーリのドナドーニ監督はこの試合に
デル・ピエロを招集していませんでした。
そして、この試合に負けた翌日、
誰もがデル・ピエロの不在を嘆いたのです。

彼の洗練された能力、プレイのビジョンなどが、
ユヴェントスのみならず全てのサッカーファンからの
好意的な視線ともあいまって、
彼の周りには親しみと愛情の光の輪が輝いています。
これはロベルト・バッジョの時代以来、
他のだれにも見られなかったものです。

そしてデル・ピエロはバッジョと同様に、
代表チームアズーリのシャツが
彼のユニフォームだと自分で感じています。

彼は言います
「ぼくは自分をユヴェンティーノだと感じるし、
 あの白黒シャツで忘れがたい経験の数々をしました、が‥‥
 が、しかし、ぼくはユヴェンティーノであるより以前に
 イタリア人なのです。
 ユヴェントスの白黒シャツは、ぼくのユニフォームですが、
 イタリア代表アズーリのシャツは、
 ぼくの肌そのものなんです」と。

del piero

デル・ピエロは論争を引き起こしはしません。
次期のEURO2008に
彼を連れて行きたくないように見受けられる
ドナドーニ監督を、うらんだりもしません。
でも、まるでピッチに立っている時のように、
ティフォーゾたちが彼の不在を嘆いたことに対して反応します。
つまり、真のチャンピオンとして。

「ぼくはいつも、一緒に仕事をした監督たちの
 技術的選択を尊重してきました。
 ですからドナドーニ監督が
 EURO2008にぼくを連れて行くことを
 疑問視していれば、それはそのまま
 ぼくが解決すべき問題になります。
 その解決の方法は、ただひとつです。
 アズーリの監督の考えを変えるために、
 次のゲームを良くプレイし、
 その次は最高にプレイすることです。
 ぼくはチャンピオンであることを自負していますし、
 問題は解決できると知っています‥‥」

しかし、アレッサンドロ・デル・ピエロの
大きな志は、ここにとどまらず、
先を、もっと先を見つめているのです。

「ぼくが密かに夢見ているのは、
 南アフリカで2010年のW杯を闘い、
 そこでサッカー選手のキャリアを終了することです。
 ぼくの肌の上にアズーリ色のユニフォームを着てね。
 あ、アズーリのユニフォームは
 ぼくの肌そのものだって、さっき言いましたね。
 じゃあ、アズーリ色の肌の上に
 アズーリのユニフォームを着ることになりますね‥‥」

彼は、そう締めくくりました。

訳者のひとこと

フランコさんのイタリア通信が始まったのは
2002年、日韓共催W杯の年でしたが、
当時のデル・ピエロは「美青年」という印象でしたね。
今ではすっかり立派な大人の男性になったことが、
写真の表情からも見えてとれます。
5年間、精神的にもしっかり成長した証拠だと思います。

(私は彼のお母さん世代の年齢ですから、
 ちょっと大人発言してみました)

delpiero

 

翻訳/イラスト=酒井うらら

2008-04-01-TUE

BACK
戻る