フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

ミッレ・ミリア2008。

franco

イタリアの公道を走る自動車レースとして有名な
ミッレ・ミリア。
昔のイタリアでは最強の車と
最強のレーサーを決めるレースでした。

ここ数年で、まるでクラシック・カーの
ファッションショーのようになりましたが、
様子はかわっても、伝統あるミッレ・ミリアが
神話の領域にあることに変りはありません。
神話というものは想像力をはぐくみます。
そうなれば「自動車レースはかくあるべし」といった
正当性などは、どこかへ吹き飛んでしまいます。

ここはイタリアです。
ラテン系、とくにイタリア人たちは、
頭脳のあるべき場所にハートを持っているようなもので、
ミッレ・ミリアが想像力をかきたてくれる神話であれば、
だれが一番早かったのかはどうでも良いのです。

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世界中からVIPが参加。

参加者は、もちろんイタリア人が多いのですが、
世界中から高価で美しい車をしたがえたVIPたちが、
このレースに参加するためにやってきます。
彼らがコレクションしている宝物ののような車たちが、
イタリアの公道を駆け抜けるのです。

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ミッレ・ミリアとは、
イタリア語で1000マイルのことです。
文字通り1000マイル(1609キロ)を走るので、
この名前が付きました。

今年のコースは、北イタリアのブレシャから
ヴェローナ、フェラーラを抜けてアドリア海へ、
海沿いのラヴェンナなどを通ってウルビーノに入り、
内陸のテルニからローマにたどりつくまでが往路です。
復路はローマからシエナ、フィレンツェ、
ボローニャを通る内陸のコースをたどり、
またブレシャへもどってゴールインです。

franco

イタリアの最も美しい街から街を、
現存するもっとも美しい車たちが駆け抜ける‥‥
想像しただけでもワクワクしますね。
芸術にあふれ想像力を刺激する街並自体が
すでに伝説的なものですから、
世界中から集まった「伝説的な車」にとって、
これ以上ふさわしいコースは無いと、ぼくは思います。

フェラーリの創設者であるエンゾ・フェラーリは、
ミッレ・ミリアを
「もっとも美しいレース」と定義しました。
フェラーリは、たぶん世界でもっとも知られている
イタリアの名前のひとつでしょう。
ミッレ・ミリアはますます国際的になり続けていますが、
このレースが、そのスタイルからも歴史からも、
イタリアのシンボル的な催しであると評価されることを、
主催者たちも確信しています。
主催に参加予定の企業はアルファ・ロメオ、
フィアット、
フェラーリ(フェラーリ本社と工場のあるマラネッロで、
参加者はひと休みの予定)、
ランチア、メルセデス、ジャガー、
そしてアウディなどです。

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それはスポーツでもなく、
またショーでもない。

さて、コースの公道には独創的な375台の車がくり出し、
運転席には、これまた良く知られた顔が
多く見られるでしょう。

その中にはイタリアで最も有名な喜劇俳優のひとりである
レナート・ポッツェットもいるはずです。
またジャン・アレジやヨッヘム・マスのような、
かつてのF1レーサーもいるでしょう。

参加予定のVIPは、まだまだいます。
毎年のように、長い参加者リストになりましたからね。
たとえばパトリツィオ・ベルテッリ
(プラダの代表取締役)、
ジョエル・バーグ(ベネトンのアート・ディレクター)、
ユーリ・ルシコフ(モスクワ市長)、
ジェイムス・マーティン(シェフで、BBCの
料理番組のプロデューサー)らも、名を連ねています。

フォルクスワーゲンの監査役会長である
フェルディナンド・ピエヒも、
かつてアドルフ・ヒトラーのために
特別に作られた車の車体に
186番を付けて走るだろうと言われています。

franco

今回初めて、ミッレ・ミリアはローマを走り抜けます。
イタリアの首都であるこの街も
積極的に役割をはたす準備をすすめ、
特別なイベントなども用意されたようです。
ローマでは、照明に照らされた
フォーリ・インペリアーリ
(古代ローマの遺跡群)に沿って、
レースが観戦できそうです。
またサンタンジェロ城には、重要人物や客人たちのための
居住スペースだけではなく、舞台も備わっているので、
このレースをおもてなしするには持って来いの環境です。

ローマでミッレ・ミリアの往路がゴールする情景は、
ヨーロッパ中をカバーしているテレビネットワークの
ユーロヴィジョンが放送します。

ミッレ・ミリアはスポーツの競技でもなく、
単なるショーでもありません。
多くのイタリア人にとって、
それはアートであり、美しさの祭典であり、
自動車と数々の遺跡があいまって創り出す、
究極の「made in Italy」のひとつだと
言えるのではないでしょうか。

franco

訳者のひとこと

ちょっと調べてみましたが、
フェルディナンド・ピエヒさんの186番が
参加者リストから抜け落ちていました。
185、187と、飛んでしまうのです。
参加を断念なさったのかも知れません。
彼の祖父が、フォルクスワーゲンの
ビートルの設計者であり、ポルシェ創業者の
フェルディナンド・ポルシェさんだそうです。

日本からは
堺正章さん(本名は栗原さんとおっしゃるのですね)や、
東儀秀樹さんも参加なさったようです。
ちなみに出場ナンバーは堺さんが212番、
東儀さんが329番でした。

ミッレ・ミリアの公式サイトはこちらです。
イタリア語版
英語版

翻訳/イラスト=酒井うらら

2008-05-20-TUE

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