第4回 幻想を求めて
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出久根 |
モノというのは、結局、価値判断はお金になるでしょう。
その幻想って、怖いところがありますよ。
店でこんなことがありました。
ご主人が、奥さんにヘソクリを何百万か出させて、
ある本を買ったんです。
ご主人が亡くなり、奥さんは
本を売ったらお金が入ると期待して
古本屋に持ち込んだんですが、
実はそんな価値ある本じゃなかった。
おそらく旦那が別のことにお金を使い、
奥さんには「この本を買った」と言ってたんでしょう。 |
仲畑 |
ああ、あり得るなぁ。 |
出久根 |
逆のケースもあるの。
古本屋に“均一本”ってありますね。 |
糸井 |
100円均一とかで表に並んでる。 |
出久根 |
そうです。
ご主人が何十年と均一本ばかり集めてたのを
苦々しく思ってた奥さんが、
「こんなしょうもないもの、処分してください」
と言ってきてね。
ところが、これがものすごい金額になった。 |
仲畑 |
はーあ、そりゃすごい。 |
出久根 |
単純な話で、
たとえば30年前に10円で売られた週刊誌は、
今、古本屋では1冊2千円、3千円の値段で並んでます。
昔の均一本も、今はみんな価値が出てきてるんですね。
モノをお金に替えるとき、
そういった悲喜劇はたくさんあります。
骨董なんか金額が見えにくいから、
もっといろいろあるでしょう。
だから古書より面白いのかもしれないけど。 |
糸井 |
そのかわり、
「家1軒売ったら、この骨董が手に入る」
って言い出しかねない恐怖もありますよね。 |
仲畑 |
俺なんか、もうその域に入ってる。
いい仏像が出たんで、
「マンション売って、あれと交換する」
と言って、会社の経理に止められたもん。 |
糸井 |
出久根さん自身は、これだけは
手元にずっと置いておきたいっていう本はないんですか? |
出久根 |
それやったら商売人じゃないです。
商売人は絶えずモノを還流させなきゃいけない。
仲畑さんが買って、また売るかもしれない。
これでいいんです。
ただし、本はお上が買うとダメね。
いい本を図書館が買う。
そうなると永久保存はされるけど、
二度と市場には出ていかない。 |
仲畑 |
流通しないんですよ。 |
糸井 |
価値も一元化しますね。
ある学者の価値だけになって。 |
仲畑 |
古書も骨董も、たくさんの浅い目を楽しませるより、
何人かの深い目を楽しませるほうが、ずっと価値がある。 |
糸井 |
古いものを、ただ保存しておくことが最良じゃないんだ。 |
出久根 |
個人が愛蔵するから、モノも呼吸するし、
生きているんですね。 |
糸井 |
それ、シビれるなぁ……。 |
仲畑 |
骨董には、「うぶ」という言葉がありましてね。 |
出久根 |
古書でも言います。
何十年と長くお客さんが持っていてくれたもの。 |
仲畑 |
うぶなものは長く個人に愛されてきたから、
やっぱりいいんだ。
だけど博物館のガラスケースに入れられた茶碗なんか、
人の手に触れられないまま、
みんなに見られるうちに痩せていって、
あれ、お茶碗の剥製だって言うの。
だから骨董屋はまず官に入れたくない、
業者に売りたくない、個人に売りたいという順番ね。 |
出久根 |
古書は、買った人が亡くなれば
家族が売りに来るでしょう。
「古本屋は3代目が潤う」というのは、
初代がいいものを売れば、孫がそれをまた買い取る、
そうやって商売になっていくからです。 |
糸井 |
樹を植えるみたいな話ですね。
プロの目から見て、
この家にはいい古書がありそうだとか、わかります? |
出久根 |
だいたい貧しそうな家にありますよ。
大邸宅にはないです。
店でも、買ってくれるお客さんは、
粗末な格好をしてる人ですね。
古書好きは、自分の服はいつも同じジャンパーでいい。
その分、好きな本にお金をかけたいんです。 |
糸井 |
荒俣宏を思い浮かべると、
わかるような気がするな。(笑) |
出久根 |
面白いですよ、変わり者が多くて。
大の男で宇宙人のコスチューム着て、
「UFOの本ありませんか」と探しに来る人とか。
円盤ならぬ自転車に乗って。(笑) |
仲畑 |
宇宙人……ね。 |
出久根 |
その時間は、売る側の僕も一緒に
UFOの世界に入るわけです。 |
糸井 |
わかった。
出久根さんは“古本マニア・マニア”なんだ。 |
出久根 |
そうでしょうね。ふふふ。
古本屋を続けられるのは、
そういうお客さんを好きなわけで。
ただ、個人のお宅にうかがうときは警戒されます。
自分の書棚を見られたくないというのは、
誰にもあるから。 |
糸井 |
自分の思想を見られてしまう。 |
出久根 |
有名な作家の本棚に『サザエさん』全巻が揃ってて、
それは先生の愛読書。
でも、そういうのは隠したいかもしれない。
だからお客さんが古本屋を家に呼ぶとき、
近所の店は絶対に避けますよ。 |
糸井 |
その心理、よくわかるな。 |
出久根 |
古本屋のオヤジは無愛想だって言われるでしょう。
あれ、話しかけちゃイカンのです。
学校の先生が柔らかい本を帳場に出したとき、
「いい本をお読みで」
なんて声をかけると、
お客さんは立場ないですから。 |
糸井 |
大人のオモチャ屋に似ているような……。(笑) |
仲畑 |
骨董屋も、あれが売れた、誰が買ったとか、
絶対に言いませんね。 |
出久根 |
言わないでしょう。
古本屋の場合は、有名人であれ無名人であれ、
出どころは絶対に言わないのが鉄則なんです。 |
糸井 |
信頼関係の上に成り立ってる商売なんだ。 |
出久根 |
そうだと思います。
古本屋やってて楽しいのは、
生涯もう二度と手に入らないような
珍しい本が入ったときなんか、すごく嬉しい。
だけど、それを自分だけの楽しみにせず、
その本を手にして喜ぶお客さんの顔を見たいんです。
「あれ、いい本だったね」
とお客さんが言えば、そこでまた話題になる。
つまり、二度、楽しんでるんです。
骨董屋さんも同じじゃないですか。
業者が仲畑さんに品物を売ったあと、
ときどき見に来るでしょう。 |
仲畑 |
ええ。 |
出久根 |
ね。
骨董屋さんも、自分が気に入った品物が、
いい住処を得て可愛がられているのを見るのは嬉しいし、
そういうことを通じて、
仲畑さんのようなお客さんと話をするのが
楽しいんだと思う。
大量に生産されたモノだと、
あんまりそういうのはないですよ。 |
仲畑 |
僕の場合、骨董屋に遊ばれてるとも言えるけど。 |
糸井 |
遊びあってるんだ。 |
出久根 |
仲間なんですよ。
モノを集めるのって孤独な世界のようだけど、
一方で、自分と共通項の人間を
すごく求めようとしますしね。 |
仲畑 |
うん。
僕が行くと、嬉しそうな顔するもんね。
お茶なんか何杯も出すよ。
お茶菓子もいろんなのが出てくる。(笑) |
出久根 |
だからね、結局、淋しがりやなんですよ。
淋しい人間がモノを集める。 |
糸井 |
古書店って、女のお客さんはどうなんですか? |
出久根 |
古本を集める女性は非常に少ないです。
店に女のお客さんが入ってくると、
「きょうは縁起がいい」
というジンクスがあるくらいで。
買った本を新聞紙に包んでくれという男の方がいて、
古本屋の包装紙だと奥さんに
「またロクでもないもの買って」
と言われるんだそうです。
女性には理解できないんでしょう。 |
仲畑 |
骨董もそうだけど、やっぱり男の世界ですね。 |
糸井 |
古いモノ−−手垢やシミがついてたり、
ねじれたり曲がったりしてるモノを集める文化そのものが
変態性欲で、男のものなんですよ。
女の人の場合、ねじれや曲がりを愛でてたら、
女やっていけないんじゃないかな。 |
仲畑 |
多分、女より男のほうが生体として危ういんだと思う。
生きていること自体が、男にとっては
辛い、息苦しい、不安。
だから、つかまる棒が必要なんでね。 |
糸井 |
「もののあはれ」ですね。 |
出久根 |
古書や骨董品を集めるというのは、
自分の世界をつくりあげていくことで、
いわば幻想を求めてるわけです。
男はその幻想に寄りかかりたいんでしょう。 |
仲畑 |
「こんなもん集めてどうすんの」
って言われたら、崩壊する世界だもんね。 |
出久根 |
無意味なものに意味を見つけて、
そこにすがろうとするのが男で……。 |
糸井 |
なんか、男って哀しい。
今は女性もどんどん働いているから、
もののあはれに触れることも多くなるだろうね。 |
仲畑 |
社会にぶち当たって
自分にヒビが入ったり、頽廃した女の人は、
こっちの世界に入ってくるよ。 |
糸井 |
最後に伺いますが、
今、古書業界で注目している本ってありますか? |
出久根 |
マルクス、レーニンなんか、
とっくの昔に二束三文でしょう。
ところが、古本屋は密かに集めてます。
何十年後には『資本論』も復活するだろうと。 |
仲畑 |
僕も道元なんかを、ポツポツ読み始めてるとこだけど、
今、オモロイもんね。 |
出久根 |
時代は巡る、ですね。
幕末に盛り上がった尊王攘夷論の水戸学も、
古本屋の世界では、ちょっと前に動いてたんです。
だから古本屋をチェックすると、
次にくる思想が見えるんじゃないですか。 |
糸井 |
古いけれど新しい。
過去であり未来であり−−。 |
出久根 |
だから、骨董屋も古本屋もすたれないんです。
(終)
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