#1 はじめに

去年の3月11日に、
東日本大震災のコンテンツを掲載したあとで、
1通のメールが届いた。

「福島県須賀川市にある
 公立岩瀬病院を取材してもらえませんか?」
という内容だった。

震災のコンテンツに限らず、
ほぼ日刊イトイ新聞には
「取材してもらえませんか?」
「紹介してもらえませんか?」
といった内容のメールがしばしば届く。
なかには、たしかにこれはすごい、
もっと知りたい、というものもあるけれど、
ぼくらの手が足りないこともあって、多くの場合は、
すみませんがいますぐには‥‥という感じで
お断りさせていただくことになる。

そのメールに反応したのは、
ぼくが東日本大震災にまつわる、
とりわけ福島にまつわる
さまざまな取材を重ねていくなかで、
ぼんやりと気になっていたことと
テーマが重なっていたからである。

すごく乱暴にいうと、
福島に関するものは、
両端にスポットが当てられやすい。
いや、福島に限らず、たいていの物事は、
両端に、両極に、スポットが当てられやすい。

ひどい被害、未曾有の事態、深刻な問題。
そして、進む復興、未来への希望、前進。
当たり前のことだけれど、
その両方についてのことが取材され、
知らされていくことは、まったくまっとうなことだ。
そこにスポットは当たるべきだと思う。

けれども、どちらともいえない、真ん中の部分、
深い悲しみと、くったくのない笑顔の間に、
福島県に暮らす多くの人々の日常、
あえてことばにするならば、
少しずつ溜まっていく疲れのようなものが
あるのではないかとぼくは感じていた。

けれども、そういったテーマは
やはりすくい取ることが難しい。
ふだん福島に住まない者が
短期間にうまくまとめられるものではない。
だから、気になるという以上の
具体的な形をとることがなかった。

須賀川市にある岩瀬病院を取材してもらえませんか、
というメールを送ってくださったのは、
福島で暮らす方ではなく、
震災直後、心理的に孤立していた岩瀬病院の職員の
カウンセリングを担当していた臨床心理士の方だった。

おそらく、外部からの視点を持っているからこそ、
「取材してもらえませんか」という要望を
きちんとことばにできたのではないかと思う。

いただいたメールにはこういった記述があった。

「福島、とくに直接の被害がなかった中通りは、
 指の間から砂が落ちるように人が減っています。」

「岩瀬病院は3.11のとき、
 奇跡のような状況で頑張りました。
 今、だれからも評価されず、
 見えない低線量の放射能にぎりぎり心を使い、
 疲弊しています。」

「職員の面接を数度実施していますが、
 かなり、我慢して身体をいじめている人が多いようです。
 福島の人は我慢ができすぎます。
 (阪神淡路大震災のときに)
 神戸にも、支援に行きましたが、
 神戸は感情を開くことができる感じがあり、
 援助を受け入れる能力が高かったと思います。
 福島は我慢して、どんどん疲弊していきます。」

福島の人は我慢ができすぎます。

それは、ぼくも、しばしば感じることだった。
もちろん、比較するようなことではないし、
印象以外の根拠を挙げられるわけではないけれど、
福島の人はあれからずっと我慢しているし、
前向きな姿勢の裏にもじわじわと蓄積する
疲れがあるとぼくは思っていた。

それで、ぼくはいただいたメールに返事を書いた。
具体的に、どういうかたちになるかわかりませんが、
とりあえず、なにか行動したいと思っています、
というようなことを。

そうしないと、すべてはあっという間に
「なにもなかったことになってしまう」。
それは、福島にまつわるいくつかの取材を通して
ぼくが自分のなかに刻みつけたことでもある。

(つづきます)

2015-03-11-WED

はじめに

須賀川市

2011年3月11日

ふたりの看護師さん

なんとかするしかない。

このまち