ガンジーさん。 いつ途切れるかわかりませんが 今後ともよろしく。 |
8.あらためて、お願いします。 なんだか興奮気味に、ぼくは ガンジーさんにあらためてお願いメールを出した。 実に、乱文失礼します、という感じだった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■Re; "the 親戚新聞”日曜版. _________________ >Anyway 病気にならぬのが一番だ >Have a good day! _________________ 親戚新聞ありがとうございます。 糸井重里です。 日曜版も出ているなんて、「ほぼ日」とおなじですね。 長いメールになりそうです、すみません。 今回の日曜版の内容を読ませていただいて、 あらためて、考えました。 ぼくも、父親は食道ガンだったのですが、 彼はいつも (たぶん息子のぼくにだけ言っていたのだと思いますが) 「みんなが俺にウソをついているのが口惜しくて」と、 歯噛みしていました。 気休めの励ましや、通り一遍の親身な態度が、 悪気はなかったのでしょうが、いちばん父のこころを 苛立たせていたようでした。 前々から、ぼくは「マイナスカードを持った人」と、 平等につきあえないということの不自然を感じていました。 とても弱い立場にいる人には、 誰もが妙に遠慮がちに接します。 だから、それに合わせて 「マイナスカードを持った人」の側も、 居丈高になったり、過剰に善人を演じたりして、 自分とはちがう部分で他者に接する 不自由の世界に入り込みます。 こういうカタチでない関係が あるのではないかと思いながら、 なかなか例をみることもかなわないまま、 ここまで来ました。 ガンジーさんの最初のメールから、 もしかしたら、この方なら、「ありのまま」の意見を 表現してくれるのではないかと思いました。 死という誰にでも訪れる現象を、忌み言葉にするのでなく 『あることは、ある』と、 虚勢を張るでもなく語っている様子が、 失礼ながらうれしかったのです (いつも失礼で、すみません)。 ぼく自身、『人間は生まれた瞬間から 余命数十年の不治の病に罹っている』 というような歌をつくって、 発売中止になった経験者ですが、 もう若僧とも言われにくい50歳を過ぎて、 ますます、この意を強くしています。 一生悲観して長く生きるのも人生、 笑いながら短く生きるのも人生、ぼくは、 長さは自分では決められないけれど、 「ああ、おもしろかった」と言って、 みんなと別れたいと、思うのです。 今回の「親戚新聞・日曜版」を読んで、 「労られる側の自由を考えろ!」というメッセージに、 あらためて、意を強くしました。 前回のメールで頂戴した ____________________ >私は不特定多数の方に書いたり話したりが >できません。 >それは対称があっての場合であって >相手が私の筆を進めさせてくれるからです。 >喧嘩でもそうですね 相手に先に殴らせた方が >やる気が出ますもんね。 >”何処へ飛んでいくのか鉄砲玉に聞いてくれ!” >という文章は苦手です。 >ですから私は糸井様宛に >親戚新聞を含めて mailを送らせて頂きます >それを料理して戴けたら >少しは続くのではないかと思います。 _________________________ というお言葉に甘えて、ぜひ、 ぼく自身が編集作業するという形式で、 「ほぼ日」に、『ガンジーさん』というような 何でもないタイトルで、 連載を始めることを許可していただきたいのです。 おそらくそれは、 「失敗するかもしれないけれど 中卒で社会に出ようとした若者」の連載や、 「考えてないようで考えている 雑貨店経営の若い娘さん」のページや、 「たのしく遊んでばかりだけど、 けっこうまともな女子高生」の連載のように、 『立派じゃなくても、ぼくは好きだなぁ』 という人々の共感を呼んで、 なんだか「とても肯定的な世界」を 広げてくれるのではないかと、 期待しているのです。 おそらく、身体のお元気なうちは、 一生の思い出に残るような仕事も たくさんしてきたであろう ガンジーさんの、どこまで続くかわかりませんが、 ______________________ >少しは >子孫(大袈裟.かつ自惚れですが)の役に立つ ______________________ 仕事として、「同情ではなく共感」を呼ぶようなページに、 きっとなってくれると思います。 ぼくらの「ほぼ日」は、 商業メディアとして機能できていませんので、 これをやったから どんなメリットがあるとは申しあげられませんが、 『長い山道に、 誰かがつくったベンチがひとつあったんだよ』 というような、ことが出来るのではないかと、 (気張っているのではなく)ぼくは楽しみにしています。 固有名詞や、人名、地名が特定できるような部分は 特に希望がないかぎり仮名にして編集します。 以上のような心づもりでいるのですが、 お許しいただけますか? よろしければ、いままでどおり、 「親戚新聞」をお送りくださるだけでも、 ページは作れます。 さらに、思いたったときに、糸井宛に、 個人的な気分でメールをくださったら、 それを引用させていただいて、 連載はつくれます。 病人に向けて、こんなに長いメールを書いてしまって、 ほんとうに「平等」が過ぎたかもしれませんが、 ご容赦ください。 いつでも、お返事をお待ちします。 周囲の皆さま、とりわけ 「親戚新聞」の事務局長であられる朋姫に、 よろしくお伝えくださいませ。 ありがとうございました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ なんか、私信だし、ナマっぽすぎて、 掲載するのは嫌だったのだけれど、 ぼくのほうも、もっと裸になるしかない。 『ガンジーさん』の連載は、この時点で、 ほんとうにはじまったわけで。 だから、ここまで、読者の皆さんも読んでいるわけです。 (つづく) |
2000-08-31-THU
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