ガンジーさん。 いつ途切れるかわかりませんが 今後ともよろしく。 |
17.では、ここにいたる事情を少々。 これは、『the親戚新聞』ではありません。 ガンジーさんが、私信として、ぼく宛にくださったメール。 昨年からの「癌」とのつきあいを、 あらためて教えてくれました。 連載がスタートして、数日目のことでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◆一抹の 不信感は お持ちのことと考えます。 この先しばらく 生命保険的.命の恩人にたいして これまでの概略を お話します。 昨年9月 65歳の誕生日のすぐあと 腸閉塞で緊急入院 検査の結果 大腸癌と判明 11月2日 大手術。 直前 手術室へ運ばれるストレッチャ―のなかで 名札を貼り付けられた右手親指をみて ”これ 戒名みたいだね” 付き添っているカミさん 娘たち 看護婦さんたち 笑ってくれない うけなかった。 あまり 看護婦たちの ”がんばってね” が うるさかった からです。 がんばるのは 俺じゃない 医師の方だ。 仮死してる俺が がんばれるもんか 全身麻酔がきれたらどうする。 手術後 カミさんが無茶だと言うのを尻目に 翌日にはベッドに起きあがり 2日めには たくさんのチュ-ブを身体にぶら下げ 点滴棒を引き摺ってトイレ通い。 娘は ”えらい!” と 言いましたが わたしには それどころじゃない 文字どうり 命がけの 毎日でした。 歩かねばまた腸閉塞。 12月7日退院。 なあに たかが大腸癌 消化器系の癌なんて。 と 普段の生活に戻りました そして今年4月 診察のとき 腹水がたまっていることを指摘され 5月9日 再入院。 この時点で あと6ヶ月と言われました 普通手術後1年以上たってからの再発が多いが 6ヶ月での再発はきわめて危険 と まず検察側の答弁 そして5月17日の「判決」に到りました。 現在 仮出所中です。 腹水がたまる.体重が減る.便秘.と どれかが起こったら すぐ復院 (へんですね 復員を思い出します わたしは昭和9年生れ 兵役にはとられませんでした) するように言われてますが 今のところ順調に推移しております 延べ4ヶ月にわたる入院生活で感じたのは 年配者にかぎってですが 病気持ち以前に”病人”です。 治そうという意欲が 感じられません。 医師の あと2ヶ月 という診断には 癌の進行とともに 薬の副作用.高齢による全身衰弱. 余病の併発などのことも 考えてのことのようです わたしの場合 転移したのではなく 全身で”癌ちゃん”が 遊びまわっているそうなので 手術は出来ない とのことでした。 抗癌剤で駆逐する以外に 方法はない。 あとは自然治癒力 と 言外に匂わせた 言い方。 抗癌剤は 人によって効果が違い 副作用も 人それぞれ のようですね。 さいわい私の身体に合い性がいいのか 医師や 看護婦の懸念するほどの 吐き気.めまい.だるさ.などは これまでのところ それほどありません。 元看護婦ただいま専業主婦の 長美女は ”お父さんは我慢づよいから”と 買いかぶっています。 頭髪は まともですが 手.足.顔は 癌黒です。 今は3週間の休み(白血球が減少するため あいだをおく)のため 元にもどっていますが 再来週からパート2の抗癌剤点滴シリーズが (週1回x6週)はじまれば また 黒くなることでしょう。 どうにも 状態を うまく表現できません。 心のどこかで 「ひとごと」 のように思えるのです 65歳という 人生あきらめ心境も あるんでしょうか。 取り留めのない 話になってしまいました。 それでは また。 (親戚新聞では ...それじゃまた 猿股... なぁ〜んてクサイ駄じゃれを言ってます) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ はじめから、このメールを頂戴していたら、 きっとまた別の印象を持ったことだろうと思う。 やはり、どんなに軽く書いていても、 「戦い」にはちがいないのだ。 ガンジさんの、普段の明るい表現というのは、 やっぱりたいしたものなんだと、また感じいってしまった。 (つづく) |
2000-09-09-SAT
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