ガンジーさん。 いつ途切れるかわかりませんが 今後ともよろしく。 |
臨時版+25.あらためて注意したいこと。 本当の今日の分の原稿は、 ずうううっと下のほうにあります。 臨時のメールをふたつ掲載する都合からです。 まずは、誕生日の当日。 午前中に届いたガンジーさんからの 第一のメールです。 ___________________________ 送信は明朝ですが 今これを書いてるのは 16日午後11時55分です。 無事に66歳へ到着できそうです。 どのように言いあらわしていいのか言葉が みつかりません。 サンキュウ ソウ マッチ としか。 ふざけてるように おもわれても また かしこまり過ぎても困るからです。 慇懃無礼といいますね、 アイ ハブ ノー ワードです。 新聞で読んだのですが 良寛和尚の辞世の句が ”散る桜、残る桜も散る桜” と。 さらに側近の者が いよいよという時 「最後にいいのこすことは?」との問いかけに 和尚は言ったそうです。 ”死にとうない!” ユーモアだとおもいますね。 でも人によっては マジに受け取るでしょう。 いいですねぇ この心意気。 たしか今年の3月ごろの読売でした。 私も死ぬときはこうありたい。とおもってます でも...。 せいぜい ”激辛らーめんが食いてぇ” が 二子山 いえ せきのやまでしょうね。 あ、もう12時を過ぎました! 花火があがってます!じゃ〜ん! 群集が先を争って 鳥居をくぐっていきます。 あっ、 お賽銭の雨です! みんな私が頂いていいのでしょうか? いいえ、気前のいいガンジーです 「ほぼ日」に全額を寄付し....ませんが ほぼ半分は差し上げたいとおもいます。 66歳、おめでとうございます! さっそくアメリカ大陸の横断を プランニングしなきゃ。 ルート66、車はシボレーコルベットですね。 相棒は? 現地採用のジェーン、アリスンかアン、 ブライスに似た子、 といっても糸井さんにはわからないですね。 1950年代のハリウッドですから。 いろんな事が、65年の過去が 競馬レースのようにうかびます。 さまざまな出来事がありました、 失恋し背の低さを歎き ”よぅ〜し 今度は竹馬にのってデイトするぞ” ムカシいい男でならした親友は みかねて ときどき、お裾分けをしてくれました。 みんな私の好みではありませんでした らーめんのジャンケンで、チャ-シュウを奪われた 親友です。 1時を過ぎました。 昨年11月の手術以来はじめての、夜更かし です。 このPCは6時〜夜10持の契約です。 明朝お届けします。 おやすみなさい。 ___________________________ そして、その日の「ほぼ日」が更新されて、 サプライズ・パーティ画面があらわれてから、 もう一通が飛び込んできた。 ___________________________ なんてこった! まったく、なんてこった。 糸井さん、本気でやっちまったぜ。 言葉がない、声もでない。 涙がでてきたぜ 鼻水がいっしょに出るなんて 新発見だ。 お母さん、バケツもってきてくれ。 俺にも、涙があったんだなぁ この花の、ひとつひとつを、味わっていくと 涙は在庫切れになるだろうなぁ ポカりスエットを飲まなくっちゃ。 むずかし顔をして、腹ではせせら笑ってる 見舞い客より、この人たちのほうが まさしく人間だ。 こんなにいっぱいの花を、 これから眺められる毎日が続く。 ひとつひとつ丹念にみていこう。 こんなに多勢の人たちの名前がある。 面白い名前の人もおおい。 Eメール用なんだろう。 まじめに戸籍どうりの名前を書いてくれた人。 みんなほんとうの人間ばかりだ。 糸井さんが言うように、 世の中、捨てたもんじゃない。 ”災い転じて、福となす” そうか、これ俺の為にあった言葉だったんだ。 癌爺にならなければ、こんな凄い経験でき なかったはずだ。 なにげなく、ほんとになにげなくおくった メールがこんな展開になるなんて まったく、なんてこった! __________________________ コメントは、いらないでしょう。 では、この後の、通常版をお読みください。 こちらは、ずいぶん前にガンジーさんの連載の反響が もりあがってきたときに書いたものです。 こういう誕生日のうれしい日のメールに続けて掲載するのは ずいぶん無粋とも思うのですが、 あえて、連載の普通の流れのなかでは、 この時期にこれを掲載する必要があったのです。 いまだに、平然と、押しつけがましく「返事待ってます」 などとガンジーさん宛てのメールに書いてくる 想像力の貧困な馬鹿野郎がいるのですから、 しつこく、こういう文章を 載せておいたほうがいいでしょう。 ほとんどの良識ある読者の方々には、 イトイもしつこいなぁと苦笑されるだけでしょうが、 掲載しておきます。すみません。 これは、もう何度も似たようなことを書いたので、 「うるさいなぁ」と思われるかもしれないが、 もうしわけないけれど、もう一度だけ書きます。 「善意」のメールに対しても、冷たいと うけとられかねないことなので、 しつこいと思われても、 丁寧に書いておかなくてはと、あらためて書いた。 (ガンジーさんにも、同じ内容のメールを送って、 合意済みですので、どうぞよろしくお願いします) もともと気になっていたことだが、 ガンジーさんが「ほぼ日」に連載の場を持ったことで、 その影響が、よからぬかたちで出たら困る。 そのひとつが、例えば、 たくさんの意見や感想への「気遣い」ということだ。 誰か知らない人が、自分のことを思っているというのは、 ありがたいことではある。 しかし、それは同時に、なかなか苦しいことでもある。 この「同時に」というところが、 なかなか理解されにくいところなのだ。 ある、近所や学校や 会社の人たちにしか知られていなかった人がいるとする。 その人が、 「見知らぬどこかの人に励まされている」 ということを知るのは、素晴らしいよろこびだと思う。 しかし、と同時に、 「見知らぬ誰かが、うらんでいる」 ということを知った場合には、かなりの苦痛になるはずだ。 いままで、見知らぬ人々のことを考えなくても 毎日暮らしてこられたのに、 そのことまで考えのなかに入れなくてはならなくなる。 これはけっこう体力のいることなのだ。 いわゆる、「有名税」といって人々が片づけるような 負担は、実はかなり重いものだと言っていいだろう。 「いい目にあっているんだから、それくらいは」と、 人が無責任に容認させようとする負荷は、 おそらく、それを言っている本人がかけられたら パニックになるくらいに重いものだ。 ガンジーさんに、その負担をできるだけかけないように、 というぼくの立場は、こういうふうにも言える。 『ガンジーさんが、励まされることさえも少なくして、 全体の負担を軽くすることにしよう』 これは、独断でぼくが決めたことだ。 ガンジーさんには、おそらくたくさんのメールが 届くだろうと予測はしていた。 予想以上に、反響は大きかったし、 そのメールは、基本的に(もちろんのことだが) ガンジーさん本人が読むという前提で書かれたものだ。 しかし、それを、 ある程度ぼくが選んでからガンジーさんに転送している。 つまり、 「せっかくガンジーさん宛てに書いたのに、 本人に届かないのか?!」ということもありうるのです。 それは、メールの総量そのものが、 カロリー過剰になりそうなくらい多いからです。 そして、 「患者でない日常」を上手に送るようにしている ガンジーさんを、 いついかなる時も「癌爺さんという病気の人」 にしてしまうくらい時間と考えを要求してしまうからです。 それは、とても大きな負担になるのです。 たとえはよくないかもしれないけれど、 ライオンの生態をテレビのクルーが撮影に行って、 視聴者からのご意見やプレゼントを、 どんどんライオンに渡しますか。 それをしたら、ライオンは 狩りをやめてしまうかもしれないし、 よかれと送られた善意の薬で別の病気になるかもしれない。 むろん、ガンジーさんを、 野生のライオンのように言うのは的確でないのですが、 『想像以上の影響』をあたえてしまって、 その影響への対処に疲れてしまっては、 いけないと考えているのです。 ぼくのように、慣れている人間でも、 時々、体力の弱ったときなどに、 「メールあたり」と呼べるような、 長いこと直射日光に当たった後のような疲労感に 襲われるくらいです。 そういうことを、防ぐために、 ぼくが「マネージャー代わり」をしていると、 どうか、お考えください。 では、糸井重里の判断が必ず正しいのか? と、訊ねられても困ります。 ぼくの転送の判断は、単純です。 「もともと、なかったはずのメールなのだから、 転送するべきかどうか迷ったものは送らない」 そして、転送する数も 多くても一日に2〜3通以内にとどめています。 以上の考えが間違っているという方も、 もしかするとおいでかもしれませんが、 そういう場合は、メールを出さないでおいてください。 「せっかく(励まそうと思ったのに)、がっかりです」 といったような、 「せっかく・がっかり」の新・係り結びセットは、 ガンジーさんへのメールだけでなく、 いっさい、不要です。 ぼくは、この連載も、「ほぼ日」も、 本気で、長く、続けたいのです。 なにがいちばん正しいかについての論争をしているよりも、 今日の、明日の、自分で納得した「ほぼ日」を、 作り続けていきたいのです。 すみません。今回は、直にガンジーさん宛てでもなく、 ガンジーさんからのものでもないメッセージを、 書かせていただきました。 <darling> (つづく) |
2000-09-18-MON
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