ガンジーさん。 いつ途切れるかわかりませんが 今後ともよろしく。 |
80.夜中と朝のコミュニケーション。 ガンジーさんからのメールは、 基本的に朝に届く。 いろいろ事情があった場合は、午後になったり、 夕方になったりする。 それに対して、ぼくが出すメールは、 おおよそ、夜中の3時から後、 5時だの6時だのということも多い。 昼間に出すことも、たまにはあるけれど、 そんな日はめずらしい。 一日の使い方がまったくちがうのに、 なんとか順調にやりとりできているのは、 電子メールだからだ。 ほんとに、メールがなかったら、 この『ガンジーさん』ってページもできなかった。 じゃ、今日は、「やりとり」を。 ___________________________ ◆「商売繁盛。ガンジーから」 通販のご成功、おめでとうございます。 それでいながら、 ”本業ではない” と云いきるところ、 実に立派です。 ダ.ヴィンチのように、 出来る人は、なんでも成せるんですね。 恐れ入谷の、...なんでしたっけ? 男は、すこし調子がいいと、手を広げたがります。 本業を忘れてしまうようです。 石橋は、叩いても石橋。 ここはひとつ、鉄橋にしてから次に進みましょう。 ところで糸井さん「ガンジー」の編集のあとは、 私め、のこと忘れてくださって、 スイミング、いえ睡眠グーをしてください。 過労で、倒れたりすると、 私めは下敷きになり一巻のおわりになります。 どうぞ命ばかりはお助けを。 今日の、(22日(日))の「ガンジー」欄、 私の願いが叶いました。 有り難うございました。 もしかしたら、この欄の使命? (なんという思い上がりか!)は、重病の人や、 その身近な人々のために、 すこしでも役にたつことではないかな? なぁんて、思ってもいるからです。 こうやって、「ほぼ日」に登場した患者さんたちは、 私がそうであるのと、おなじように、 そうとう元気ずけられる、と考えるからです。 当然その家族も。 輪が、波紋が、広がって、世界中の患者が元気になれば、 これこそほんとに、凄いことです。 「ガンジー」 は私だけのページでなく、 世界中の患者のための 「楽しくいこうぜ、土壇場会議」の場になったらいいな。 と編集者の苦労も考えず、勝手なことを想像してます。 ”寝ろっ” だの新企画だのと、 まことに身勝手なガンジーでありまーす。 ___________________________ 「ガンジーさんへ」 ガンジーさん。 糸井重里です。 今夜も遅くなってしまいました。 まだこれからよその原稿をひとつ書くので、 早寝のくせをつけようとしているのに、結局朝まで 起きていることになってしまいました。 今日は、うれしいことがたくさんと、疲れがいくらか。 精神的な残高としては、多いに儲かったというような エネルギッシュな一日ではありました。 明日は、またきわめてどたばたした一日になりそうです。 さっき、ちょっと時間をつくって 『<老い>の現在進行形』(吉本隆明)春秋社 という本を読んでいました。 本当のことを、しっかり言える人の本は、 こころをつかみます。 発見の幸福がたくさんありました。 今日は、「親不孝な息子」さんのメール転送します。 この人には、このメールをccしています。 大人たちが、なにかしら考えている現場を、 覗いてもらってもいいかなぁと思ったからです。 ぼくが、彼の親父なら、もう十分にうれしいでしょうと 思いました。 これだけで、十分ですよね? ガンジーさん。 じゃ、せちがらい仕事に戻ります。 ____以下、転送のメール_______ Subject: ガンジーさんへ Date: Tue, 24 Oct 2000 21:39:27 +0900 はじめまして。札幌に住む真田(仮名)と申します。 早いもので連載が始まって2ヶ月ですね。 毎日読ませて頂いてます。 じつは、54才のオヤジがガンにかかってしまいました。 今月もつかどうかだそうです。 函館の病院に10月6日から入院しています。 点滴の管が肩から入り、 尿と胆汁を出す管がお腹から出ています。 黄疸が出て身体中まっ黄色くなり、痛みを訴えています。 一月ほど前、実家に帰ったときは元気そうにしていたので、 こんなことになるとは未だに信じられません。 先週オフクロから、 入院して手術するということを聞きました。 それから20日の晩にオフクロから電話があり 「今帰って来れない?」と言われたので弟と帰りました。 列車の中でヤバイのかなと思い覚悟を決めて いました。夜遅くついて、母から説明を受けました。 翌日、医者からも説明を聞きました。 おそらく2,3年前からガンは肝臓にあり、 それが胆管に転移し そのガンによって胆汁の流れが悪くなり 黄疸が出たんだそうです。 CTの写真も見せてもらいましたが、 肝臓のほとんどが黒くガンに侵されていました。 とりあえず胆汁を十二指腸に流れるように、 管を通す手術をしたのですが ガンが大きくて管を通すことができませんでした。 今は1日2回モルヒネを打っていますが、 それでも痛みがあるので徐々に量を増やすそうです。 それでも、オヤジの友達が見舞いに来たときは 身体を起こして普通を装っています。 見舞いとかを嫌がる人なので、僕と弟が見舞いに行っても、 「またお母さん言ったのか言うなと言ったのに」 と言ってます。 「入院したっていうから来てやったんじゃん、 よろこびなさいよ」 としか言えません。 付き添っていても「学校はどうした」と 逆に心配をかけてしまうので、 とりあえず札幌に戻ってきました。 オヤジは海上自衛隊を35年間勤め上げ、 今年の1月に定年退職しました。 それから再就職先の会社に研修の後、 4月から勤め始めしました。 夜勤はあるけど、自宅からすぐの所にあるので 第二の人生にはちょうど良いと言っていました。 弟の大学があと2年あるので それまでは頑張ると張り切っていました。 今までの仕事より時間的に余裕があるので、 近所のおじさんとパークゴルフで遊んだり、 庭いじりをしたり、自分で刺身をこしらえて 昼間からビールを飲んだり、健康ランド行ったり、 山菜取りに行ったり、マメにに動き回っていました。 家の改築も済んで、 これから自分の時間を楽しめるという時 だったのに。 心残りなのは、 僕が穀潰しのできそこないのバカ息子だということです。 大学には浪人して入り、遊びほうけて留年までしてしまい、 就職も決まらずフリーターでもしようかという とんでもない野郎です。 オヤジは「お前の卒業式は出るからな」 と前からずっと言っていました。 おそらくは3月まではムリでしょう。 僕は夢に向かってがんばって、 一人前になるしかありませんね。 「身体中からスパゲティが飛び出して ベッドに縛られて死ぬ」 と誰かが言っていました。 僕も家族もそんな死に方が良いと思っていません。 死ぬなら自宅で安らかに死なせてあげたい。 失礼な言い方になるかもしれませんが、 自宅で療養されているガンジーさんのように、 オヤジもそうさせてあげたかったなぁと思いました。 「年寄りの教えたがり」を オヤジからももっと聞きたかったなぁと思いました。 ごめんなさい。 ガンジーさんに読んでもらえなくても 糸井に読んでもらえるのではと思うだけで、 気持ちの整理がつくような気がしたので メールを送らせていただきました。 変な文章になったことをお許しください。 ごきげんよう。 札幌市 真田(仮名) ___________________________ なんだか、なぁ。 受け取りましたよ、おとうさんの代わりになれないけど。 読みました。ぼくが父親なら、 「お前でじゅうぶんだ」と、悪口を言ってあげます。 ね、ガンジーさん。 (つづく) |
2000-11-12-SUN
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