ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

85.ガンジーの父。

ガンジーさんは、いまお父さんだけれど、
そのガンジーさんにもお父さんがいたわけです。

それは、どういう人物だったのか。
ガンジーさんは、突然、そういうことを思いはじめた。
ぼくも、ちょっとわかるのですが、
年を取ると、過去の記憶をくっきりさせたくなるのです。
どういうふうに、自分というものが出来てきたのか。
きっと確認したくなるのだと思います。

ぼく自身も、父親に聞いておきたかったことが、
もっとあったんだと、今ごろ思っています。

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「B.C(Before Christ)ではなく、B.G.だ」           

「物心」がつく、というのは具体的に、
何歳ぐらいからなのだろう?
「おませ」な子と、「おくて」な子で
差があるとしても
アベレージは?

ガンジーの場合、記憶の初めは、
母親の膝で温泉に入ってる場面だ。  
3歳の頃だったらしい。
(女体を見たはじめての経験じゃぁ)
それと、一等の食堂車での食事。 
(でもこれは、伯父が、
鉄道省に勤めていたから出来たこと。
それほど金持ちではなかった)
ちなみに、ガンジーの親父は、義塾(慶応)を出て、
鉄道省大井工場にはじめ勤務したとのこと。 
(親父の親戚、談)
本人は、その辺のことを、いっさい言わず世を去った。
何故?

見事! これぞ反面教師!といえる人だったから、
すべてを
”今さら、言っても...” と、考えていたんだろう。
聞く機会も、戦争と、戦後の別居(疎開)のため、
なかった。

注:一等車は、今のグリーン車、鉄道省は国鉄、
当時国電(山の手、京浜)は、「省電」 といった。

でも、これは、”物心がついた”ではないね。
馬込も、(大田区だが、そのころは東京府大森区といった)
当時は田舎で、農家、養鶏場が多かった。
その、昭和15年ごろ、見栄っ張りの親父が、
ガンジー兄弟に革靴や、
子供用自転車を買ってきて与えてくれ、
それがもとで、近所の悪ガキにいじめられた事なんかが、
物心のつきはじめ、といえる。

それから今まで60年、結婚してからでも38年。
よく飽きずに、
名もなく、汚く、愚かに、生きてきたもんだ。
その反動、いや反省があるから、
「親戚新聞」が続いてるのかな?

親父とは、その辺が違う。

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結婚してから38年ですかぁ。
38年間、生まれたときには他人だった人と、
ずっと一緒にいるって、どういう感じなんだろうなぁ。

うちのヨメは、もう一度生まれ変わったら、
次はぼくと結婚しないそうです。
んで、その次に生まれ変わったらオッケーだそうです。
よくわかりません。

(つづく)

2000-11-17-FRI

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