ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

103.期待するのは。

ぼくは、かつて自分のこどもに向けて、
「他人に期待を強要してはイケナイ」
という内容の文章を書いたおぼえがある。
「ダーリンコラム」だった思うんだけれど、
探したら見つからなかったからちがうのかもしれない。
お好み焼き屋に集まってサッカーを見ようと、
友達と約束をしたこどもが、
急いで走ってその店に行ったら、誰もいなかった。
だけど、「そういうことは、あるもんだよ」と、
ぼくは言ったのだった。
彼のしたことは、我もするものなり。
そんな気持で、ありがちな間違いを見逃せや、って。

『この女に石を投げられる者だけが、投げなさい』
裁くということのオソロシサを、
キリストさんは、そんなふうに言ったっけ。
ぼくが、ほとんどのメディアに心から親しめないのは、
裁けない者が裁くことを、平然とやり続けているからだ。
ただ、このことを言い過ぎると、
なんでもかんでもになっちゃうので、言えないんだけどね。
あらゆる「告発」に疑いの目を向けたのは、
石原吉郎という詩人だった。
シベリアに抑留されていたこの詩人の詩は、
若くて「告発」に正義を見がちだったぼくには、
相当なショックだったものだ。

長いね、今日は。
ガンジーさんにバトンタッチします。

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「打てば、響く」

コピー、貼りつけの方法を教わったので、
このところせっせと返信のメールを送ってる。
返信にたいする反応が、早い人、全然こない人、
いろいろだね。
期待してはいない。 
期待してはならない。

ただ、こない人は、忙しいからなのだろうか?
ほぼ日の呼びかけで、興味をもち、
ガンジー宛とはなっていても
ガンジー宛ではないように思えるものもある。  
偽善、と言っては言い過ぎか?
勿論、全てがそうだと考えてるわけではない。
気になるのは、心から気にかけてくれてる、
と感じた人たちのことだ。

ガンジーのおかれた状況が、状況だけに
66歳でもみぬけない。
歳のせいの涙もろさも手伝って。
そして、淋しい気持ちは否めない。 
「親戚新聞」 とおなじ文の運び方ではなく 
気にかけてくれてる人に関しては、
それなりの丁寧な書き方をしているつもりだ。

話しかわって。
クルマの運転で、譲ってあげた時、
お礼の挨拶を期待するか?
先方の、運転技術にもよるけど。初心者とか。
ガンジーは、この場合は期待してはならない、と思う。
また、譲ってくれて、
こちらが素早く応じないと怒る人もいる。
諸君はどう考える?

人さまざま、とかたずけるか?
諸君には、そうは思ってもらいたくない。
ご返事の大切さ、を考えてほしい。

くどく例をあげよう。
TV番組で、料理屋の主人が、客に ”おいしい!”
と言われ、 
”あぁ、そうですか” と答えてることがある。
経営者だぜ、いい年の。 
何故、有り難う、といわないのか?
木で鼻をくくるってやつだ。 
シャイとか、テレでは済まされない。

これからの国際社会、これは大事なことだ、
練習しておこう。
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なんか、ふかーいところの何かを語ってるでしょう。
刺激的なこの日の「the親戚新聞」だったよ。

さらに、この日は、もう一通、
個人的に次のようなメールも届きました。

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親せき新聞の件。From ガンジー。

今日の、親戚新聞のことで、
責任を感じたりしないでください。 
どうぞ今後とも転送の件、よろしくお願いします。
 

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ガンジーさんに、ぼくから転送するのは、
せいぜい、多くて一日に3通。
ディスクジョッキーのように選んで送る。
いろんな人がいるのさ。
ほとんどが、素晴らしい人々であることは、
言うまでもないですぜ。

(つづく)

2000-12-05-TUE

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