ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

136.野田さん。

はじめは、特定の政治家の方の実名なので、
仮名にしていたのですが、
ガンジーさん個人にとって、『親戚新聞』にとって、
とても大事な方であるようなので、
そのまま実名で登場していただくことにしました。

「ほぼ日」がということではなく、
「ほぼ日」に登場するガンジーさんが、
この方をとても大事にしているということで、
お読みください。

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「歳末、感慨号」

今年の後半は、
恐怖の病を逆手にとり、それまでのガンジーなら
到底、不可能と思える人たちと深く知り会うことができた。
このやりかた unfair じゃないだろう? 
なかなかやるわい、と悦に入ってる近ごろだよ。 
これぞ 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という、
野牛森嗅げ柳の後食いじゃぁ!
(柳生新陰流の極意、初めから読めたら100点あげる)

生死についての研究中、6月に国政選挙があり、
初めての不在者投票を、病院内ですませた。 
そして野田佳彦氏は捲土重来が果たせた。
起久からの最終確定得票数 116.156票 の知らせが、
6月26日午前、覚えたてのメールに届いた時は
嬉しかったね。
当選は当然、と不安なんて微塵もなかったが、
あれほどの票数になるとは
ほとんどの人の予想を覆したに相違ない。

もう予想はよそう! と各陣営は歎いたことだろう。
実に、市民54万人のうち、5人に一人が、
「野田佳彦」 と記入したのだ。
有権者数の、4分の1、投票総数の約半分、という
驚くべき数字!
完勝! とはこのこと。
そして、野田氏の3年8ヶ月に及ぶ闘いは
見事な幕を下ろした。
この3年8ヶ月という日々は、
我々が想像できない闘いだったことだろう。
みずからの精神との闘い。
それまで、トントン拍子で昇り進んだ野田氏に、
妬みやっかみが趣味の市民たちは、
同情という 「いい気味だ!」を
慇懃無礼に示したにちがいない。

トントン拍子からの挫折に、立ち直ることは至難だ。 
ガンジーの知人に、
絵の才能があり、トントンと芸大、トントンと日展入賞
と進み、当然おフランス、へ渡った彼は、
そこで初めて挫折感をあじわう。 
ドンドン落ちる絶望感。
帰国した彼は、荒れたそうだ。 
その後、絵筆は捨てたという、 母親の弁。 
その後は知らない。 
そういうヤツを好きにはなれない!

浪人中の野田さんに、
リンカーンのエピソードを綴った本のコピーを送った。
心をこめて。
その効果がどうの、ではない。 
氏は一度ぐらいの負けでへこたれる人ではない。
その生涯にたった一度だけ負けた徳川家康の 
「三方ヶ原」 と受けとめてる氏は、
その志も、家康そのものだ。
日本の現況と将来を憂い、
かといって大上段に構えるでもなく、
表面はごくふつーの年増青年。  
だからなおさら好きなんだ。

諸君に、選挙の時は野田さんを頼む! なんて
一言もいわなかったとおもう。
それでも諸君は応援した、そのことも嬉しい。
諸君の目が確かなことに安堵してる、
知人に対してもガンジーはその方法をとっている。
野田さんとは、こういう人だ、としか言わない。 
繰り返し、繰り返しね。

糸井氏については、来年の会見後に、
その感想を伝えようと思ってる。
では、新世紀の新年、親戚をあげて祝おう!
間もなく来る新世紀に、乾杯!

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というような『親戚新聞』でしたが、
年末の感慨として、わざわざガンジーさんが選んだ
話題ですので、そのまま転載いたしました。


(つづく)

2001-01-08-MON

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