ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

162.親戚よ。

親戚よ。
つまり、こどもたちよ。
と、ガンジーさんは呼びかける。

すっかり元気に見えるけれど、
俺はガンのジーのガンジーだ。
もっと、その、メールとか、くれ、とは言わないけど、
くれてもいいぞ、というより、くれよ!
と、ガンジーさんはむずかっている。

・・・なんだか、「寺内貫太郎一家」を見ているような、
ちょっとユーモラスな『the親戚新聞』でした。

ガンジーさん。
便りのないのはよい便り、と、言うではありませんか。

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「苦言を食えよ」 

親戚新聞は、巣立った諸君へのメッセージだけど、
語っていることは、ほんのわずかの 
「こんな風に生きてみたら?」 
という、提案にすぎない。
父親からの単純な思いを
毎回、手をかえ、話題をかえて、書いている。

ところが、だ。 
「オヤジどうやら、
ピンチをひとまずは切り抜けたみたいだ」
とばかり、諸君からのメールが、近ごろ少ない。 
ガンジー、それを淋しいとは思はないが気にはなるんだ。 
ちょうど近所のお店で、しばらく買い物をしてないと、
それまであった挨拶がなくなる、という
あの現象だ。

客であるこっちの方から挨拶するという逆順序になる。
慌てふためいて、挨拶は返ってくるけど
気分はよくないよね。

わざわざ訪ねて来てくれることはない。 
メールで充分、今までのようにポストまで
投函に行く必要もない。 
たった1行のメールでも意思は通じる。
ガンジーは残念に思う。 
朋姫が言うように、食傷気味なのか、あるいは
「何を今さら...」と考えてるのか、
それらが気になる。

ほぼ日読者からのメールで、たった1行 
「読んでるよ、いつまでも続けてくれ」
というメールがある。 とても嬉しい。 
小説家の受け売り美辞麗句よりはるかにいい。
危険な状態の入院中に、見舞いにきてくれた諸君だ。
 朋姫の言う「食傷気味」もホンネとは思わない。
忙しいのも知ってるつもり、でもなんか気になる。

ほぼ日連載を奨められた時、
糸井さんが、ガンジーの持ち込む魚を料理してくれる事を
条件にお願いした。 
原材料だけなら何とか続くでしょう、と。  
ところがその直後から
政府のインパクの仕事など超多忙な毎日になってしまった。 
普通の人なら「実は,,.」と断られるのが通常のケース。
しかし、彼はやっかいな料理を続けてくれている。 
東奔西走の身でありながら、
さらにモバイルでの通信を気にしながら、
ほとんど毎日送ってくれる。
それあるが故に続いてる連載だ。

忙しい人は、口では、忙しい、忙しい! 
といってはいるが自身でそれをリズムにかえ
次々にてんこもりの仕事を消化している。 
一種の呪文だね。
糸井さんも、いいだしっぺ、の
責任感だけではないと感じる。 
やっぱり並みの人間ではない。
でも諸君は並みの人間でいい、
蛙の子のはずなのに河童ぐらいになってるから。

大学でお世話になったゼミの先生、
悩んでいた時支えてくれた友達、旧上司。
そういう人たちを忘れなければ、
ガンジーへのメールなんかどうでもいい事だ。

おわりっ!

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この、最後の「おわりっ!」が、
おかしくて。くっくっく。
自分も、こういうおやじになるかもしれないなぁ。

(つづく)

2001-02-03-SAT

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