ガンジーさん。 いつ途切れるかわかりませんが 今後ともよろしく。 |
165.雪の思い出。 今日のガンジーさんには、ガンジー夫妻の 青春の絵がちらっと見えるんだよ。 猫を猫っかわいがりするガンジー夫人が、18歳の時だって。 他にも、日本のクルマ社会の始まりの頃の様子とか、 歴史の資料みたいな興味深い話が、はじまる。 先日、ガンジーさんが鼠穴に顔を出してくれたとき、 こういう原稿が読みたいなぁって、 なんとなくリクエストしたんだけど。 やっぱり、よかったわぁ。 ___________________________ 「ムカシの雪」 久しぶりの雪景色に、大満足。 無色、無職の世界に喜んだよ。 人の転ぶ姿が見られなかったのが残念だったけどね。 子どもはともかく、大のおとなが 真剣な顔して虚空をつかみ 踊りまくるのを見るのは実に愉快だ。 踊りまくって最後は ”ずっで〜ん” だもんね。 ガンジーのローラーブレード修行はこういう時に役立つ。 踊りまくることなく体重の移動で、1件落着。 落着といっても地面にじゃないよ。念のため。 だいたい大股で歩くと危ない、 小刻みに猫のように、がいい。 綱渡りのように両手を広げて歩けば万全だ。 と思うけど? タスデ美と、レンタカーを借りて、 ほかにも一組を乗せて 湯河原へドライブした時を想いだす。 当時はまだ高速はなく、道は国道1号線のみ。 宿に落ち着いてから深夜、熱海へ向かった。 その時から雪が降り始めフロントガラス越しに雪が舞う。 ガンジーたち二組のアベックも (アベックって言い方懐かしいな)舞いあがってる。 舞鶴道路もない昭和34年だった。 婚前交際(泊)なんてまだ公認されてない時代だったけど。 ガンジー独断でゆるしちゃった! タスデ美18歳、ガンジー24歳の冬だった。 (←くぅーっ!この気取った書き方) その頃のレンタカーはぜーんぶ、個人でやっていた。 車も2,3台というこじんまり経営、 ナンバープレートは黒地に白の文字。 「葬式ナンバー」とあざけったもんだが、 自家用を持っている人も少なく渋滞もなし。 そして当時は車が大威張りで走れた時代だった。 歩行者はみんな道を譲ってくれる、特権階級だ。 羊羹ナンバーと言われる1行ではなかったが、 (今の自衛隊ナンバー) それでも東京ナンバーは「もてた!」。 なけなしの金をはたいて手に入れた 中古ダットサンを乗り回していた昭和37年でさえ、 くるま優先の時代は続いたんだ。 話しは戻る、深夜の熱海は、 「糸川べり」という赤線地帯を除けばひっそりしたもの。 しんしんと降る雪の中、(後ろの席もしんしん?) 錦が浦まで行き、引き返したと記憶してる。 素晴らしい雪景色だった。 タスデ美もかわいかった。 今では、She was cute!と言うしかない。 今、cute の比率は30%。 41年前だもんねぇ。 翌日が大変! 宿から出るのに雪かき。 客だからといっても手伝わなきゃおそくなる。 大きな旅館ではなく、お忍び用の「離れ」だけの宿。 他に客はいなかったみたいだった。 レンタカーだから時間も気になる、勤めは休日だったけど。 それでも気温がぐんぐん上がり、 無事に道路にでられ一路大観山をめざす。 今のオレンジラインが工事中の時だった。 その工事中の真っ只中で故障、 なんとドライブシャフトのネジがなくなっており、 いたずらに地面を掘ってるだけ、 これじゃ前に進むことは出来ない。 ところがだ! ツイてたね、 工事の連中が修理してくれたんだ。 よってたかって車の下へもぐりこみ簡単になおしてくれた。 感激したよ。 地獄にほっとけと (仏) 放り出さずにやってくれた。 チップを渡してようやく脱出し事無きを得た。 さて、突然おわるよ! 今日は点滴の日だ。 今日の当番、カコちゃんかなぁ? ___________________________ なんか、セピア色のいい話でしょう? 実はぼくも、今日は人間ドックの日。 昨日の夜の8時から、絶食で、さ。 どこも悪くないといいんだけど、 まったく何もないと、ちょっと損した気になるかもね。 (つづく) |
2001-02-06-TUE
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