ガンジーさん。 いつ途切れるかわかりませんが 今後ともよろしく。 |
248.1年前のことだった。 とても簡単にこの『the親戚新聞』の内容のようなことは、 ぼくも知りませんでした。 夏にガンジーさんとの文通がはじまって、 連載になったけれど、 その前の病気の状態とかについては、 ぼくもまったく知りもしないし、聞きもしなかった。 そうかぁ、こんな感じだったんですね、と、 あらためて知りました。 もう、一年前のこと。 ___________________________ 「肝に、Mayずる月です」 造形の神が気まぐれに仕上げた、祖雑なフクの顔。 そんなフク雑な気持ちで間もなく迎える5月。 パソコンを叩きながらフクと顔を見詰め合い、 無言のひととき。 やがて彼はまばたきをひとつして目をそらし、 大きく溜息をしたかに見えた。 “やれやれ...” What does it mean? 諸君にはウソだろ? と言われそうな この一年間の遅い遅い時間経過。 ウソじゃない、これまでの2倍の時間を経て やって来る5月だ。 死地を脱出したい兵士の焦りか? 嫌いな芋虫に迫って来られ 必死の逃亡を試みている夢の中の出来事か? 走っても駆けても足は空を切るだけ。 長い1年だった。 1年経ったからって事態が好転したわけじゃないけど 少しでも危険地域から遠のきたい心理なんだね。 ほんの僅かだがホットしてる。 ほんとに死ぬのかなぁ? 死ぬ時は痛くてたまんなくなるのかなぁ? 肺へ転移したら苦しいだろうなぁ? 出来れば酒でドンちゃん騒ぎをしながら この世にサヨナラを言いたいなぁ、なんて考えていたっけ。 白状するけどやっぱ臆病なんだ。 空っぽの頭、というより脳みそが停電状態だった。 真っ暗闇で ”どうすりゃいいんだ!” って呆然としてた5月後半だった。 ナースステーションに、 “情けご無用に願います!”の絶縁状を投げ込んでから 不思議と気持ちが落ち着き、 心密かに決意を固め開き直ったのは その月のおわり頃だっただろうか? 芝居の開幕は、正確には4月18日にさかのぼる。 担当がそれまでの若いヤブから 後任のベテランヤブに変わって、 「淋巴腺」への転移を知らされた事に始まる。 手術後6ヶ月、病を舐めてかかっていたんで、 与えられた薬もキチンとは飲まず、 ま、65歳でもあるし、 たとえ癌にならなくても寿命はしれたもんだ、と 仕事をほとんどやめて 未明の築地市場やら深夜の外人経営のバー、 近郷の行楽地と興味のあるところをうろついていた。 それが災いしたんだね。 ベテランヤブに見抜かれるまで 腹が張ってきてる事に気付かなかった。 若ヤブはガンジーのおちゃらけた受診態度に辟易してか ろくに診もしなかったのだ。 その点では今のベテヤブを一応は評価できる もしあのまま若ヤブの診療が続いてたら The end!だったろう。 「いい事」はもうひとつあった。 肝臓には転移してなかったこと。 これは幸運だった。 しかしあの時点ではさらに不安になったことも事実だ。 転移してれば手術が出来るが 今の状態では抗癌剤の投与しか方法がない、との ヤブの突き放したような不用意な発言。 病気しろうとの者にはどっちがいいんだ!と悩むだけ。 まったく技術は確かかもしれないが心を忘れた言い草だぜ。 消化器系の癌なんて。 と馬鹿にしてたのがとんだことになってしまった。 楽天的性格が裏目に出てしまったわけだね。 そして、その楽天的な性格が今度は幸いして 生き長らえてる。 不思議だなぁ と思いながらフクを見たら、 ヤツ、笑ってる。 このやろ! もう、モジャモジャにしちゃうぞっ! ___________________________ 先日お会いした時の様子では、 もう、めちゃめちゃ元気な人でしたよ。 午前11時過ぎに集合した東京駅から、 午後7時過ぎに解散するまで、 ほとんどひっきりなしにおしゃべりしていたもの。 あの精力的な呼吸量だけでも、健康法ですよね。 (つづく) |
2001-04-30-MON
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