ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

317.「努力」の扱い方。

かつて、ホークスの王監督が選手だった時代に、
ぼくは、自分の野球帽に『努力』と書いてもらった。
王さんに、努力の二文字は、ほんとによく似合う。
だが、王さん以外の人間には「努力」という言葉は、
けっこう危険だという気がする。

天才は、99%の発汗と、1%の才能の結果だ、
というけれど、
実際に、99%の発汗を実行している人が、いるか?
たいていは、「38%の発汗と0.001%の才能」くらいで、
「いやぁ、俺ってがんばってるよ」とか言っちゃう。
それを見ている別のやつが、
「42%の発汗」だったりすると、
「おまえは、ぜんぜん努力してない」と説教したりね。
どっちも、まったく足りないわけよ。
せいぜい、42.001%にしかならないもん。

99%の努力と言えるところまでやった人でないと、
『努力』の二文字はさまにならないんだよなぁ。
だけど、途中経過としては、
10%だろうが、80%だろうが、
努力はなくてはならないわけで、ね。
やらないってのは、資格なしだもんなぁ。

どちらにしても、天才の才能が1%と言われちゃ、
そうでない人間はそれ以下なんだから、
なにかを成し遂げようと思ったら、
99.99%くらいの発汗をしなきゃならないのね。

きつっ!

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「変な言い訳」


勝負は時の運、という言い方は西洋にもあるんだろうか?
日本人は成果が表れなくても
それまでの努力を買う傾向がある。
これまでは、だけどね。
西洋の場合は結果を重視してるようだ。
ここぞ、という時に力が出せなかったり
知ってるはずのことが思い浮ばなかったりでは
出来ない知らないと同じだもんね。

よく知らないけど儒教ってヤツの影響なんだろうか。
だから働きもしないのに会社に残って、
さもそれらしき雰囲気を出そうとしてるのかも。
長ったらしい会議なんかもそうだね。
外人と話してると日本人はよく働くと言うが
そんな事ない。
働いて日本をここまで繁栄させてくれたのは
数少ない人たちのお蔭だ。
我々はただ自分のことだけ考えてあくせくしてきただけ、
彼らの国家戦略、経済の運営が確かだったからこそ
我々はその流れを使ってリッチになったんだと思う。

そして「判官びいき」というのもある。
同情するのが日本人の習性なのか。
ずーとムカシからトップダウンの生活だったので
庶民の気持ちは弱者に厚くなったのか、
ひたいに汗して働いてる姿を
能力以上に評価してる傾向がある。
余談だけどガンジーの家でもトップダウンですが
その順序は、タスデ美→ネコ→ガンジー→犬の順。
ネコより劣っても犬よりマシ
という存在は悲しい物語だねぇ。

先日、朋姫と入った外人バーで
ガンジーがおしゃべりしてるのを
彼女は驚いていたようだが
けっして英会話が上手なわけではない。
ただ「えぇーと...」と
長い間を入れないで会話を進めてるから
そう見えたのかもしれない。
語彙も単語も文法もまるで知らないガンジーだが
話のリズムには乗っていける。

語彙を知らなくても他の言いまわしは出来る。
それが大切なんだと思う。
つまり知識は少ないが頭の回転は速い(自慢でーす)
というわけ。
単語もアルゼンチン単語も知らないけど
踊っちゃうんだねぇ。
ボデーランゲージってところだ。
話せばわかる!って言ったが殺され。
ムカシの政治家、お気の毒でしたね。
若い将校はわからなかったのだ。
踊っちゃえばよかったのにねぇ。

それと年寄りが駄洒落を好むのは
その長い人生で積もり積もったゴミが連鎖反応をおこして
オセロゲームのように各語が結びつくから
なんだと思うなぁ。

ここ一番!の時に力が出ないのは
経験と練習不足なんだろ?
心、技、体というように技だけ磨いても勝負には勝てない。
ワザワザ磨いたのにねぇ、体も鍛えたのにねぇ、
ココロだけが忘れられていたんだ。
心がけなくちゃねハンガーに吊るしてさ。

畑山(ボクサー)のように
「やるだけやった!」と相手を称える精神っていいよねぇ。
オリムピックで山下(柔道)は
相手の同情で勝ったのではない、
あれが彼の実力だったんだ。
諸君も事にあたって運に逃げることなく
普段の努力を続けてください。
幸運は努力の申し子でーす。


ガンジー

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幸運は努力の申し子、かぁ。
そうだよなぁ。
一回や二回の幸運は、つかめても、
なんども幸運の女神さまに好かれるってのは、
「お待ち申しておりました」というくらいに
準備のできてる人でないと無理だよねぇ。

(つづく)

2001-07-11-WED

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