ガンジーさん。 いつ途切れるかわかりませんが 今後ともよろしく。 |
334.深さへ。 (最後に、先日のクイズについての、 ガンジーさんのコメントがあります) ガンジーさん、今日は旅行に行ったときの 目のつけ方について語っている。 たしかに、写真を撮りに行く目的でなければ、 写真のために旅が不自由になるのは、お得じゃない。 と言っても、ぼくなんかみたいに、 何度もカメラを買い替えて、 旅にでても、1枚も写真撮らずに帰ってくるというのも、 自慢できることじゃないけどね。 ま、そういうことばかりじゃなく、 忘れようとしても忘れられないような 「深さ」を求める時代がきているということは、 感じるよねぇ。 ___________________________ 「一点だけを見るな」 飽きっぽいことを性格だからと諦めてはいないだろうか。 投げやりにしていては 折角の人生がつまらなくなると思うぜ。 飽きるのはもともとそれほど興味のないことに 首を突っ込んでしまったか これ以上やっても同じと 卒業気分になってるんじゃないかな。 かく言うガンジーは後者だったね。 勝手にマスターしたと決めてしまい 次ぎのことに関心が移ってしまう。 ところがどっこい、物事深く掘り下げると さらに興味が湧いてくることがあるようだ。 井戸だって深い方がよく水が出る。 移り気がわるいとも思わないが 深く味わってみることもお奨めする。 噛めば噛むほど味が出るニッキ、 子どものころが思い浮ぶ。 スルメもそうだけど今の子どもはそんなことするめぇ。 上っ面だけ見てすべてがわかるはずもないのに 人々は先を急ぐ。 まるでツァー観光のようにね。 その奥にある美味しさを見落としてる。 有名観光地だけなら絵葉書や雑誌、 まして今ならインターネットで充分だ。 折角出かけたのならじっくり腰を据えて楽しみたい。 写真を撮ったりお土産を探したりなどの時間は もったいないと思うんだけどね。 同じ場所に再び行ってみると 季節によってすっかり違ってるから驚く。 朝と夜でも違う。 ぐるぐるまわってくたびれるだけの旅行は感心できない。 せめてその土地に1、2泊はしたいね。 限られた人生だから見れるだけ見てやろうとの 駆け足旅行では あとに残る楽しみがまるで違うんじゃないかな。 せっかく撮った写真も現像して見たあと それっきりしまいこんでしまうことが多いようだ。 それに引き換え頭のなかにしまいこんだ記憶は 何かにつけて思い浮ぶ。 何度も何度も楽しめる。 シャッターの100分の1秒と 数時間の滞在時間との差だろう。 時間をかけて記憶したことは 写真より鮮明にのちのちまで残るような気がするよ。 夫婦でも友達でもそんなふうに考えることがある。 カッコいい人に人気が集まるのは人情だが それは身長がせいぜい20センチ高いか、 顔の造作の具合がよく出来てるとかの表面上のことだけだ。 毎日見てると飽きてくるんじゃないかな。 中身が伴ってれば別だけど。 我慢していいとこを見つけようなんて 坊主みたいなことは言わないけれど、 まだまだ我々は孫悟空の分身の術を会得してはいない。 一生を通じて出会える人と見て歩く場所には限りがある。 ならばご近所を見なおしてみたいね。 惚れてしまえばアバタもエクボ、って言うけれど 覚めてしまえばもとのアバタ。 表面だけ見ていては ほんとの良さがわからないんじゃないだろうか? アバタの奥にあるものを見つけたいものだよね。 けっして飽きることなんかないと思うぜ。 美味しいとこだけ食べようとしてると ホントの美味がわからずじまいになるような気がする。 以上、とても偉いさん、のお言葉でした。 ガンジー ___________________________ やっぱり、『深さ』だよなぁ、みんなの興味も。 飽きられちゃうもの、飽きちゃうものには、 深さがないのだろう、というガンジーさんの言い方、 その通りなんだと思う。 「浅い」の代名詞みたいなぼくが言っても、 説得力はないですけどね。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【クイズの答え】 クイズ(第331回)の答えなんですが 「続ける」ことの大切さを言いたかったんです。 ところが今読み返してみると わかりにくい問題ですねェ、自分で書いておきながら。 文章のむずかしさに楽しく悩んでおります。 <ガンジー> (つづく) |
2001-07-28-SAT
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