352.フラット論?
「フラット」ってのは、
ぼくが『インターネット的』で強調して言ってる
インターネット的な特徴のひとつだ。
なにも、「フラット」なんてカタカナで言わなくても、
昔の人なら「おたいら」っていうコトバで
済んでいたはずのことだと思う。
フランス国旗の「自由・博愛」と共にある
「平等」も、おなじことだ。
さぁ、ガンジーさんの「フラット論」を、
読んでみましょう。
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「背がたかくても平等」
人は平等と叫ばれて久しいが
現実にはいぜんとして上下関係がある。
とくに会社人間の多い日本ではそれが顕著だね。
利害がからんで
上下とも身動きがとれないことすらある。
上にはさらにその上があるからだ。
糸井重里著「インターネット的」に、
価値観のフラット化、について書かれているが
インターネットだとそれができるんだねぇ。
ある場面では日本の株価を動かすほどの人物でも
ほかの場面では平等でいいはずだ。
そういうことが始まりそうな気配を
このインターネット社会から感じる。
先般書いた贈答の習慣にしても
儀礼的な挨拶状にしても
このフラットという形が定着すれば
ずいぶん楽になりそうだよ。
バレンタインデーのチョコレートは別だぜ。
読者のみなさん、
来年まで生き長らえていたら贈ってくださーい!
明治のはじめ福沢諭吉が道中してるとき
道端の農夫に道をたずねたそうだ。
すでに散髪脱刀令がでていて
諭吉もその格好だったが
言葉使い服装は武士のままで尋ねた。
この農夫は長い習慣もあってか
もみ手かがみ腰で丁寧におしえてくれた。
またしばらく行き別の農夫に尋ねた。
この時は諭吉のほうで下手にでて聞いたところ
この農夫は態度も横柄に答えたそうだ。
たしか「福翁自伝」という本だったと思う。
よく喧嘩で、下手にでりゃぁイイ気になりやがってと
毒づくが、こういうことってよくあるよね、
人はとっさの判断で相手を見極めたいらしい。
ホテルなんかでもそう。ベンツで乗りつければ待遇がいい。
詐欺師はこれを活用して仕事をこなす。
公園には、チカンが出たら110番、という表示があるが
チカンってどんなかっこうをしてるのかな?
あやしい人って誰にでもすぐわかるもんじゃない。
怪しい者だけがあやしい人を見分けることが出来る。
ちゃう?達人は達人を知る、っていうだろ。
だから要領のいい人は名刺にいっぱいの肩書きを並べる。
そのほうが効果があるからだろう。
どんな経歴でどんな仕事をしてるかで人物は評価される。
仕事や公式の場面でならわかるが
プライベートなときでもそうなのは変だよね。
学歴無用論がまかり通っているけど
今だに新内閣の新聞報道なんかは大臣の出身校を書いてる。
「これっておかしいよ」とみんなが思っていても
なかなか改まらないことって多いね。
共産国のお歴々が
バルコニーにずらりと並んでる光景なんかもう時代遅れだ。
遠くて見えなければ映像がある。
どうしても生を見せたいのなら競技場を使えばいい。
階段教室ってのはその点いいよな。
選挙カーにしたって今時おかしいぜ。
ウグイス嬢とよばれる彼女たちは
まるでカラオケ気分で唄ってる。
言うことがないと子どもにまで話しかけてる。
子どもは面白がって手をふるからね。
まわりにはうるさいだけです。
なるべく早くおやめください。
みんながフラットにつきあえる社会ってよさそうだ。
年寄りもボケない。
ジェネレーション、ギャップなんか感じなくなり
いつまでも人生を楽しめる。
軍歌やナツメロだけでなく若者の歌を唄え!
ずいぶん前だけど
同窓会で長渕ツヨシ(字を知らん!)の歌を唄ったら
みんなしらけちゃったなぁ。
せっかく朋姫におそわったのにね。
ガンジー
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少しずつ年を取っていくと、
若い人たちに「煙たがられて」遊んでもらいにくくなる。
自分の若いときのことを考えれば、
それは、実に、もっともなことだと思うのだ。
年を取っているというだけで、
「上」からの物言いが多くなるし、
失敗の可能性について詳しくなっていて、
そういうことを、つい言いたがる。
むろん、ぼくも、そういうところがある、多いにある。
ときどき、思うんだよ。
よく、自分より若い人たちが、オレみたいなもんと
遊んでくれるなぁ、と。
若さに媚びるつもりもないけれど、
感謝はするよ、ほんとにね。
ありがてぇことです。
(つづく)
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