372.文字のちから。
メールってやつは、いまのところ、
ほとんどテキストだけの情報がやりとりされている。
っていうと、「そんなことたない!」と、
勢い込んであげあしを取りに来る人もいるけど、
まぁまぁまぁ・・・。
しかし、このテキストだけでなんとかしようっていう
限定された条件のなかでの表現が、
いろいろ豊かなものを掘り起こしていると思うんだよね。
サッカーが、手を使わないことで
別のおもしろさを生み出したようにさ。
ガンジーさんも、今回は、
文字のできることについてがテーマです。
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「ジーっと字をみつめよう」
言葉あそびをしようや。
もしかしたら、と、もし貸したら、は
ぜんぜん違う意味だよね。
でもこんなふうにつなげちゃおう。
このお金を彼にもし貸したら...もしかしたら
返さないかもしれない。
...たら、とか...もし、とかは
歴史を語るときタブーだといわれる。
しかし歴史のことだけではなく
未来を話すときの言葉にも使うことが多い。
上記の例がそうだよね。
もちろんシロウトですので知ロウトしてるだけです、
間違ってるときはご容赦ください。
口語体、文語体によって
違う意味になるものもあるんだろうね。
それと今じゃ使われてない、候文(そうろうぶん)なんか
メールで復活させたら面白いよ、きっと。
映像だけが、えぇぞうっ!って声援をうけてるけど
文字でさまざまな場面を描写するのは
たいへんだけど楽しみの深さがあるような気がする。
写真より絵画のほうに想像力を
かきたてられるガンジーだけど諸君はどう?
百聞は一見にしかず、だけを支持する?
たとえば旅行、道中記なんかに書かれた風景はたのしい。
で、じっさいに出かけてみると
町並みは保存してあってもなんかちぐはぐな感じだ。
とくに昔のものは完全復元することが出来ないから
文字の独断場だ。
コンピューターグラフイックスでやってもできっこない。
もし今、日光の東照宮を造ったころのように
金ぴかにしたら参拝者は減るとおもうぜ。
旅先で見る古いお堂、寺なんかは当時を
想像できるたたずまいがあればこそ、だとおもう。
苔むした石仏をコケにしてはいけない。
昭和40年代からはやったコンクリートの城郭、
そのほとんどが天守閣だけときては
歴史に興味をもつ子どもたちなんか育たない。
そしてガンジーのように年老いてから
何か物足りなくなってくるんだねぇ。
北海道の、にしん御殿なんか見に行きたいと考えてるけど
かっての豪商の家がぽつんとあるだけだろうから
見る前からしらけちゃうなぁ。
建築そのものが好きな人ならべつだけどさ。
まわりにその豪商をささえる請負いの人たちとか
下働きをする住み込み以外の
従業員たちの家並みがなければ
いくら百聞は一見にしかず、といわれてもピンとこないぜ。
それには昔の文献をひもとくほうが面白そう。
千年以上もの昔から使われてきた文字、
とくに当初は女性に多くもちいられたという、
ひらがな、なんか興味ふかい。
加齢とともに本物志向になる。
コンクリートのお城は、お城もどき、であって
見たいとは思わない。
妻籠の宿も、佐原の町並みも
なん度も行って見たいとはおもわない。
町おこしを考えるなら
もっと歴史に有名なことだけじゃなくて、
当時のふつうの暮らしぶり全体を
わかりやすく面白く紹介してほしいね。
それには写真やCGより文字だ。
恋は花火、が持論のガンジーだが
素晴らしいオリジナル恋文なんか書けるようになったら
恋の寿命ものびるだろうと思う。
もじもじとはにかむ風情は
今でもオトコゴコロをくすぐるはず。
字を書こう文字を打とうぜ、
恥もかいて頭もかいて想像力をたかめようや、諸君。
ガンジー
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そういえば、野球のルールを知らない人は、
野球中継のラジオを聞いていても、
「なーにを言ってるのやら」と、
えんえんと続く雑音のように聞こえているらしい。
そういえば、落語も、若い人には
「なにを言ってるのかわからない」らしいよ。
で、いっぽう、若い人々の早口の会話は、
年寄りには「なにを言っているのだ?」ということに
なっちゃうんだろうな。
国内にも、言語の壁はいっぱいあるよな。
(つづく)
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